いった店 なくなる店 グリル花 再開する店 ハマムラ ― 2014/09/12 20:12
「Tiem an HUONG VIET / ティエム アン フォーン ヴィエット」 ベトナム料理 押小路
たしかに自家製というフォーの味は乾麺とは違うが、歯の裏にへばりつく感じで、私は乾麺のほうが好きだなあ、ごめん。慣れるとこれがよくなるもんなのか。
牛肉はやわらかかったし、味は好きですよ。名の通った、前からの店。遅めにいってがらがらでバイト娘が接遇してくれたので、うわさに聞く、あるじの接遇は、おめにかからず。
なくなる店。
「グリル花」 長浜
今月いっぱいだそうです。とても残念です。
ビフカツサンドダブルを食った。やわらかくてうまい。これももう食えなくなる。つか今後のこの地での晩飯どうしよう、、、、
ここの裏、というか、大通側の、以前居酒屋横丁があって火事でできた更地にも重機がはいっていた。いまさら飲み屋街にせんやろうが、しかしまわりにクラブもあったりする、マンションもなかなか売れない立地になにができるんだろうか。
ところで、
河原町のハマムラ、府庁前に移転して、19日開業だそうです。丸太町釜座あたり。
「チャイニーズレストラン ハマムラ」、楽しみにしております。
「能登」にて、また琵琶湖鰻にありついた。ラッキーでありました。来年は食えるかねえ、、、
にゃあが止まって、再開したと思ったらまた止まりっぱ、DDOSらしい。困るなあ、、、、
いった店 ひさしぶりのビフカツ 神戸と京都 ― 2014/09/18 14:46
神戸の「洋食のアイハラ」がなくなってた、昨年1月に閉店されたようだ。残念。
「ビストロ ジロー」 三宮 洋食
アイハラがないので、ちょっと歩いて向かい側の2階のここ、17年ぶり。建物の前の行列は、1階のラーメン屋のものであった。

おちついたカウンタ空間で、CDが真空管アンプで鳴ってる。むかしがどうだったかもう覚えてないが、このご夫婦だったんだろうなあ、かなりもうご年配。

ビフカツはオーブンで焼く式、やわらかい赤身でおいしいのですが、衣はもうはじめからソースでへにゃへにゃなのはこういうものというべき。セロリの佃煮などびみょーにいろいろ独自味があるようです。牡蠣フライの時期を待つ客がけっこうおられるようだ。
「楽友会館レストラン」 京都 洋食
京大内にはむかしは生協の食堂とちんまりした喫茶部しかなくて、たとえば研究会の流れで京大関連施設で食うというと、この大正以来の学友会館か、東一条を南西に入った京大会館だった。
京大会館は2010年に各種事情でなくなった( http://www.kyoto-up.org/archives/1099 )。この楽友会館は、1990年代にメニュー縮小へて食堂は消えていたのですが、食堂喫茶部は復活した模様。どういう資本だろうと思いつついつからですかときくと、4年前からといわれた。
本部の時計台下や正門横のあたらしいレストランやカフェは、まともにフレンチすぎたりラフすぎたり。ここでは、教員(もう教官じゃないのだな)が訪問研究者と連れ立って、もしくは学生引き連れて、古い建物で、むかしっぽい洋食を食ってる。

この建物で20年以上ぶりのビフカツは、トマト系赤いソースがかかっていた。これはたしかに昔もこうだった。

ただ今の時代ではもう、本体もつけあわせも、総じて出来合い感が強いですねえ、実際にどうかは知りませんが。
場所の力で、いってみてもいい店と思う。関係者じゃなくても入場料いりません。
いった店 松阪すきやき 京都中華 なくなる大阪串揚げ ― 2014/09/28 01:09
「和田金」 松阪 すき焼
20年近くまえ、京大病院南の喫茶店「カスガ」でカレー食ってたら、おばちゃんと常連さんが「シマカンにいって」「ワダキンでは」と話をしていた。志摩観光ホテルと、この和田金の話題だろうと思いつつ、志摩観光ホテルは行く機会ないまま改築、このたびやっと和田金にいった。
カスガは、とっくになくなりました。

鉄鍋の火力は炭火ですが、木炭がまったくはぜないのは見事。
割り下なんぞ使わない京都や奈良は、松阪式と称する場合、まずざらめを撒き醤油をたらしてから肉を置いていくのですが、現地のここではまず肉をしいて砂糖そして醤油をかける式。うし肉、みたところさしはそんなに見えない。非常にやわらかかった。
砂糖と醤油を肉で食ってる感がどうしてもするのですね、このすき焼という食い物は。でもまあ名物としていっぺんくらい食っておいてよいものです。
「老香港」 京都烏丸四条 中華
まだ書いてなかったか。かって三宮で流行った店ですが、いつのまにか本店が消えていまではこのCocon烏丸地下の店のみ。
神戸北野坂の店では、酔蟹とかいただいたもんだった。もちろん接待です、ええ時代w
中華香料をあまり感じない。くせもなく、あたりさわりもないので会食とくに接待には使いやすいでしょう、あいかわらず。
10人ほどのテーブル、まず大皿をみせてから、お店のほうで分けて出す式でした。
前に、ここの飲茶をお昼にいただいたのですが、これは私の体調のせいでしょうがかなり脂っぽくて腹具合にきた。今回そういうことはなかった。
中国っぽい片言しゃべりのマネージャーが、急用で素がでるとぜんぜんなまってない。ゼンジー北京かい。
給仕女給はリアルチャイニーズのようです。2列にならべた茶碗に茶を入れるに、奥の茶碗に入れるときに急須の尻から茶が手前の茶碗に垂れ落ちるのは勘弁。
「ハマムラ」 府庁前 中華
河原町ハマムラが移転してきたので減量中だけどいってみた。しかし残念ですが、平日昼に関しては、当分様子見たほうがよさそうです。まだちゃんと回っていない。
開店間もないせいなのでしょうが、、オペレーションがあまりに悪い。とくにカウンタ配膳係の2人のおばちゃん、駆り出された親族なのか?若いバイト君も、レジが打ててない。客あしらいも不器用。
若いご店主やその家族らしい人も、調理したりいろいろしてるにしても、移転して新装開店ならもうちょっと「今後ともよろしくお願い」的に愛想振りまくもんだろうに、ひきつった顔のままで、何をいうわけでもなし。どうなんだろうね。
この部分は、慣れたらなんとかなるもんなのかもしれません。
ですが、以下、気に入らなきゃいくなといえばそれまでで、まあ客のとやかくいうことじゃないとは思うが、、、、、、
ながいカウンタ、テーブル席は奥にすこしあるのみ。平日ランチはひがわりの麺とチャーハンのセット1種のみ。
府庁や日赤のランチ客をあてこんでこのつくりにして、多メニュ対応の余裕がないので多目のランチセット一種で割り切ったということかもしれんが、ただのラーメン屋のランチだよそれじゃ。
そもそも、がっつり腹いっぱい食いたいという時代でもないし、もともと、そういう店でもないと思うのですね。セットのみだと、ほとんどの中年以上年齢層にはちょっと量が多いうえに、ひとり1セット必須としてシェアも許さない。せめてセットの要素である、麺単品、チャーハン単品、も出したらどうなのだろう。年寄りを連れてきた家族が、え、麺チャーハン一緒なん、と呆然としていた。年寄りこそ、平日昼にそれぞれ好きなものをちょびっと食べにくるのだから、これはもう切り捨てでしかない。会計がややこしくなるというのかもしれんが、飲み物はいろいろ出すのだから金額単純化はすでにもう破綻してる。
しかも、平日ランチにださない一品のちゃんとのったメニュ表を平気でテーブルに載せている。飲み物が載ってるから使ってるのかもしれんけど、食えないものを平然と見せられていい気はしない。こんなのがあるならまた晩に来よう、にはならないのですよ。
女性サービスに杏仁豆腐がつくw。ママ友がランチ会するおしゃれなビストロなんかだとスイーツは重要ですが、このクラスならむしろ減量したレディスランチ対応するのが通常で、なんだか勘違いしてるように見える。連れは残していた。
これじゃ、ハマムラ株式会社(別組織、開店祝いを寄越されている)が京都のあちこちのイオンで展開するチェーンの劣化コピーにみえちゃいます。あっちのほうが少なくともランチに選択肢はある、一品はないにしてもね。

私個人としては、一品をざっと見るに、かやく春雨スープがなくなったのがイタい。焼き餃子、チンジャオロース、マーボドーフなどが献立に加わったが、どこにでもあるもん増やしてオリジナル減らしてたんじゃ本末転倒じゃね。
改装改築移転などハコの変更を成功させる基本は、当座は内容を変えないことなんだけどな、前の形がそんなにまずかったのか?
ランチ需要はある場所だからそこそこはやっていけると思う。それをいいことに現状のまま、では、前からの客としては非常に残念。ま、それが経営陣の選択なら仕方ないんですけどね。
既出ですが。
「松葉」 梅田地下 串揚げ とおりすがりにぷらっと一杯飲んで数串食う、のによかったのですが、今月一いっぱいで閉店だそうです。なもので、これまた減量中にもかかわらず大阪までいきました。
近所にもっと広い本店があるそうですが、わざわざいかないよねえ、、、

ふだんならサラリーマンがダークダックスのように体を斜めにしてびっしり並んでるもんだが週末は並び方が甘く、入れない数人の行列すらできていた。
冷めては揚げなおすのも含めこんなもんなのであって、なくなるのは残念。
この近所での勉強会のついでに寄ってここのネタにしたのももう3年半以上前。
「松葉 串揚げ 大阪 ほか 勉強会など 」
流れてきた店復活した店なくなる店、ついでに、懐かしい店の話。
おおむかし吉田本通りの「お千」という天ぷら屋さんによくいった。
もと芸妓のおせんさんというおばあちゃんがやってらした。
1992年、京都にいない間に、お店はなくなってしまった。おせんさんがその後どうなったんだろうと思ってたのですが、第一日赤にかかられていて、膵臓のご病気でなくなられていたと、このたび聞いた。
もう生きてはおられまいと思っていたのですが、あらためて、ご冥福をお祈りします。
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