東京 学会飲み食い ― 2012/04/08 19:51
日本眼科学会があった。プログラムの表紙がなんともゴキゲンなのは会長のせいでしょうか。まどマギの魔女みたいにみえる。
もともと「目」というのは統合失調のモチーフで、多用せざるを得ない眼科関係の学会でイラストに凝れば凝るほど病的になるのはしかたないが、今回はまた格別ですな。
機器展示。
NidekのOCTにもトラッキングがつきました。これは必須。ZEISSは、予定があるが時期いまだに未定。GCC解析のv6への有償うpグレードは夏ごろだそうな。
Optos、ちょっと鼻息がおさまった感じ。FA 撮れるようにはなったが、RGと同時にスキャンできないので3色には出来ないという。少々ずれるのも使用者承知のうえであれば、あとで重ねることなんてそんなに難しくないとおもうがそこまでの意味はないということか。おなじ広角眼底撮影の点数対象になる Retcam は接触型でプローブも高く扱いにくいせいか、販売割当台数が少ないせいか、ブースも小さいしじゃんじゃん売る感じではなかった。
最終日には屈折矯正講習会。 ICL も、けっきょくは、みな虹彩後部領域を UBM でみてサイズ決めたりしてないのだね。 UBM なんてここで売らなきゃどうしようもないと思うのですが。
行った店
「室町砂場」 蕎麦 神田
ちゃんとおいしいとおもう。蕎麦の店の層の厚さは京都とは比較にならんのは当たり前ですか。
再訪
「天房」 天ぷら 築地市場
朝7時前にいったらしまっていて、仕方なくその横をずっと延びていく寿司大の行列に並んだ。しばらく並んでみて、もし天房が開くようなら入ろうとおもったのですが、寿司大の店の人がやってきてこのへんだと待ちが3時間になるという。それだけで前の数人は列を離れた。そのまま最終尾にいたが、うしろにどんどんくる感じじゃない。天房どうやろうと、列を離れて店の前に行ったらあいてた。
いい天ぷらです。壁の成分表みるに、コーン油6ごま油4のような。
京都は外人多いなあと思ってたが築地も外人ばかり。前もそうだったが市場入り口にバックパックの屈強な白人男女が多数たまってるのはなんなのか?
「オシザーブル」 フレンチ 六本木
あっさり路線でいただいた。
ご一緒した先生が、食後のグラッパをがぶ飲みしてふらふらになって帰っていかれて、心配したのだが、そのあと朝までホテルで熟睡してさわやかに目覚めたと翌日。たいした肝臓やと思った。
近所にでかい駐車場もできてた。大通り面がのかなくて建物がたたんそうな。この東京六本木にすごい更地。
表参道の「M」は、電話したけどレスなし。土曜夜って休みだっけな。
お堀端は桜がみごろ。
「日本クラフトビアフェスティバル2012」 アキバスクエア
土曜に新聞でみかけ、ついふらっとセブンイレブンで前売り購入。3800円也。
すごい混雑、行列は長い。ビールは泡ばかり、そりゃ中身しっかり入れてたらたちまちみなこぼしまくるだろうけど。心から後悔しました。
フードもちまちましか補充されず、10枚もらったチケット(ビール1枚、フード2枚の引き換え)の3枚残してイヤになり、そのへんのカップルの女子におしつけて、14時前には東京駅から帰洛。
京都に帰ったら、市内は他府県ナンバーで大混雑、家内の迎えの車がなかなか到着せず。堀川の七条あたりって、どうしようもないです。
オーディオ店に立ち寄って修理してもらったものを引き上げました。で、ふとみたら JBL のPARAGON があってびっくり、350万円にもびっくり。
「わたしに申し込んでよ」 ― 2012/04/08 22:51
日本じゃそれほどでもないが、欧米では、求愛は男性からという一般的なルールがあるらしい。女性の側のすべきことは、気になる男性が求愛しやすい状況をつくることなわけです。
で、日本でも、女性から好きといってはいけないのか、という質問がなんちゃら質問箱に寄せられたりする。
女性から言い寄った時点で、男にとっては、その女性はいつでも手に入るどうでもいいものになってしまう、というのはほとんどの、男女関係を持ったことのある男性に理解できることと思う。
これは、もう、「そういうもの」なのである。でしょ?
女性は待つだけなのか?というと、それも実はそうなのである。不公平といわれようが、あとで自分が粗末にされないようにするにはそうするしかない。しかし、洋の東西を問わず、女性が、男性を手に入れたいことは必ずある。
フィッツジェラルドの「The Rich Boy」に、そのときのひとつの解があった。
熱愛の割りに結婚となると煮え切らない主人公に、さんざじらされた相手はこう叫ぶ。
「私に申し込んでよ。」
村上春樹訳の「金持ちの青年」ではこうなってる。宮本陽吉訳の「裕福な青年」では、
「結婚してといって。」
真意はこうなんだろう。飯島淳秀訳の「金持ちの青年」での
「あたしを欲しいといって」
では、結婚というカタチに持ち込みたい切実味がいまいちか。訳によって違う。原文では"Ask me, please"です。
いわれても煮え切らなかった男を見限って彼女はべつの男性の求婚を受け入れる。
この話ではそのあとに、八つ当たりを食らったとしかいいようのない状況で、鏡面構造的に踏んづけられる別の女性がこの男にやはり愛を乞う場面があるので、暇な人はご確認を。
つまり、女性が男性に求愛するときの、ルールをまもったぎりぎりの科白は、
「あなた、私を口説きなさい」
ということなんでしょう。
あくまでも口説く主体は男です。女性にとって面倒なことだが、愛を告白しつつ相手の行動を要求するという時点で、正しい態度と思う。
だからって、ろくにつきあいのない男にいきなりそれをいうのはただのイタい女子だし、口説かせたところでその男が相手を奉るかというと、どうなんだろうとも思うのです。
いいとこまでいってるけど男が線を越えられない、そういうときのみ有効というところでしょうか。そりゃそこでそこまで言っても踏み越えてこない男に見込みはなかろう。
で、日本でも、女性から好きといってはいけないのか、という質問がなんちゃら質問箱に寄せられたりする。
女性から言い寄った時点で、男にとっては、その女性はいつでも手に入るどうでもいいものになってしまう、というのはほとんどの、男女関係を持ったことのある男性に理解できることと思う。
これは、もう、「そういうもの」なのである。でしょ?
女性は待つだけなのか?というと、それも実はそうなのである。不公平といわれようが、あとで自分が粗末にされないようにするにはそうするしかない。しかし、洋の東西を問わず、女性が、男性を手に入れたいことは必ずある。
フィッツジェラルドの「The Rich Boy」に、そのときのひとつの解があった。
熱愛の割りに結婚となると煮え切らない主人公に、さんざじらされた相手はこう叫ぶ。
「私に申し込んでよ。」
村上春樹訳の「金持ちの青年」ではこうなってる。宮本陽吉訳の「裕福な青年」では、
「結婚してといって。」
真意はこうなんだろう。飯島淳秀訳の「金持ちの青年」での
「あたしを欲しいといって」
では、結婚というカタチに持ち込みたい切実味がいまいちか。訳によって違う。原文では"Ask me, please"です。
いわれても煮え切らなかった男を見限って彼女はべつの男性の求婚を受け入れる。
この話ではそのあとに、八つ当たりを食らったとしかいいようのない状況で、鏡面構造的に踏んづけられる別の女性がこの男にやはり愛を乞う場面があるので、暇な人はご確認を。
つまり、女性が男性に求愛するときの、ルールをまもったぎりぎりの科白は、
「あなた、私を口説きなさい」
ということなんでしょう。
あくまでも口説く主体は男です。女性にとって面倒なことだが、愛を告白しつつ相手の行動を要求するという時点で、正しい態度と思う。
だからって、ろくにつきあいのない男にいきなりそれをいうのはただのイタい女子だし、口説かせたところでその男が相手を奉るかというと、どうなんだろうとも思うのです。
いいとこまでいってるけど男が線を越えられない、そういうときのみ有効というところでしょうか。そりゃそこでそこまで言っても踏み越えてこない男に見込みはなかろう。
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