日本の医療のどんづまり加減について ― 2025/01/17 10:42
昭和36年ですか、国民皆保険になって、目先の効く医者は、たくさんの患者をちょっとしたことで何度も来させて軽い薬を出して稼ぐようになった。薄利多売と薬価差益ですね。
出さなくてもいい薬で医者たちが潤い、一時は高齢者自己負担ゼロになって診れば診るほど稼げるようになった。たまに個別指導が入ったって、みんながやってるんだからどうしようもない。
これは若い世代がおおくて医療費もあまりかからずにすんだ時代のビジネスモデルなので、少子高齢化の今も基本これを踏襲した保険制度を続けること自体に無理はある。
そんな医療でも寿命が延びたのは、医療のおかげというより、栄養状態と衛生状態がよくなったおかげのほうがはるかに大きいだろう。
技術革新で高価い薬高価い治療がバンバン出るようになり、みんなそれをお気楽に欲しがる。効果が弱くても有効なら保険に組み込まざるを得ない。高齢者が増えて現役世代の負担では支えられなくなっていく。
安い薬をだだらだ出すのはもう無理な状況で、医者が出したがるのはそれで稼いでいるからだとばかり医薬分業が図られた。でも、薬を患者たちが欲しがる状況はかわらない。そこで薬価を下げたら、まともに薬がつくられなくなっていった。
どうでもいいことでちまちま診る、家でおとなしくしていたらいいような急性疾患でもみんな医者にかかることで稼ぐ医者のありようはかわらない、むしろ点数が下がって、医者のほうはさらにちまちま患者を診ないと生活できなくなってきた。
しかし患者のほうはかかりつけ医になにかあったらかかる習慣を若い世代ほど失っていく。
ここで保険点数がさらに上がって、日常的に医者にかかる習慣がさらに失われたらほとんどの医者は干上がるだろう。
そこへやってきたのがデジタル化の波である。おそらく、現在の高齢開業医たちのうち後継者のいないものは、これを機会に多数が閉業するだろう。
田舎ほどそれは大きくあらわれる。そうなると、かかりつけ医を国民全員に割り当てるなんて無理になっていく。
すでに国は往診の距離要件を撤廃する方向にあり、Web受診も電子処方箋も医療が遠隔化していくことを見通しての制度化である。
現在の、専門医志向の高い開業医が、専門外についてはあたりをつけて患者を回す、というやりかたは、紹介状を書かない開業医が多く、すでに破綻している。
いまの国のかかりつけ医制度の方向は、日医とのやりとりでずいぶんゲートキーパーの意味が薄れて、どういう設備でなにができるか報告するというわけのわからないところからが出発点になる模様。
とにかくかかりつけ医となったら紹介状位かけよという程度のもののようですが、かかりつけでなければ書かないのか、かかりつけ以外かかれないのかというところで整合性が難しい。
基本的な軽症には対応するがそれ以上の症例は専門医に回すしかできない「総合医」を国民全員に割り当てられるくらいの数でいまから教育修練させて、その分減った専門医は設備の整った施設で高度医療を、というところに厚労省はいまからもっていきたいようだがそんなことが可能なのか。
各種交通インフラの整備はこの方向にあるとはいえ。
現状の日本の医療は、日常はアクセスよく安くそこそこちゃんとしたレベルのものが供給されてきたが、日常に最適化して、高度成長期の流れで大きな公費負担を背景に可能なので、緊急事態には身動きが取れない。
緊急時に動けるというなら、高度ではないが急性期の医療についてはER化し、繰り返すが、日常医療について医療相談は何もできないかかりつけ医が行って、専門医のいる高度医療施設にはそこへんから紹介するシステムになってしまう。
まず現在の開業医が壊滅状態にならないとシステムの移行なんか起こらない。田舎ではともかく、都会ではなかなかそうもならないでしょう。
日本の医療はどんづまりにきてないか。
by 稲亀石 [医療] [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
哺乳類と性と性衝動 NとFテレビ問題 ― 2025/01/30 15:43
まだわけのわからんことをうだうだ考えていますが、そろそろ短くまとめられそうな気がする。
性行為とか愛とかの個別の行為や情動は、集団に繁殖をもたらす生殖につながりがちだけど、生物学的な「男女」間だからというだけで生じるというより、もっと生物として共通した部分で成り立っているのだと思うわけで。
だからいわゆるLGBTQだって、自然に反する、のではなく、大部分の属する集合から外れている、だけです。
哺乳類としての人類の対象に対する愛着は、哺乳類としてカワイイものに惹かれる特性と、強いものにシッポ振るストックホルム症候群の合わせ技。ここは、体格差で生物学的男女間に傾向としては起こりやすいでしょうが状況次第。
卵子を保護するに適した自己保存欲(危険を避けたい、安心したい、安全に受容されたい)の強い女性と、精子をばらまくに適した自己領域拡張欲(どんどん出ていきたい、自分の受容先を増やしたい)の強い男性という特性。ここで明確な性差が出るが、これも個体差はあるし、状況次第でもある。安全と確信した環境なら出ていく女性も増える。
で、実際の性衝動は、自分を受容させるために、相手を自分に対して無害化無力化するための攻撃なのだなと。ここはもう、男女差のない、生物としてもっと深い部分じゃないか。対象は相手の性に依存しない。でも、これも体格差もあるし環境によって当然「異性」に向きやすくなるね。
人類は、このような性愛の性質を生殖行為にからめて社会制度に入れた。制度はいろいろあろうが、集団として存続できるものがのこってきたわけです
以上がまとめ、以下はつらつら思ったことを。
いかつくなることで相手を圧倒する方にコーカソイドは進化し、かわいく幼熟化することで相手の攻撃性を低くする方にモンゴロイドは進化した。とくに幼熟化の進んだ東アジアでカワイイ文化が頂点なのは必然です。
愛着の対象になるのはまずはカワイイ相手なので、男性の恋愛対象がいつまでも若い女性なのはあたりまえ。
女性にとっての相手の年齢がそれなりに上がっていくのは、ほとんどの男性はもともとそんなにカワイくないからです。自分を保護させるなら我慢できる範囲で年齢は上がる。
究極にカワイイけれど、誰の支配もたやすく受ける無力な幼児は本質的な部分で攻撃対象にはならないので本来性衝動の対象にはならない。幼児を性対象にするオトナは、自己評価が病的に低くて自己肯定とのバランスがとれてないから治療対象です。
セックスは相手に受容される究極の形だから、それを無力な相手に行うのは、どんな形であっても受容がほしい飢餓感の塊なわけですね。つまり性犯罪は習慣化します。
この観点に立てば、こないだからの N氏と Fテレビ問題もわかりやすい。
報道やらネットやらの情報ででたらめを考えただけですから、事実と考えた部分があさってだったら削除します。
あれはまあ犯罪でしょうけど、相手を無力化して暴行するなんてのは、もともとの保護者相当のジャーニー氏に虐待を受けてきたのが大きいのではないか。これは言い訳にはならないよ、もう大人なんだから。
騙されて犯されたうえに足蹴にされたのに、今まで自分を保護してくれていると安心していた筈の周囲が相手の様子うかがってばかりと感じれば被害者は世界が壊れたと思ってそれは病むよ。自傷行為だって出るだろう。
いろいろ言う人はいる。この話はものすごく環境依存的な話なので、犯罪にたいする処罰の定量性を考えさせてしまう。
そんなにこわれやすいコップを危ないところに置くなとか、こわれやすいのはコップのせいじゃないとかいう話ね。そういうコップだから採用されたとかいいだすときりないし、私にはいまのところ考えがまとまらない。
しかし、悪い慣習を放置してことがおこっても面子と視聴率気にしてあいまいにまとめることに奔走し、今となっても社員の直接の関与の報道ばかり気にする Fテレビがもうちょっと、組織とまではいわんが直接接するひとらが直後からまともに動けば被害者ももうちょっと何とかなったんじゃないの? まわりのみんながもともとまともじゃなかったんかもしれんけど。
これは一言居士ごめん。
性衝動が攻撃性に基づいたものであるうえは、受け手の安心できない(身の安全を確信できない)状況での性関係は、男女どちらからしかけて行われても性加害である、というありきたりな話にとりあえずなるかな。
でもこれは、どこまでもグレーゾーンはなくならない。安心感のもとがストックホルム症候群だったりするんだし、期間を区切ればどうにでもなるから裏切られたキーということになったりすることもある。受ける側の防御姿勢がどうあるのが適切かなんてもう、文化と状況と個人によるとしか。
そもそも、加害ダメ絶対となったら明瞭な同意は不可欠で、女性の「そんなんいわさんといて」も男性の「大丈夫と思った」もダメなんですが、これはもうさらに結婚もへるし人口も減る。とくに集団間の競争のきつい大陸国家の支配組織ほど、集団人口の維持を第一にするから、いわゆるジェンダーイデオロギーにこだわるし性加害に甘くもなる傾向はあるでしょう。
前からの難聴に加えドライアイもあって、映画も本もしんどくて、この程度の思考にしかたどり着けない。ひとの沢山いるところでは会話もききとりにくいので、ひとりでたらたらHUBで飲むのね。
車輪の再発明してるだけかもしれませんが、もうフーコーもバトラーも読みたくなくて積んでるだけです、香芝さん(謎)
by 稲亀石 [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
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