ひとの金2012/04/01 14:20

知人開業医がむっときていたのですが、、、なんだかな名前の、暗い7歳児が親に連れられてやってきた。親は、生保である。
学校の視力検査でひっかかったという。上の子らもひっかかったことあるがほっといたら見えてるしこの子もいいかと思ったが、子供本人もみえないというので、連れてきたと。
たしかに片眼視力でず、、ちょっとびみょーなレフ値だったのでサイブレしたらみごとに、見えるほうは +1D みえないほうは +5D の遠視。つまり遠視による不同視弱視が非常に疑わしいのがわかった。
こういうのはもうさっさと眼鏡つくって常用し、視力が出ないなら遮蔽ということになる。その上で両眼視にもっていくように視能訓練するのです。

母親、それをきいて処方箋をもらい眼鏡手配したはいいが、となりの県の大病院に小児眼科外来があるのでそこに通うと、紹介状を求めてきたそうな。
こんなものむしろ近所でこまめに様子見るもんで、その開業医には視能訓練士もいるのである。
その母親がその病院についていったいどこでききこんできたのかもわからないが、そこまで行かねば必要な医療が受けられないのかどうかぐらい、相談するもんだろう。
間隔もあくだろうに、学校休んでまで、そんな遠方に通う必然性なんて実は全然無い。ところが、生保は通院に補助が出るのですね。ヒトの金で大都会のある隣県に定期的に出かけられるのは魅力的なんだろうかね。「ちょっとでもいい医療をうちの子に」という口実もある。ほんとうにそれがいい医療かという判断は母親にはできないし、検証すらできないのであるが。
アホらしくなりながらも彼は紹介状を書いたそうな。他人の金になると人間このように、ゆるくなる。紹介状を書くほうも実はそうだがw

うちにやってくる非常勤の先生も、タクシー代が全額出るので、駅からの経路に注文はつけないそうだ。かって常勤だったので近道はよく知ってるし、自腹ならあれこれいうけど、他人の金となると億劫になるらしい。

生保にしても公的医療にしてもインフラだと思う、つまりサービスではないのです。使うほうに遠慮がなければあっというまに枯渇する。公園の水道を出しっぱなしにしてはいかんだろう。なにもないのにこまめに受診してどうでもいい薬をあれこれほしがる生保をみて、殺意すら感じるという知人もいて、気持ちはわからなくもない。

ただ、これ、生保はそういう人たちだ、といってはいけない。
その生保にいろんな検査をこまめにして「生保だから請求しても大丈夫ですよ」という検査員もみたことがある。むかしは行路病者(ゆきだおれ)を引き取っておたがいにぐるぐる回す病院なんてものも都市部にはあった。今がどうかは知らないが。
「人間は、他人の金にぶら下がれる立場に慣れると、たちまち当たり前になってしまう」というべきでしょう。

単年度予算という言い訳があっても、厚生省が年金を無駄に消費したのは間違いない。最近では証券会社OBたちが年金機構を食い物にした。これって、わざわざ隣県に行く生保の母とどこが違うのか。しかもそれを「ビジネスモデル」とかいう奴はいないか?w
まともな生保のほうが多いだろうし、まともな役人社員のほうが多いのだろうが、いくらそういう人がいたところで、乗っかれるシステムがあれば、垂れ流しの穴がふさがることは絶対無い。

とにかく、国家役人政治家に、大金をもたせてはいけない。
人間は、そういう金を有意義に使えるようにはできていないのである。
まあ、リバタリアンだなあと思ってくださって結構であるが。

ちょっとまえには維新の方針として、遺産は全額徴収するというのが報道されていた。その後の検証がないので本当なのかわからないのだが、これにしても、「遺産なんかもらいやがって」というやっかみに国家役人政治家がのろうというのが、さもしい。
そして、そこで金つかんだって、彼らは、というより、人間は、絶対、いいようには使えないのである。政権交代とか革命とかしたって一緒なのは、さんざ歴史が示してきたろう。

ある一定以上の金はどう使ったかあきらかにするだけで、用途については持ち主に任せるがいい。そっちのほうがまだ有意義に使われるだろう。有意義じゃなくても筋は通る。
役人政治家を冒頭生保の母親と同じに扱うのがいいのかわるいのかよくわからないが、ともあれ、自分の金を死に金にしたい個人より、他人の金を死に金にする役人政治家のほうがはるかに存在比率は高いというのは、人間をちょっとでも知ればむしろあたりまえではないか。

ただ、この図式のどっち側に、四国の製紙会社の御曹司の無駄遣いをいれるべきかは、いまのところ私にはよくわからない。あれ、本当にカジノで遣ったんだろうか。
林原の一件も、ていのいい乗っ取りじゃないのかねえ。
ま、私の推測見通しはたいがい外れますから気にしないでください(笑

瓦礫利権?2012/04/01 14:36

京都に来た環境大臣が、震災瓦礫の受け入れをよびかけて、シュプレヒコールに追い立てられて帰って行ったそうな。

震災瓦礫の放射線問題なんて馬鹿げていると私は思っている。過去の核実験の影響のほうがはるかにでかいだろうし、そもそも瓦礫がそのままであった広島長崎のいまの賑わいをみればいい。

それを蟻のように片付けて生活復旧する「常民」たちがいない時点で復興なんてありえないとも思うのですがね。
なににしてもこうなると、瓦礫を処理するには金がかかる。
その金を、東北のみにおとすんじゃなくて、全国にばら撒けよというのが、瓦礫全国引き受けの動きの背景じゃないのか。石原知事のそれらしい人間関係とか、思わせぶりに報道されている。

利益誘導がべつに悪いとは言わない。それだけなら利権とまではいわない。こういう図式は開発とか公共事業とかでずっと繰り返され、フォーマットみたいなもんができているから、ビジネスモデルとしても成立しやすい。
しかし、埋められて嫌なものと、金もらってうれしいものがあまりに乖離するのがあからさまでは収拾がつかない。それがわかると困るので、「同じ日本人同士」を錦の御旗にしたいのではないの?

そして、反対を叫んでいる人たち。
ここには、本気で放射線を恐れる大真面目な人たちもいるだろう。大声で人に指図する名目がついてとてもうれしい人もいるだろう。
そして、この利権の値段をあげようとしている人も、まざりこんでいないはずがない。ハードルを上げるほどに落ちてくる金が増える構造は交渉において常に存在するのだから。

それも人間これも人間と、ものわかりのいいことをいってるうちに、回す金も無く成り果ててちゃんちゃん、になりそうだ。

ともあれ私の姿勢としては、「放射線は気にならないけど遠くにわざわざもっていこうとするのってエコ(おい)じゃないねえ」というところですか。

花の無い花見 そのほか Fortune Garden の紋章2012/04/01 16:28

「さか本」 祇園
先日例年の花見をした。肝心の、祇園新道の桜はぜんぜんで、当然ライトアップもなし。10年近くこの時期(3月最終週~4月第一週)に会やってるけどはじめてですねえと、おかみさんとも話しながらいただきました。


「ぶどうの蔵」 祇園
ビル入り口に別フロアの風俗の呼び込みが多くて気の毒な。われわれも入っていったら風俗客に間違われて誘導されそうになった。




最近のしてきてるらしいKenzoEstate の、通販でも買える Rindo の 2007 いただいた。立派な味と思った。加えてチーズ盛り合わせ頼み、27K/5人。



「桃庭(たおてい)」 祇園
好みぶちまけてすみませんが、テーブル席とはいえ、ちまちま小分けで出てくる中華も、この値段で最後のチャーハンの追加不可も、なんだかだ。座敷だと回転式テーブルだそうですが。総じてお上品です。祇園つっても、飲み物入れて一人1万もとるなら腹が邪魔で直立できないくらい並べておくれと中華については思う。かって上海で結婚の宴会に出たイメージがいまだに尾をひいてて、いけませんw
以前錦の富小路か柳馬場かどっかを北にあがったとこにあった店という噂だが、ほんとそうなら、祇園のまんなかに店構えるなんて、でかくなったもんです。いまじゃ、あらためて錦に支店出してなかったか。梁山泊といいルヴェソンベールといいあたるとでかいんだねえ。
花見小路、夕刻だったが、うろうろしてたのは半分以上、中国人と韓国人じゃないのかな。木屋町もそうだが飲食店が増えて東京資本ばかりという。この桃庭も、金主はどうなんだろうかと思ってしまう。東京資本が東京からの観光客の金をひっさらえていくぶんにはまだ笑えたんだが、すでにその規模ではない。

いってないのですが、
「Restaurant Fortune Garden」 河原町二条下がる
について。
かの精密機械の島津製作所の、旧本社ビルが河原町市役所北にある。
むかしはクリーム色のビルが2つ並んでいたが、かなり前に北側のビルはなくなって駐車場。南に残ったほうも、廃ビルだかなんだかよくわからない状況だったのが、かって鮒鶴を「River Oriental」として売った東京資本が、結婚式場にした。
それだけでは埋まらないので、レストラン、バー、として通常も営業するようだ。




紋章をつけて、「Fortune Garden since 1927 Kyoto Japan」と銘打ってる。下はチラシ。Restaurant Grand Open とある。





下がメニュ。外に張り出してあった。おなじ紋章。




チラシにはまた、「ESTABLISHED 1927」ともある。




この 1927 は、島津ビルのできた年?ふつうにみたらこのレストランの歴史と思うだろう。さすがに、ネット上には、自分からこの紋章年号を晒すようなまねしてないので、むしろ確信犯か。
それにしても「1927年(ビル)設立」で、「レストラン(はこのたび)グランドオープン」か、いちおう強弁できるようにつくるあたりなんとも。

古い格の建物にそれっぽい店をいれてよく売ってるのだが、ここまで露骨に、経歴詐称といわれかねないことまでするんやなあ、、、、こうやって京都のありがたみが消費されていく。消費されるとありがたみは減るんだが知ったこっちゃないのだろう。