ドクターイエロー2012/09/27 18:28

先日京都駅でのぞみを待ってたら、目の前に黄色い車体が滑り込んできた。




みな大喜びで写真撮ってますな、私もそうです。
のぞみをここでやり過ごすのかと思ったら、すぐまた出て行ってしまった。
駅で停まってるの、はじめてみたので、記念です。

遅い夏休み 東京から長野経由で京都2012/09/06 23:02

ちょっと古いのですが、遅くとった夏休みの話でも。

以前は毎夏家族で旅行していた。息子は3年前から付き合わない。コミケに行きたいそうだ。なんだかというか。家内と、娘とで、いくことにしたのだが、娘が受験となるともう出られない。

ひとりで部屋にいると、煮詰まる。ネットばかりでどうしようもない。本を読める空間になってないのに気付く。前の安楽椅子がつぶれ、新しい椅子がもたれられるとはいえオフィスチェアなのがまずいけない。読み続けられないのはいけませんな。映像については、わたしはつらいシーンに弱いので、映画館じゃないと最後まで一気に見られない。ついつい切ってしまう。音楽ばかりきいて寝ているのも限度がある。

発作的に、旅行に出る。
以前ならバイクで走るのだが、めまい発症以来自重してる。夜行列車にのりたいところですが銀河はなくなった。バスは嫌い。京都駅に20時ころ着いて、携帯で席の取れた遅い新幹線に乗る。
列車に乗るよさは、まずはそのあいだずっと本を読めることです。あと、酒飲んだり寝たりできる。ネットについては、アクセスポイントの契約は持ってないし、テザリングできる端末持ってるんだが面倒。できることの、比重が変わるので、目先が変わる。
端末で「銀の匙」読んだ。中勘助ではない。「動物のお医者さん」「じゃじゃ馬 glooming up」「もやしもん」など、こういうのは一定の需要があるなあ。その需要に応えられる力量もいる。

東京では有楽町にまわり、並木通り 「Del Sol」 で、甘口スプマンテ、ラストオーダーで、リモンチェッロをいただく。蒸し暑い。写真もピンぼけ ↓




ホテルはいつもの自治体相手のホテル。当日夕方に、はじめに携帯で名前も言わず予約しようとしたらあいてないといわれた。あらためて、家の電話から、病院名も名乗って電話したら喫煙だが部屋が取れ、実際にいくと、禁煙の部屋があいていた。
設立の趣旨上まあしごくあたりまえのことがあっただけなのですが、こういうものの延長線上に、もうちょっと範囲の狭い役得とか、さらにはこっそりと利権とかがあるんだろう(妄想w)。
享受するものがそれをなくしたくないのはわかるし、立場が変わっていきなり相手にされなくなったら腹が立つのもわかる。逆に、役人ふくむいろんな組織の問題の対策はそういう次元を解決すればガチにやるよりなんとかならんか?ボランティア活動に付き合うと称し顎足つきでついてきた教授が、飛行機はファーストクラスにしろとごてた話とかも聞いたことあるぞ。承認欲求のことをいっています。相手してたらきりがないといえばその通りですが。

翌朝はやくチェックアウトして、築地市場へ。「寿司大」あいかわらず7時前から長い列。店から離れて広い通路側に続く。↓ 去年30分ではいれたのはやはり震災特需(?)だったのだねえ。




こっちのめあては1軒おいて隣の「天房」。ぴったり7時に暖簾がでた。朝から油もの入れて満腹。場外で佃煮買って、そのまま東京駅。
長野名古屋経由新幹線使用で乗車券と、長野新幹線特急券。指定席は11時まであいてないという。改札入って1分後に出る新幹線「あさま」に飛び乗る。自由席ところどころ空いてる程度。
この路線ははじめてです。通路側の席からではあるが、北関東の景色を見る。

売り子からウイスキーポケット瓶。「プリンタが紙切れなのでレシートはよろしいでしょうか」などとぬかす。「手書きでいいからください」というと、凍った表情のまま数分で紙を入れ替えて印字した。どうだかと思うぞこれ。
寝たり飲んだり本読んだり。以前よりときどき開けていた幻冬舎新書宮台「日本の難点」を今頃ちゃんと読む。これは紙の本です。現実社会の切り分けは腑に落ちるものはあるが、オチまでくると、コミュニタリアン社会学者が夢見る人種であることがわかる。それももちろん自覚的オチのひとつだろうが。

軽井沢がどこにあるのか知った。
長野で、特急「ワイドビューしなの」に乗り換え。いや、恥ずかしい話、長野も、そして松本も、中央本線上に「ない」ことをはじめて今回認識しました。
長野駅ってちらっとしか見てないが、かなりちんけな駅じゃないか?へぼい県庁所在地というと、大津や奈良を思い出すのですが、長野もそうなんですかね。
名古屋まで3時間。近所の渋温泉について調べたことがあるが、京都からだとたしかに一日仕事だわ。
迷惑をかけずに2人分座席をとれて楽。ぴこぴこ携帯いわせてるおっさんにマナーモードにしろと凸。音の出所を特定するのにちょっとかかった。ああ面倒。

学生時分、八方でスキーツアー中、祖父がなくなった。ひとりでバスと電車を乗りつぎ大阪駅まで夜行に乗った。もうないんだろうねあのスキー夜行列車。
このおなじ線路の上を、あのとき走ったはず。
バスの中では車内放送の地元ラジオで泰葉がユーミンの替え歌をうたってたのをなぜか覚えている。科白も。

車窓のそばで、やはり寝たり飲んだり本読んだり。岩波現代文庫ソーカル「「知」の欺瞞」、物理学者は容赦ないな。とくにはじめの2章は執拗で笑うしかない。自分が理系と勝手に思う人間のムード的共感同意を広く呼びそうだ(私自身を含む)。独我論から認識的相対主義への流れがわかりにくかったので読み直そう。
やがて岐阜に入り、1時間で名古屋。存在感より実際の岐阜でかい、いつまでたっても岐阜。

名古屋の新幹線ホームで、腹はそんなに減ってないけど熱い汁ものがほしくて、きしめんを立ち食いで半分だけ。
やってきた京都までノンストップのひかりに乗る。すぐにまた岐阜に入るw
飲むものはもうない。少し寝た。滋賀の景色はなじみがあって落ち着く。
京都に帰還、14時前です。18時間中、ホテル滞在7時間で車中時間8時間。ちょっとリフレッシュして全費用5万弱であった。


      

北近畿の雪 駅うどん井筒屋 米原2012/02/02 19:33




北近畿は大雪で舞鶴は記録塗り替えだそうですが、滋賀の湖北も昨夜よりすごい雪。
長浜市内、朝はタクシーが動かず。
で、午後ですが、JR在来線米原長浜間がとまってしまい、米原駅前にはタクシー待ちの行列が出来ていました。バスも本数少ないし当てにならんしねえ、、、

陸橋に上がろうとして、ふと、あがりぐちの駅蕎麦の「井筒屋」に目が行った。むかしは在来線ホームや新幹線高架上にあってよいものだったのだが、高架作り直しとともに、東京行きホーム以外はなくなっていたのです。取引していた麺のおろしがあったがそこも取引がなくなったそうで、基本的には「やめ」の事業のようです、が、高架にあがる階段下にあらためてできていて、今日はついつい入ってみた。




、、、店員が若い。バイトか、そばの井筒屋本社から回されてきた娘らやろか、、こういうのはおばちゃんやないとなあ、、、きつね400円て高めやねえ、、、。
600円のカレー食いました。総じて、改札の外でこの値段、とは思った。いろいろ事情もあるんでしょうが。
高架上の新幹線うどんで、こだま待ちながら、玉子入れて一味をふって山菜蕎麦を食ったのも昔になった。

階段を上がると、在来線改札前も人だかり。




私は新幹線に行ったが、長浜行き在来線は、ホームで待つ人もいた。



路線がとまってもこの程度、という言い方はできなくもないような。

名古屋からの新幹線は11分遅れ、京都に着いたときは20分遅れになっていた。

トラブルのフィードバックはかかるのかJR東海2011/07/26 14:24

用事があり、大阪に行くのに、まず在来線でJR西日本に乗車した。
smartICOCA ではいり、米原駅で、このsmartICOCA と、J-West のクレジットVISA カードを、切符自販機にいれて、米原までの料金を精算しがてら大阪までの乗車券特急券を買ったのですが、機械がとまってしまった。
係員がうらでごそごそして、切符とカードをくれて、ひっかかったみたいですといったので、ふうんと思いつつ大阪へ。

ところが、新大阪でJR東海の改札をでて、地下鉄にその smartICOCA で乗ろうとすると通れない。地下鉄駅員が、JRのどこそこで乗ったようだけど、JRへカードをもっていって開錠(? unlock ということと思ったが)してもらえという。
急いでいるのになあとぶりぶりしながら東海の改札に行くと、smartICOCA はJR西日本の切符売り場へ行けという。
ほんまにもうとぼやきながらJR西日本の切符売り場。列が出来ているが、これどうしたらいいのかと声を上げて聞くと、カウンタとは別に係員がでてきた。カードを渡して事情をいうと、裏に持っていって、すぐ戻ってきた。これで使えますと。
なんで、なにがあったのかときくと、たぶん切符買うときになにかあったのだろう、買ったところでそういうことがあったと言えという。
ぐるぐる歩き回って、アポイントがあったのですがたっぷり20分は遅れてしまった。

次の週。米原で、JR東海の発券カウンタにいって、ここでカードで切符を買ったらロックされたままで困ったことがあったのだが、誰に言えばいいのかときいた。
窓口は見習い。こいつに言いっぱなししても仕方ないし、なにか申立書かなにかはないのかときいたら、助役がやってきて、ふんふんそうですか、わかりました、と、にこやかにいった。
それでおわりだそうだ。
私の名前等もきかない。まともにこれ記録して検討されるんだろうか。以前何かがあったとき、京都駅のJR西日本では要望書を書かされたのですが、そういうものの気配もない。

問題が起こったときにはそれなりに記録を残してフィードバックをかけるのが基本のはずなのですが、どうも危ないような。同様のことは、警察署でも以前にあった。

衝突事故を起こした鉄道車両をまともに調べもせずにさっさと埋めてしまうのは論外としても、ちょっとした問題点をキャッチしてフォローするルーチン体制のない組織は、そのうち大事故を起こすと思う。

ところで、中国のあの事故ですが、高速といっても在来線なんだし、信号のトラブルと考えると、信楽高原鉄道の事故とおなじものといってもいいんじゃないですか。あまり上から目線で、こんな事故は日本では考えられないとか言わないほうがいい。
埋めるのはさすがにどうかと思うが、じつのところ、これだって、中国漁船不法侵犯のときの対応見てると、立派に同種の行政姿勢と思う。

やってきて去った「もの」2011/06/19 16:08

私は87年式の、YAMAHA のアメリカンスタイルのバイク XV 400 Viragoに乗っているのですが、もともとはこれの前のモデルの XV Special シリーズが好きだった。研修医になって給料も入るのでローンで買いにいったら、XV 400 Special はディスコンだったのです。

XV 400 Viragoもなかなか味のあるバイクです。電装系がとことん弱くて、山の中や丹後半島などでエンストして、そのつど奇跡的に帰還している。運がいつまでも持つとも思えないのでコワイのですが。

それはともかく、XV Special が好きだったということを知ってくれている知人が、オクで二束三文の XV 750 Special をみつけて、欲しいか訊いてくれたので、迷わず「ほしい」というと、落としてくれた。
バイク修理が趣味の彼はその後こつこつ直してくれて、他人任せの私はお気楽にも大型2輪の免許をとった。そして数年。

やっとそこそこ動くようになったけど細かいところがあちこち、というので、 Virago をいつも手入れしてもらっているバイク屋さんに、以前いっぺんみてもらっていいかときいたらどうぞといっていたので、みてもらおうということで、車検無しで公道も走れないから軽トラにつんでもってきてもらった。いやほんと手間かけっぱなし。

バイク屋氏、実際にものがくるとは思ってなかったらしい。ほんとうはそこから車検までやってほしかったのだが、手を入れ始めてパーツがなかったらどうしようもないしと完全に逃げる体勢。
まあ、あちこち錆だらけだったり、タイヤがヒビだらけだったり、電気接点もあちこちよくなかったりで、「仕事」としてやるには割が合わない、というのはよくわかるが。
エンジンをかけてみて、けっきょく、京都は異様に車検がきつくなってきてるから難しいかもしれんが、ゆるい県ならいける状態だし、もって帰ってなるべく金かけないよう、もうちょっと制動系チェックしてタイヤをかえてガソリンがもれないようにして、そっちで車検通してみたらどうか、これならいけますようんうんと、逃げられましたw

バイクはまた軽トラにのって去っていったのですが、音がほんとうによかった。
いつか乗れるんだろうか、蒲焼のにおいだけかいだようです。

バイク動作確認で京北へ だんらく 京都2011/05/05 14:48

半年以上、YAMAHA の初期型ビラーゴ400が、家の前でシート被ってほったらかし。根性がないので寒いと乗らない。
さすがに不安なのでメンテでチェックを連休明けにはお願いするつもり。さきだってちょっと動作確認しようと、昨夜からトリクル充電とやらをしておいたバッテリを装着。

いい天気です。いつもお願いする、京大医学部裏のバイク屋の健在と本日休みを確認し、鷹が峰から京見峠へ。とちゅうバイパス造成中で、いちばん狭いところをなんとかしたいのはわかるが。

杉坂から、周山街道へ。栗尾トンネルはどこまで進んだんだろうとおもいつつ峠を越える。むこうに京北町が見える。



バッテリがへたるとまずクラクションが死ぬという経験則から、ときどき「ビ」と音をたてながら走る。
京北病院さきの喫茶「Euphoria」でお茶。本来は木曜なので定休日だけど、休日で何も考えずに出てくる私のような間抜けがいるのを見越して、今日は開店明日振り替えで休みにしたそうな。まことに御明察です。
しばらく話の相手をしていただく。ほかにも何人かお客がやってきた。間おいてみるたびにコミックが増えてるような気がする。
ここから美山方面へ向かう。

ところが走りながらきく「ビ」の調子が悪い。
前に、ほんまにあかんかったときは、美山殺伐広場までいって戻して杉坂から貴船に向かおうとして、芹生の手前の無電波山道でエンストして往生した。冗談ではなく、たまたま通りがかった車に工事現場用ロープで山まで引っ張ってもらってなんとかなったわけで。

またああなっては困るので、美山までいかずにカモノセキャビンのさきあたりで取って返し、無電波領域は避けてずっと周山街道を京都市街へ。
中山トンネルの京都側にちょっと前にトンネルとバイパスもできている。通るの2回目。




京都側からみたところ。むかしはこの、右から山沿いにくねくね道があった。いまは直進して、橋が川を越えてそのまま杉の子トンネルです。旧道は通行止め。
便利になるのは、まあ、いいことなんでしょう。でもトンネルは嫌い。

「ビ」は、どうやらスピードを出すとぶれるようで、ゆっくりのとき、とまってるときは大丈夫。これは当たり前やな、最後まで音が出なくはならなかった。
福王子から、立命衣笠あたりを通り、出発地の玄琢かいわいに戻った。

行きかえりを通して、重いアメリカンバイクをけっこう見たように思う。嵯峨あたりではハーレーと併走した。
うちのビラーゴも乗りやすくていいのだが、いつエンストかわからないじゃ不安で遠出ができない。
リッターまでの、そんなに重くなくて乗り回しのいい国産空冷Vツインがほしい。新車じゃ、カタログにはないのですねえ。このダミータンク容量8Lの初期型ビラーゴ、愛着はあるのはもちろんですが、買い換えたいものがないので乗っているともいえる。
知人にXV750整備してもらってることになっています。もっと古いので、不安なのはいっしょかそれ以上w

蕎麦屋で遅いお昼。大宮交通公園東側に入った「だんらく」。



こまごました住宅地の裏で道も狭いのに、ちゃんと駐車場のついたテーブルのみのお店。イージーリスニング映画主題曲がかかり、若い店員が数人。
十割の雪白蕎麦は、蕎麦の味のする太目のしっかりしたそうめん、の感じ。まあおいしい。腹のおさまりには足らず、28のおろし蕎麦を追加。これは歯ごたえいまいちだった。おろし蕎麦は、25年前に静岡で食っていた「戸隠」の「磯おろし」が自分の基準になっているので、それにくらべての、あくまでの好みの話。

バイク、信号待ちではガソリンのにおいが上がってくる。大丈夫なんだろうかね。

京都-琵琶湖大橋-長浜 裏道ドライブ2011/05/03 17:17

裏道というのは、それが「旧道」だからです。

80年代なかばから滋賀の道はどんどんよくなって、武村知事すごいなあと思ったものです。
それまで、近江八幡北の大中湖干拓地で大学の駅伝があり何度か応援にいくことがあった。そのときに教えられた道が、景色がいいので気に入ってその後もなにかと使っている。道は細く(それでも非市街部はまえよりも格段に太くなった)、人も車も少ない。
琵琶湖大橋から干拓地までの間は、その後バイパスはでき湖岸道路は整備されあわせて橋が付け替えられて、いまどき観光ドライブで旧道をつかうことはないでしょう。

京都から、途中を越える。おおむかしは峠の辺りすれ違えないような道で、拡張されるも集落部分が非常につらいのはかわらず。で、バイパスとしてトンネルができた。
ところがこれが有料で、特に業務のトラックは嫌がって旧道、集落の細い道を使う。なんのためのトンネルだか。
最近やっと無料になったので、だれももう集落におりない。あっというまにむこうに出て、琵琶湖大橋へ。


道の駅いわゆる「米印」。駐車場いっぱい、待ってたら整理員さん「いつになったらあくかわからないねえ、近所の人がおきっぱなしとか、この近所で釣りしたりサイクリングしたりする人もみなおいていくからねえ、朝来たときには8割がたつまってる」 笑うしかない。たまたまあいたところに停めてお茶を買った。ここで、最安フォーシーター国産ハードトップカブリオレをオープン状態にした。

琵琶湖大橋をわたる。
むこうのたもと近くでサイン会をやっていた。そら逃げられんわな。私の前はあいてたが、たらたらしていて無傷。

橋を渡った左手湖岸には、むかし「ホテルレークビワ」があった。
小学校時父親の仕事関係(てか地域の医師会)の日帰り慰安旅行で使われ、子供用には「南海の大決戦」が畳の宴会場で上映された。プールがあり、湖面にはでかい噴水がふきあがり、遊覧船もついた。北湖は、70年代まではそこそこリゾートだったのである。
90年代後半に、私は、最後の「谷口シンポジウム」視覚生理部会によんでいただいた。そのときの宿泊所にもなった。朝大浴場に行ったら慶応のその前の教授がおられて、色覚異常の社会問題についてるる説かれた。
ホテルはその後ほどなく廃業。今はまったくちがうものが建っている。

料金所を抜けてレインボーロードとやらを直進。
小学校に入るかどうかのころの私は、琵琶湖大橋ができたすぐのこのあたりに、家族ドライブにつれてこられ、半分寝ながら雨の降る車外を見ていた。なにもない一面の田に、もっと狭かったこの道に沿ってえんえん蒲の穂が立ってたっけ。
やがて斜めに入って集落の中を抜け、洲本東を左折。この、浜街道をいくと、かっては橋にぶつかったのだが、今はちょっとまがっていって右折しなければならない。大水口神社の前をぬけ、野洲川を越えることになる。

琵琶湖の周囲はかって湿地帯だったろうからでしょうが、天井川が多い。つまり川ごとに堤が切り立っている。今は川を道がかなり遠くから立ち上がって、直進してぶちぬいている。武村知事以前は、細い道で土手につきあたると、そこで直角にまがって川に沿って土手を上がり、そこで2台通れないような細い橋に直角に入り、川を渡るとまた曲がって川に平行に土手をおりていったものなのだ。わからんだろーなー今の子供には。

野洲川を超えて道なりに行き、六条というちょっと入りにくいところからわざわざ中主にはいり、バイパスである新道入り口の手前、兵頭神社参道すぐわきの道に左折して入っていく。集落を抜けると、用水路のような川の手前でバイパスに曲がって出なければならない。むかしはこっちが本道だったはずなのに。

しばらくいくと日野川がある。このあたり、草が両側に生えてるようなちんけな道だったのですが、、、、橋は、これもつけかえられてる。今の橋を渡りきって、直進せずに堤の上で右折してそこからおりると旧道。野村の集落。
神社のところで左折して、野村の交差点を渡ってずっと走る。
ひろびろとした田んぼの水路にずっと並木道のあるいい景色があったのだが、いつのまにか片側の田んぼが資材置き場になってしまい、とても残念な景色になった。

牧、大房を過ぎ、近江八幡です。
このまま山沿いの道を行くと日牟禮八幡の中を抜けて町に出るのだが、祭礼の時期だからか途中からこっち向き一通になるとの表示。さきに曲がって町に入り、近江兄弟社高校の前を通り過ぎてすぐ多賀の交差点で左折。県道までいかない。
でもすぐその県道に合流するんですがね。

観光船乗り場のある円山町で右折、水郷のほうに入っていく。白王町の三叉路を右に、水路沿いに行けば、左は干拓地の田んぼが広がり、右は水郷でいい気持ち。曇ってます。



かっての目的地はここなので、ここまではわかる。こっからは当然わからない。走ったことはあっても頻度が違う。

大中の交差点を琵琶湖側にむかって曲がり、さらに右折して彦根に行くのだが。
学生のころ。てきとーに走ってるうちに同乗者が酔ってしまい、みかけた集落内の喫茶で休んでおばちゃんに道を聞いたら、まっすぐいけば彦根城の堀だといわれた。そしてそのとおりだった。今となってはそれらしいものがわからない。
新海浜あたりに橋をつける工事をべつのところから見ていた覚えがある。いつのまにかその橋しかなくなり、その橋を通るようになった。
なににしても先は、湖岸道路を使うことになる。

旧道が湖側に2区間ある。その先は新しい住宅もあり橋もかわっているようで、とくに犬上川から芹川をわたるまでのあいだはさっぱり謎です。
道や橋をつけかえるのは行政の犯罪だと思う。道に迷って死んだらどうするのか、って、まあ死にはせんけど、地理がかわれば歴史も死ぬ。

彦根のあたりは道が混む。彦根城で通り道が限られてボトルネックになっている。そのために、近江八幡あたりは高速からも琵琶湖大橋からもそうだが、彦根以北からも遠い。それがかえってあの町にはいいに違いない。交通の便がよすぎても町は栄えない。

3時間近くかかった。
長浜あたりで13時になり、何か食おうと北国街道に入った。これは甘かった。観光地で売っている上に近江三姉妹のドラマもあるのに駅前の駐車場が昼にあいてる訳がない。

湖岸道路に逃げてさらに北へ。姉川河口の「呑舟」。湖魚料理という。ラウンジのねーちゃんからきいた店。
なんだかな建物は、生簀の上に建ってるのか?一階部分のコンクリ水槽で、どぼどぼ水の音がしている。
みるからに宴会もしくは会食用で、卓ごとに仕切られた座敷しかない。大人数のときは襖を外すのだろう。個人の通りすがりでごめんなさい。メニュ見ると飲めそうなものがいろいろあって、車じゃ楽しめないのが残念。キリンフリーにしたけど、後味の鼻に抜ける香りが、、、ねえ、、、、
これは店のせいではない。



さっといただこうと、「うな丼と赤出汁」のセットにしたところで、出てきたものはどう見ても「うな重と肝吸い」のセット。「うな丼ですよね」「うな丼です」
はあそうですか。





身はやわらかいしよく離れる。皮は、あめだきをあぶったように歯ごたえがあってぱりぱり。おいしかった。
思ったより量が多かった。

その後、所用をすませ、腹いっぱいでなにをする気にもならず帰りました。

サローヤンを読んで、小学生くらいの息子をつれてオープンカーで気が向いたところに泊まってまわる旅行がしてみたいと思っていたのももう昔。すでに息子は二十歳前だし、腹がふくれて気が済んだら、おっさんは家に帰るらしい。

小児科医遁走騒ぎ2011/04/06 21:36

草津の私立病院から小児科医がいなくなり、かわりがこないという騒ぎがあった。

http://mainichi.jp/area/shiga/news/20110403ddlk25040283000c.html
草津総合病院:小児救急医療センター、後任医師が不在 小児内科休診 /滋賀 毎日新聞 2011年4月3日
「草津総合病院(草津市矢橋町)に併設の同市小児救急医療センターで1日以降、交代医師が着任せず、部分休診となっている、と同市が2日、発表した。」「市によると、1日に自治医大付属病院から3人が着任する予定だった。先月31日に引き揚げた前任医師から同市への連絡で着任の遅れが発覚。1日に市が草津総合病院にただすと「担当の病院事務長と連絡が取れない」と言われたという。」


ほんまに自治医大かと交渉してたんかと思うと、案の定怪しいらしい。

http://sankei.jp.msn.com/region/news/110406/shg11040602590003-n1.htm
内科医不在問題 草津総合病院、派遣要請せず? 滋賀 2011.4.6 02:59 MSN-Sankei
「草津総合病院(草津市矢橋町)に設置されている市小児救急医療センターの内科医師3人が着任せず、内科が休診している問題で、橋川渉市長ら市幹部が5日、市役所で記者会見し、草津総合病院から、医師派遣を自治医科大学附属病院(栃木県下野市)に要請していると説明を受けていたが、実際には要請していなかった可能性があると明らかにした。」



ここから先は関係しないでもない人たち(医大系マイナー、公立他院非医大系小児科、公立他院医大系メジャー、順不同)からの噂。まったくの当事者はひとりもいないので本当かどうか知りません。

噂1
草津総合の小児科(6人体制、医局は滋賀医大)が全員結束して辞める事になった理由は、勝手に当直料を半額にするなど待遇が悪いからである。相談の結果、4月以降は、1人は開業、あとの5人は徳洲会(草津市 300床くらい)に移ることになっていた。
滋賀医大小児科の教授は後づけで、医局会も経てこの5人の徳洲会への移動を認めた。でないと草津市の小児二次救急はできなくなる。この話は昨年11月には決まっていた。
ところが草津の徳洲会は3月30日(ころ)、全員の内定取り消しを、小児科教授に通知。これをもって血の粛清事件とか 金曜日の虐殺 とかいうらしい。
こまった教授は5人を滋賀県内の公立病院に1名ずつ押し込んだ。結果的に草津の小児2次救急がなくなったので、滋賀医大が小児科当直の人数を増員して引き受けている。滋賀医大的には赤字増。
草津は医療圏としては大津にあたり、県の動きは鈍い。困った草津市市長が滋賀医大小児科を尋ねてきたけど、どうにもならない。

噂2
草津総合はもともと自分勝手に動くので嫌がられていたが、今回、滋賀医大小児科医局にことわりなく、成育医療をするといってほかにも小児科医をあつめ、つきあいきれないので滋賀医大が引き上げたらしい。

噂3
草津総合は、成育医療導入を口実にいろんな補助金をいれ、事務局長はそれを着服していた。滋賀医大小児科医が逃げてそれどころではなくなり、自治医大から呼ぶと適当にいっていたがなんともならず、遁走したそうだ。


なにがなんやら藪の中。あくまでも噂です。
徳州会がかかわるとしても、いきなり手を引いた理由もいまいち読めない。かわりになんかのバックアップを得られるつもりだったのがないのがわかったとか、ですかね。噂からさらにいろいろ類推するのも馬鹿ですが。


(追加 4/7)

噂4
徳洲会は、全員の内定取り消しを通知する前々日に、県内のおもだった小児科医に、経営的側面からの小児科の運営法について聞き込みしていたらしい。
取り消し後、小児科教授が徳洲会にいったが門前払いされたとか。


小児科2次救急引き受けても、経営的にどうにもならんことにマジで気づいたのかも知れません。

(追加 4/12)

噂5
草総に3年ほど前にできた小児医療センターは、もともとは理事長の水野氏と草津市が、地元医師会もまったくするーして作った代物。むかしはそういう蜜月もあった。患者が多かったのは確かで大津の北の高島あたりからも患者は来ていた。何でもみるというんだからそりゃ来るだろう。
滋賀医大小児科とおかしくなったのは NICU をつくると勝手に言い出してから。


けっこうなワンマンだったようですね。他医局の解釈としては生育医療がらみに注目しているようです。ま、噂は噂。

稲と東北新幹線と電子カルテ2011/01/16 01:51

稲はもともと熱帯の植物で、東日本以北で主食にするのは無理がある。しかし米が租税の基本になったために無理矢理つくることになった。飢饉になるのもこれでは仕方なかった。

で、最近のことでは東北新幹線。たしかに東海道新幹線が大野伴陸のせいとはいわないが滋賀名古屋間が江戸期の中山道になったせいで雪の対策が必要となり技術力は上がったが、それにしても雪の多い地域にはああいう高速鉄道は向くんだろうか。さっそく停まってるし。

日本人の癖として、新しいものに関して「それが全部に適用できるか」過剰に気にすることが多い。できるところだけ、という発想があまりないのである。で、無理矢理なんでもそれで通そうとする。医療でいうと電子カルテへの民族移動が最たるもの。停電したら過去のデータがいっさいわからず、定期的にメンテに大金が必要で、カルテ出し入れという就職先をなくしてしまうこんなものをなんでどこもここも「仕方ない」といいながら導入したがるのか。

均質であることがなにより大切なのですな。
温暖化で北海道まで暖帯になれば、稲作についてはよりよくそれが実現できるでしょう。以上屁の様な感想。

個人責任追及社会での吊るし上げと尻馬2010/10/28 13:09

福知山線、例の事故のあったところでまた速度超過があり、今回は ATS が作動して列車は停止、運転手はそれを報告したそうな。

ちゃんと ATS は作動してるし事故もなくよかったやないかと思うのだが、ネットではわからないが新聞の文面はひどかった。前の事故の遺族の談話まで引っ張ってきたのだが、聖地で気がたるんどる、けしからん、なぜ公表しない、といった体のものであった。

ええかげんにせえよと思う。その場所で以前事故があったからといって、実際に毎日長い距離を走るものが、ほかの場所と格別にいつまでも扱っていられるものか。エラーを起こすのが人であって、いちいちそれを叩くのなら、日勤教育なんかしてた以前のJRの体制と、やってることはかわらない。

こんな文脈で紙面をつくってあらたにつるし上げの素材にしてしまい、遺族だからといってここで尻馬に乗って鉄道を叩いてみせるのを見ると、問題をシステムではなく個人のレベルでなんとかしようとする日本の文化の悪い面だなあと思う。
なんかあるたびに現場の努力でなんとかしましたという美談は、問題の先送りにつながる。それが積もりに積もって身動きが取れないのが最近の日本の制度の身動きのとれなさではないのか。

ただ、あえてガラパゴスよしとするなら、個人の責任の追及の果てに生まれる社会を見てみたいような気がしなくもない。現状ではまだ足りない(笑
世界史に日本が与えられる知的遺産というか教訓はもしかしたらそれだけかもしれないですな。

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101028ddm041040155000c.html
鉄道トラブル:脱線事故現場、速度超過で進入 ATSで停止、JR西公表せず 毎日新聞 2010年10月28日