やっと出る、三角帽のないフルサイズミラーレス2020/09/16 14:10

レンズ交換式フルサイズミラーレスAFカメラですが、どこから出ているものも、基本的にはペンタプリズムを思わせる三角帽がついていて、私はあまり好きではなかった
だって、機能的に不要なので。

もともとレンジファインダー好きで、Minolta CLE からはじめて、 Leica に乗り換えた。
10年くらい前までそれでよくスナップしてた。
CLEは、こういう格好のカメラです。




Mマウントのレンズもあれこれ持っている。沼とまではいわない。


こんな感じで撮ってたんですね、Leica M6ですこれ。タイのお寺。

そのあと、デジタルになってもM-monochrome(旧型)使ったりしてましたが、ふだんAF使い慣れるに従い、目も弱くなってきて、いまさらいちいちファインダのぞき込んで二重像合致させるのは面倒で嫌になった。

さいきんは、旅行の時のスナップは、コンデジをたいがいノーファインダで撮る。余裕があればバックモニタースクリーンは遠目で見ます。それでもそこそこAFでちゃんととれるくらい、いまどきのカメラはよくできてる。
こうして、私は、ファインダをのぞき込むという姿勢から解放されたわけです。



Panasonic の DMC-LX3 だかで、頭上からノーファインダで撮ったもの。ザンジバルです。

ライカM型は、デジになっても、どこまでいってもMF。
使わないレンズ資産が勿体ないと思ってたら、 フルサイズレンズ交換ミラーレスの Sony α7シリーズにMマウントレンズつけられるAFカプラーというのがあった。尼にも2種類あるけど、Techartのを買った。
Mレンズはフォーカスは全群繰り上げ式なので、マウントごと前後すればそれでいいのです。

ですが、α7自体は上記のごとく、三角帽で、どうも気に入らなかった。
α7RIIIもってるけどほとんど使わない。ああ勿体ない

レンズ交換式ミラーレス。メジャーなメーカーの、フルサイズのどの製品を見ても、ペンタプリズムの呪いは根深い

フルサイズでなければ、三角帽のないものも、それなりにあるのです。

たとえば、Panasonic のm4/3 の DC-GX7系。
これはなかなか格好よい。レンズも小さくて使いやすい。Mk2持っています。
四角くて、 CLE にも似ている。



しかし m4/3はねえ、、、オリンパスのカメラ部門も身売りするそうで、どうなるかわからないマウントフォーマット。
そもそも、旅行で持ち歩いたりするコンデジDMC- LX9 と、画素数で言うとかわらんのですよ。
きれいな白黒写真が撮れるんですが。下は、ポルトガルの市場。




三角帽のないカメラというと、わりとカッコええとおもってみてるのは、 Sony の α6000シリーズですね、これは APS-C。
Canonにもある、EOS-M6、これも APS-C。コンデジもそうだが、民生用カメラでまともに突っ張れるのは SonyとCanonだけになってきた気がする。この会社に関心が持てない理由は後述。
富士フィルムの場合は、カメラそんなに熱心にやって大丈夫なんかという気もするが、Xシリーズで四角いのがでてます、これも APS-C。ここの受光素子はちょっと面白かったんだが。
富士さんのミラーレスカメラは、ファインダに凝り過ぎてる、ので、私としては手を出す気にならない。覗きこむことから解放されたんだし、いまさらそこに資本投下するのは、ちょっと、違うのです、いいもんなんだろうとは思うよ。それに限らず、、孤島のような感じ。

こいつらみたいな四角い形で、フルサイズやってくれよとずっと思っておりました。

唯一、まともにフルサイズレンズ交換ミラーレスで四角いのは、Sigma の、Lマウントカメラ fp です。Leica や Panasonic と、新型 Lマウントで提携なんだそうだ。システムとして先行き不透明感ありすぎて。



弁当箱みたい。実機みようにも、最近はヨドバシカメラにもおいてない。
いや、嫌いじゃないんですが、 Sigmaのくせに Foveon じゃないのかというのは別としても、世の中に出回ってもいないマウントのレンズ増やすの?という気分にどうしてもなってしまう。
マウントアダプタも Eos 用しかないのね。Eosのレンズなんて持っちゃいない。
純正でも、どのレンズもでかい。 Leicaのレンズをまたまたいちいち買うのも今更だし、Panasonicおまえ4/3規格どうすんねんといいたくなる。

これをフルサイズ Foveon にして、各社のレンズがAFもできるマウントアダプタもつくれば、少々高価くても(といってもSD-1みたく70万越えとかあかんで)そこそこ面白がって買う人はいるんだろうけどなあ。交換レンズじゃなく交換ボディね。

で、本題です。
やっと、 Sony がα7を四角くしてくれるらしい。




手に取ってみてはいませんが、見栄えは、よいですね。

Eマウントの純正レンズは、たいがい、でかい。もっと小さくなってほしい。
メジャーといえるマウントだから持ってもまったくの無駄にはなるまい。
Techart や Fotodiox の Mマウント AF アダプタが対応してくれたらいうことなし。
ちょっと期待している

そうそう、コンデジでいいならそれでやる、という手もあるが、、、

24ミリ相当でF2よりあかるいレンズのついたコンデジ使うことにしてる。広角ならピントもきつくない。ですが、スマホがよくなって、コンデジおされてます。

Olympus TG6 は防水でとてもいいが画素数がいまさら1200万。いま、腰につけて普段使いにはしていますが、旅行にこれひとつはちょっと不足。モロッコの砂漠なんかにはいいんですが。
Nikon、 Fuji ともに、明るい超広角コンデジはなくなった。それぞれの、画素数1000万台のラスト機種になるが、、Nikon P310 は家内がいまも使っている。押したボタンへの反応がいまいちになってきてるらしい。Fuji XQ-2 は私が使ってましたが、もともと反応が鈍くてしんどかった。後継機種は出ない。
2000万画素超でこの手のものを売れるように作れる会社は、Panasonic Canon Sony だけになったという事なのだと思う
Panasonic DMC-LX シリーズは、 LX3 LX5 と、よかったんですが、そのあと設計が変わったのか非常に使いにくくなった。画素数2000万超の、LX9は、いらんスイッチがすぐに入るし、ケースの中でうっかりでかいレンズが出ると、抵抗があってもそこでもとにもどる機能がなくて、繰り出し機構がつぶれてしまう。修理に出しました。あまり使いたくない。旅行の時だけもっていく。
Canon はごめん使いたくない、眼科器械関係であまりいい目にあわなかったという、一方的な気分なのですみません。 
で、Sony RX100系は、考えなくもないが、 α7Cが出るならそっちからいきます。いや、α7R-C を待つかな。

感想 ザ・ファブル2019/07/08 08:53

ネタばれしますよ。

最近目先の仕事逃避してザファブル読んでここ数号ヤンマガまで買ってるが、映画版です。

これはたぶんみな気になることでしょうが、、原作ではむさくるしいおっさんどもにあてられたキャストが若くどうなんやと思ったが、思いのほかまともに見れた

老けさせた方がちょっと不自然だった。
中年以降のおっさんは、太るんじゃない、たるむのである。海老原は、顔はそこそこ仕上がっているのだが、体はスマートな役者のままで、もっとたるませんとあかんやろう。

小島砂川が問題になると思うのだが、、、小島、原作では服役15年でちょっとそれはと思うのだが、映画では服役8年にしてたし、最後の方はけっこうさまになってた。ムショボケしてやりすぎてしまうチンピラというのがよく出てました。
砂川も案外大丈夫。これは、役者の体がでかいからと思います。

佐藤=主演岡田はちょっといかつくて、原作のひょろい感じがなかったけど、マッパでうろうろしてたし、許容範囲。
ミサキちゃんの印象が特にはじめが派手なのにバイトの描写がないので結果的にばらばらになって、状況がよくわからないと思う。

ミサキちゃんの契約書のところから小島の回収まで、一気に内容はかわっている。クライマックス部分の大混戦はだれ気味、だれがだれかわかりにくいし、大人数が近距離でもみあうのに誰もドス出さないのは不自然
ロケに借りた施設を最大に利用したいのはわかるんですけどね。

ボスとのふれあいの思い出はどうだか。そもそも、森の中とか、体中あっというまに虫に刺されまくるよ、これは原作でも思いましたが。
クロちゃんがなにもしない。ここは、原作の方が楽しい。

全体は駆け足の印象がどうしても、する。まあ原作8冊くらい分だからねえ。総じて、普通に見れたのは、原作を知ってるからと思う。

平日19時からの回、客は3分くらいの入り、まあ京都MOVIXとしてはそこそこ

後ろの席のおばちゃん(私よりはたぶん若い)は岡田がなんかやるたびに笑い声をあげていて、ファンなんやろなあと思いました。

動画の扱いからみて続編作る気は満々のようですが、ウツボ篇につながる部分を切ってしまったし、貝沼君どうなんねやろねえ。

感想 ゴジラ-キングオブモンスターズ2019/06/03 08:54

ネタばれしますよ。


幼虫モスラがおとなしくなって少女つか女の子の前で青く光るとかナウシカまがいにはじまったわりにモスラが死にっぱなしなのが気に入らない
双子の小人は出ない。小柄な中国人博士がそうやというのは画面だけでは無理筋。エンディングでモスラソングのメロディはつかわれてましたが、女の子が怪獣をコントロールできる器械を持って走り回るとか、そのへんもナウシカ寄りです。

芹沢博士のああいう使い方も好きじゃない。手動で爆発をおこすために身を挺するわけですが、これを初代へのオマージュといえるだろうか。初代ゴジラの芹沢博士は戻れないところに自分から出て行ったんじゃないのだよ。戻れるのに戻らなかったのですあの人は。
いらんことするのが好きなお母ちゃんがなんでか最後にやっぱり自己犠牲の自殺的なことやるんで、パターンとして重複してる。くどい。
なんですかあのオキシジェンデストロイヤーは。正体不明の新兵器がいきなり出てきてしかもちゃんと効かないのはお話として無意味やろ、やったら今ある兵器では効かなくてお手上げでじゅうぶん。どうしても出すなら、核兵器は無効なので高度な非核兵器を開発しているという設定をはじめから使わないと。N2地雷とかw
オキシジェンデストロイヤーで瀕死のゴジラに芹沢さんは王に自分の命を献上しましたふうにするんですけど、ああやって自爆したってそれで復活するという根拠はじつはないのだし、ほっといたらゴジラはいつか復活するのだから、へんに陶酔した感じがなんだか。まともに帰るつもりで出て行って帰れなくて、、のほうが展開としてはありとおもった。
総じて、人間側のドラマの盛り上げ方やつじつまあわせがちょっと下手です。

ストーリー上でレギオンだかビオランテだかとの類似性を言う人がいるんですがどっちも見てない。ものはあるから見るようにしよう。
家族なくしたひとがいきなり出てくるのは平成ガメラのイリス篇ふう。全体の設定や世界観自体平成ガメラなのは前作からかわらずです。

進撃の巨人じゃないが怪獣を Titan と呼んでるあたりは、人間の力の及ばぬところで好き勝手やる生態系上位存在の出現という神話世界を感じさせて、よろしいとはおもいますが、それにしてもせいぜい「王」どまりなんだなあハリウッドのゴジラ受容は。
芹沢博士が、ゴジラは殺すが、救うこともする、ゴジラを憎むな的なこと言うけど、こういうのは、人類をギャオスから救うためにあらわれそのためには渋谷も踏みつぶす平成ガメラの世界の視線なのですね。
そういう出自設定のないゴジラなんだから、台詞として足りないのは、神といわないまでも「ゴジラは自然現象だ」という指摘でしょう。あのひとは歩いてるだけのひとです。
台風や地震なんて憎みようがないやろし。怒りは感じても。
ゴジラの通った後に自然が回復とか、蛇足もええとこ。花咲かじいさんじゃなし。

海底地下水路設定はナディアっぽい、おおもとのネタあるんやろか。そもそも潜水艇のブリッジでうろうろしてるのがまた、すごくよくありそうな構図。USJのアトラクションには使いやすいでしょう。
超古代海中壁画の、ゴジラの絵のよこに、カタカナでゴジラと書いてあるのは、どう考えてもおかしいのだがなんかの伏線なんかな。
娘が球場でオルカを動かして、母親がそうとわかるのはわかるけど、ずっと離れて潜ってうろうろしていた父親がいきなりそのへんで娘を探し始めるのは無理がある。母親を探して、君じゃないのか娘はどこだ、ならまだわかる。

終わりのキャスト表で怪獣はみな himself だがモスラだけは herself なのでふうんとは思いました。
自前の「ぼくの考えた怪獣」があれこれ出てきてうざい。マンモスぽいのとか。
ムートウが雑魚になって、ラドンがやたらギャオスっぽかった。ラドンもモスラに体貫かれて死んだかと思ったら、最後にゴジラにへこへこしていた。だったらモスラも生きてないとあかんやろ(それ一点でこの映画を判断している)。ほかの怪獣どもがゴジラにひれふすのをうしろに、瓦礫からモスラが飛び去るシーンが欲しかった。エンディングで卵出せばいいってもんじゃないぞ。

絵の作りに関して言えば、どっかで見たような絵は多いけど、モスラ分が全体に足りない以外に不満はほぼないです。十字架のむこうのモンスターゼロとか、いかにもでねえ。
モスラが羽を広げるところなんかは、泣きたくなるくらいきれい。でも滝の下でどうやって蛹になるんだかね、ちゃんと見せろ。
キングギドラもモスラもオリジナルの鳴き声を出さないが、別世界の彼らなんでもうええわ、ゴジラさえ似てたら、という気分。

がんばってよく作ってるから、これでよしとするべきなんでしょうけど、不足部分がひきたつのは仕方ない。
モスラのファンなので感想偏っています

ノートルダムドパリ周辺の道路封鎖2019/05/08 21:00

焼けてしまいましたが、周辺はうれしそうに記念写真撮る観光客でにぎわっていました品性下劣な私も、まわりを一周してみたのが以下。

ノートルダムドパリへの経路をぐぐったら市庁舎前駅でメトロをおりると表示されてやってきたところ、ここからアクセスの北側は、建物が混んでいて、寺院手前の道で封鎖されており、よくみえません。




聖堂正面の広場につながるシテ通りも全面封鎖です。

時計回りにぐるっとまわって、西側のサンミッシェル橋から眺めても、いまいちわからない。
尖塔がないのはわかります。




川端のモンテベロ通りを東進すると、見えてきました。
南側から川越しです。






堤におりてみました。




東側からで、こんなの。



北側をうろうろして歩く距離が長くなって同行者(家内)のブーイングがでました。
はじめからサンミッシェルノートルダム駅から上がればすぐに見れたわけで、ですがリヨン駅からはどうせ一本でいけないので仕方ない。

目についた周辺道路の通行止めは以下。




ご参考までに(何の?)。

俳優の逮捕と、作品のお蔵入り2019/02/04 12:03

出演俳優がなんか事件起こすとその出演作品がみられなくなる

過去に放映されたものも、配信も上映されなくなるが、これはまだいちどは見られる形になったからましなほうで、公開されてもいないのに上映が憚られたりもするのですな。

スポニチアネックス 2019年2月4日(月)
「、、、、逮捕した。これを受け、NHKの有料動画サービス「NHKオンデマンド」は新井容疑者が加藤清正を演じた2016年の大河ドラマ「真田丸」など10番組の新規販売を停止した。」
キノフィルムズ@kinofilmsJP
「 映画「台風家族」出演の新井浩文さんの逮捕報道を受け、
2019年に予定しておりました同映画の公開を延期することと致しました。」

映像作品というのはその俳優だけのものではない。
なにかあるたびにしまい込んでいたのでは作り手がたまらないし、あれは好きな作品で何とかならんのかと、あちこちでいう人も出てきたりする。

犯罪者のでてくる作品に自社製品が紐付けられたんじゃ困る、というスポンサーの意向はよくわかるしそれが第一なのでしょう。とくに性犯罪など、「被害者がそれを画面で見たときの気持ちを考えろ」というのが、感情移入しやすい日本人にはわかりやすい。

あれこれ仕方のない「お気持ち主義」ではありまして、つまり作品をしまい込むことが、被害者のケアになっているのですね。

日本の社会制度は、ましになってきたとはいえ、被害者を「癒す」仕組みをあまり想定していない。
被害者の癒しは、加害者の厳罰のみから得られるように、基本的にはなっている。
だから「死刑」もなくならない。
出演作品も、作品=加害者にかかわるケガレとして、世間様の目に触れないよう隔離するような扱いになってしまうのですな。加害者に対するペナルティの巻き添え

歌は世につれ世は歌につれといいます。 JASRAC はそうは思ってないようですが、アート作品というのは、公共財として扱うべきと思うのですよ。

これは何度も書いたと思うしこれからも書くと思いますが、そろそろ、「加害者の厳罰」に頼るより、もっとしっかり、お得意の「寄り添う」精神にのっとって、被害者を癒すシステムを考えてはどうか
死刑廃止論者も、作品しまいこみ反対論者も、そこをすっとばしてるから実効性のあることを言えないのではないかと思うのですが。
全国犯罪被害者の会さんあたりがそこまで踏み込んでくれたらよかったのですが、解散されてしまった。そこまで手が回らないよ、ってのはわかりますがね。

どうしても関係者ワケアリ作品を衆目にさらすことに抵抗があるなら、ネット配信の本格化した昨今なので、有料でそういうお蔵入り作品専門チャンネル作ったらどうなんだろうと思います。

その収益の一定部分は、必要な被害者救済に役立つよう使うと。正当化できます。
あえてそこに行く人にしか見えませんから、被害者の目に触れるリスク(リスクなのかそれ)は格段に下がります。

「相棒」でも再放送できないもん結構あるようですし、高樹沙耶のからむものについてはドラッグ依存にたいする対策に使うとかでどうなんだろうか。
私としては、スペル星人をなんとかしてほしい。あれは犯罪ですらない。ようつべの悪い画質はもう飽きたんで、 Netflix あたりで考えてくれないだろうか。

モスラはなぜゴジラに勝つか2019/01/14 21:04

モスラは基本的にはゴジラに勝つ。

いきなりどうでもいいことを書きますが、たまに負けるような気もするが完敗にはならないはず。
ファイナルウォーズでも、モスラだけしれっとインファント島だか、島に帰っていった。

これは近いことを前に書きましたが、もうちょっとはっきり書きますと。

ゴジラはアメリカの落とした原爆の化身で、宝田明にも「原爆そのものではないですか」といわせている。

モスラは映画見ればわかりますが、そのアメリカ(映画ではロリシカ)の、ニューヨーク(映画ではニューカーク)に攻め込むわけです。

今度はアメリカにやり返してやろうという制作者たちの意気込みの充満した守護神がモスラなわけですから、東宝映画の作りの上ではゴジラより上位存在です。
出発点がそうだから仕方ない。

映画「モスラ」に関してはそのへんのルサンチマンを、「腕白な子供」をうろうろさせて子供映画にしてごまかしたことが不満です。

つぎのハリウッドゴジラではモスラが出るそうだがどうなるか。
基本リベラルを売りにする(本当にそうかは知らない)ハリウッド映画で、ああいう、未開民族(すみません)の守護神というのは非常に高く扱われるはずなので、その設定がかわらなければそうそう弱っちくはないと思いますが。

感想 青の帰り道2018/12/09 22:57

盛大にネタバレしますよ。


いろいろちぐはぐな映画。
基本は、少女コミックです。悪いとは言わない。

つじつまはちゃんと合わせている。大変だったと思います。
「台風クラブ」で細い手足で似たような感じで走り回ってた工藤夕貴が、こんななったんやねえというのがちょっとショックであった、あまり最近のこの人を見てなかったもので。

カナ、この人が歌手したいことを軸に話が進むのですから主人公といっていいはずですが、それにしても人物像の掘り下げが足りない。
高校にちゃんといって自己肯定的な性格で鍵盤もあんだけ弾けるんだからそこそこまともに育てられてきたと思うのだが、家族の影がいっさいないのが不思議。このへん、はじめのうちに説明があったのが私の耳が悪くてわからなかったのかもしれない。字幕のない映画はわかりにくい。
この人は基本的には流されてるだけの人です。
で、アル中演技にドラッグに手を出しかけるところまでいくが、基本ヨゴレてないんですよ。
人物設定に文句つけるのは筋違いにしても、そもそも、冒頭でもタツオの部屋で夜タツオはこの人を微笑んでみてるだけ。結構な話やけど、なんかこの女優には性的なもんの気配すらさせたらあかんかったんかいな。
使い方に制約があったならそれはかわいそうではある。

で、キリが、自己肯定できず、その結果(とだけは言えないが)いろいろなものがまずく回ってしまったのが、「あの人は大切なことほど言えない」という言葉で母親と和解、自分を許すことですべてがうまく回るというおとぎ話でして、お話としては実はこちらがメインです。いちおうキスもこなしている。
カナとは対照的に家族の描写の厚いこと。各人問題点のみ描きましたというのはわかるんですけどね、極端で違和感すら感じる。
こちらからみると、カナは狂言回しに過ぎない。巻き込まれたとさえいえるカナが怒るのはまああたりまえやけど、そんなことでまっすぐ歩けないカナもカナやで。

最後の、ラジオから流れるカナの「青の帰り道」は、画面としてはわかりますけどね、業界との関係も何とかなったという説明も兼ねてるんだろうが、地味にライブハウス巡り、というのがリアルなとこなんではないですか。
救いがほしいのかもしれんけど、あまりの嘘くさいハッピーさにエミール‐ヤニングス「最後の人」のオチを思い出してしまった

ところで、狂言回しのカナのまわりにこそ、都合よく神様がうろうろする。
そうしないと話がうごかないからです。

医者の息子で、一緒に歌をやろうとして上京できず死ぬタツオが、この人間関係の中で唯一のクリエーターですね。
この人がカナを歌に誘い、死んでなお、その歌でカナを救う。関係性で言うと、むしろカナはクリーチャーで、カナの暴走はクリエーターを失ったからともいえる。
お話としてみると、べつにこの人が死ななくても似たようなオチにできると思うのですよ。映画がこの時間では済まなくなるけど。

一方で、実生活において要所でカナの背を押しもしくは守る、リョウというのが、悪いことはするけどむかしを忘れてはいないアツいやつという感じで現れる。
この人のありようが、これまた、なかなかご都合がよろしいのです。タツオに犯罪の片棒担がせる、つまり具体的な行動をとらせる一方で、カナの転落を押しとどめ、最後はマネージャー上司への復讐に至るのだから、この人は実はカナが実現できなかったことを行う、カナの分身といっていい。
それにしても、「世の中はそんな甘いもんじゃねえ」というセリフがここまで裏切られるとはねえ。ここも、カナの空々しい転落の描写に近似している。脚本のクセですかね。

外部世界に出ない原初的な幸せぶりを描き、ストーリー上都合いいタイミングで子供が倒れてキリに転機を与える友人夫婦のシークエンスは、なんであそこでキリが泊まり込むのかいまいちわからんかった。
リョウといっしょに作業場に入る奴は、葬式での演説のために設定されたんですか?
保険会社に入ったやつに至っては、もうちょっと使い途なかったんかな。出世しないながらも元の人間関係から完全に外れていくという使い方もあったろう。それじゃ話が閉じないのは、わかるんやけどね。

各人の描き方がアンバランスながらも青春群像劇をやったということなんでしょうが、付き合いの狭く密度の濃いマイルドヤンキーの世界観をそのままどこにでももっていく違和感に、町の子のつもりのおっさんには、なかなか居心地が悪かった。「ほんものの仲間」はその中にしかいないという、再定義できない閉じた世界です。
いや、こういう世界こういう人間関係を描いたこと自体は、お話としてありですよ。
過去の自分たちを振り返るように、彼らはラストで高校生たちを振り返る。
未来系のノスタルジーというのは、いかにも少女マンガにありそうな総括です。あのねえ、あんたらまだ10年しかたってないんよ。その先も人生は続くんですがね。

そうじゃないから気に入らないというわけじゃないが、人間関係をばらばらにしながら青春はただおわっていく、というほうが、後から感じての実感に近いのは、「草原の輝き」をみた人はわかってくれるだろう。あの映画も、彼氏が手を出してくれなくてハイティーンの女の子がおかしくなるという、いまとなっては訳の分からない話です。ナタリー‐ウッドだからなあというのは禁止。
だからこそ強いつながりを描きたかったとか、なんとでもいえるけど。

閉じた人間関係の中で、死ななければなんとかなる、死んでも人を救うことができる、死んだ人は感謝と思い出に包まれる。シビアなようで実はなんと肯定的な物語であることか。かれらに害をもたらす外部の「オトナ」たちは罰せられ、救われない人は誰も出てこない。
もちろん、ここでも、これはこれでありです、お話として。

そこまで都合のいいお話を、役者を一人交代させて撮りなおしてまでも、つくりたかったわけです。なにが監督をそこまでさせたのか、考えてみたのですが。
挫折しても死んでなおクリエーターこそがすべてを救うと語りたかったんではないですかね。なんか、淀長みたいなまとめ方と自分でも思いますが。

自分が死んでも後につながるものがあればそれでいいという、開き直った自己肯定ぶりは、現世への諦めの表裏にあるものなんでしょうね。

宮崎駿は自分が死ぬ話なんかぜったい作らんだろうと、なんとなく思う、なんで宮崎と言われたらわかりませんが、しぶとそうですからね、あの方。

そこまでいうと、この映画はまあ、仏教説話みたいなもんかな

感想 ボヘミアン-ラプソディ2018/11/24 23:17

ほんとにどうでもいい感想です。

2時間ちょっとの映画で、手洗いとか眠いのとかどうやろと思ったが、気が抜けるほど、すんなり最後まで退屈しませんでした
手洗いも行かなかった。

フレディ-マーキュリーというか Queen は、死後にでたCD、‘Made in Heaven‘ しか、私はまともにきいてない。うすい人にはよくあることらしい。
むかしは KISS と区別ついてなかったのはさすがにアホと思う。

この映画のお話自体は、才能のある者の成功とありがちな軋轢に、「真実の愛」を求める自分探し居場所探しというバックストーリーを加えたようにしか見えなかった。
インド系移民、育ちの悪くない、でもゾロアスター教徒の父に認めてもらえない、出っ歯(本人より誇張してないか?)のゲイの苦悩がようわからんかった、設定だけでわからんとあかんのやろうか。エイズになる前から苦悩してるからエイズのせいではないよね。
なににしても、諸作品におけるその手の苦悩は、自分を許すことで解消されるもののようで、この映画でもそうです。

作中のフレディの、メアリーに電話したりランプを点滅させたりする描写は、異性にパートナーシップを求めるものというより、女学生が授業中に目配せしあって笑うシーンのように見えた。
これをもって「この映画において、フレディは孤独な少女だった」的駄文が書けそうにも思います。実際にそうだったとかいう話ではないですよ。
そこから、「孤独な少女」というのは一体どういうものなのか述べればさらに字数が稼げるかもしれんね。誰が稼ぐんかは知らない。

音楽就中ライブエイド、よかったけど、そっちへいくのが「愛と悲しみのボレロ」みたいやなあと(古い)。いや、見ていて涙が出たし、こういう感動のさせ方は、ありですわね。
画面がスタジアム上空からずっと降りてきて、観客頭上をなめて、ステージに上ってパフォーマーをアップというカットなしのシークエンスが違和感なくつくられる時代なのだなとしみじみ。
と、同時に、このライブエイドはオリジナルがしっかり残っていて、こないだからやたらようつべで見るのよね。音源にあわせてきっちり真似して挙動そっくりなのは、すごいとは思うにしても、映画の中ではここをクライマックスにするため最後の方ちょん切ってるのももろわかり。
つか、ライブは実物見てりゃそれで足りるのよね。
通して、もっと高音のきれいな人というイメージだったんだけど、というのは余計なことです。

役者ですが、、目がぎょろっとしてるわりに実物みたいな「イってしまった」感じがなくて、背が低いのは仕方ないにせよたっぷりしたマッチョ感もいまいちで、最後までなじめんかった。

久しぶりに、満席に近い映画館を見た。IMAXでの公開は日に一度だし、あとで知ったが命日の土曜であった。
それにしても観客みなおとなしいな、私自身はあちこちで体が揺れたり足を小さく踏んだりして自分なりにノッてたんですが。騒いでもいいという「胸アツ上映」はこの日どうやったんやろ。
レコード世代のジジババばかりかと思いきや、そこそこ若い客は多かった。隣の席の20台は、私の学生時代よくあったような、カビっぽい下宿生の匂いをさせていた。中身は一緒なんかね。
いつも似たようなもんなんやろね。松本零士の大四畳半ものをこないだから読み直しているので余計そう感じるのか。
私は松本零士はヤマトよりおいどんのほうが好きです。
いきなり話が外れます。999はなかなか苦肉の両立路線と勝手に思ってます。ワダチもよかったね、ラストはもう好きにせえよという感じやったな。

映画の感想 「若おかみは小学生」「カメラを止めるな!」2018/10/13 09:01

評判いいようなので気になって見に行った。
どちらも、いろんな制約の中でやってるんやろうなと思わせるものがありましたが、よくできていて、楽しめました。(偉そう)

若おかみは小学生
原作もテレビアニメも知らんので念のため。
つらい思いをしながらどんどん乗り越えるあたりがこの映画の良さではありますが、つらさを越えさせる仕組みが、タイミングといいいろいろ都合よすぎる。でも、それぞれの部分を作りこめばこの上映時間では済まんしなあ、、、まあテレビでしっかりやったのだろう。
絵作りにはなにも申しません。舞い散る花が、これでもかという感じになってますが。
小学生にいろいろ求めすぎやでという感想が今のところ一番大きい。
こんなにいい子にさせてあとあと人格ゆがまんかなあ、と思う私の根性がゆがんどるんでしょうなあ。子供をうまいこといっておだてて木に登らせてるようにみえる。

ばあさんにしてもライバル旅館にしても、お客様は神様哲学がいきすぎで、なんだかと思ったが、原作は15年前で、サービス業だから、ありかね。さぞかし高価いお宿なんだろう
公的医療でもこれを求めるモンスターがたまにいることをついつい思い出して胸糞になったが、私がいらんことに感情移入しただけです、これは。

素人な話ですみませんが、 「ハーモニー 高屋法子」とあって、GunBuster でもいてはったよなあ、あれももう30年近く前だから長いねえ、と思って調べたら、エヴァとかジブリとかでも仕事してられる、樋口真嗣監督の相方さまであった。今まで知らなんだ。

カメラを止めるな!
冒頭の劇中劇(になるのか)、わざとにしても、非常にむかしの素人自主製作映画のにおいが強く、いつまで続くのか心配になったが、失礼いたしました
最後の最後に、ほんまのメイキングもちらっと見せるあたりは、いい感じ。
妻役まではまだしも、娘役の暴走までもってきて、軽い親馬鹿ぶりとセットにするのは、説明しすぎでわざとらしいと思いましたが、仕方ない、かな、別のまとめ方はたぶんもっと手がかかる。

劇中劇部分の画面があまり揺れるんで、見ていて酔いそうになって、その後もあまりリカバーできず、帰って寝込んだ
これは「オンザミルキーロード」のドローン画面で気持ち悪くなって以来。
あと、最近耳も悪いので滑舌の悪いいまの日本映画はしんどい、字幕が欲しい。
歳食うと映画みてもこうか

映画雑感 デッドプール22018/06/16 09:00

これも、前知識なくてきとーに入った。ネタバレします、まあネタバレしても、ぜんぜんかまわないと思う。

マーベルコミック系ですか。
メタ的に自己言及するし、ほかの映画の引用を映画のタイトル付きでするし、こういうのは好きです。
DC系のウルヴァリンを引っ張ってきて遊ぶあたりもいい。見えないやつがほんとに見えないやつだったとかのおちゃらかも楽しめます。
危険な超能力者を捕獲して隔離するわりに、脱獄したらそれっきり。想定すべき社会制度としてはわけがわからんけど、考える必要ないのだろう。
超能力者同士が殺し合っても、通常人については攻撃してこない限り直接手を出さない、でも巻き添えは仕方ない、というのがルールのようですね、こういうお話は。戦闘員的な警備員を殺しまくり、巻き添え市民もどう考えても出まくっていながら、お前はこいつを殺すな、で未来が変わってしまう。節操がなくてよろしい

正義は、個人主義である、という信念に近いものがこの手のヒーロー(アンチヒーローにしても)にはあるのですなあ。やりっぱなしが気持ちいい
社会を守っても、こわれた建物代を請求されるという日本のその手のご冗談ヒーローとは、出鱈目を語るにしても方向が違うのよねえ。何が悪いという話ではないにせよ。

ただ、ここまでくると、引用された他の映画やDC映画、デッドプール自体の前作を、わざわざ見ようなんて気が、ぜんぜんなくなってしまうのであった、、、、