病院のやめどき2011/01/26 14:09

知人の話。

眼科スタッフ4-5人の中規模な病院で部長をやっていて、症例数がどうしても少ないので(硝子体手術200とか緑内障手術100したいとかいうと、そりゃ病院が限られる)、データも思うように集まらず不満だったそうな。
それでもその地域に多い病気をしらべて日本語論文を書き、ものによってはとりきめをつくって採血して遺伝子検査につなげ、もと医局の大学の集める症例はどんどん送って、まあそれなりに楽しくやってきたつもりだったそうな、日本語論文というあたりが弱いけど。

もっと症例の集まる病院にいきたいといっても人事権者の教授はふんふん生返事するばかり、おまえなんかじゃ力不足ということなんでしょうか。10年近くでさすがにネタも尽きてきた。ま、煮詰まりますわね。
いっぽうで開業父親が倒れてそこそこはやってるクリニックをどうしようかということになった。でかい病院にいけるならもうクリニック捨ててもよかったんだろうがそうでもないので、継承する時期かと思い、挨拶は必要と思って教授のところにいった。

春には人事異動で、部下3人のうち2人が入れ替わり、しかも新しくくるものは前の病院での当たりが悪くて論文がないつまり専門医になれない。
すぐにやめるのもなんだし、まとめておきたい仕事も少しあるのでそれで論文を作ってやることにして、半年だけいて、やめますと言ったそうです。

教授は嫌そうに、後任の人事はなかなかないのでやめたら3人でやってもらわないといけないといいつつ、部下たちの最年長者も専門医取れない状況なのは把握してない。そのうえ、今どこもスタッフが足りなくて、1年待っても上の立場のものが送れるかどうか分からないとまで言う。
彼は、自分がやめたら研修指定病院を維持できないのではないか、だったら研修医にはまずいんじゃないかときいたが、そこのところは教授の一存でなんとかなるんだそうな。

だったら、無理にいたっていつやめたって同じなんだから、自分の決めたとおりにやめようと彼は思った。

人事異動は年度替りにすることにしているって教授。そんなこと知らないよ、部長人事なんて別もんだし、大学にもあちこちの大き目の病院にも、歳だけ食った役立たずがごろごろしてるじゃないかと彼の内心。研修プログラム病院の維持するという名目が前はあったが、そんなものがもう維持できなくなってる。研修プログラム病院じゃなけりゃ専門医を集める必要もない。
彼のいる病院を医局のためにどの規模で維持するかどうかは教授が考えることで、やめると決めた以上自分のしったこっちゃないし、べつに取引する必要もなくその材料も提示されてないよな、と考えた。父親の調子が悪いから自分が辞めても部長できそうなひとをよこせといっても無視してきたんだしね。

新人がどの程度できるかみてから決めてくれといわれて、考えますといって退去、そのまま病院に戻った彼は院長のところに行って、父親の具合が悪いので秋にはやめる、春の人事異動の後半年は面倒見ますし、そのあと必要なら週に一回きてもいいです、教授にも挨拶しましたと頭を下げた。

まあこれで決まりでしょう。
技術者というのは見切りをつけたら自分の都合で動くのに躊躇はない。

眼科バブルのときに大量に入局して、あふれかえったものだから結局みなそんなにいい目にはあっていない。それみてたら新人も来ないから悪循環。褒賞も新兵補助もない現場指揮官もどんどん脱走しつつある。
日本ではとくに大学教員は、人間性を問われない、なりふりかまわず職場にしがみつくほうが残るようにできており、学会関係で狭い範囲のお仲間に、製薬会社のおいしいお菓子をばら撒くのが大きな仕事になっている。当然、勤労奉仕に近い状態の関連病院現場のモチベーションをあげられる腕はない。組織運営能力の検証は一切行われない。「検証」というのは日本人のもっとも苦手な分野です。
大学から出て行ったものがいい人たちだという気はないよ、立場のなせる業であって、そこにいればみなおなじようになるのだろう。自分のための場所と金を奪い合うシビアな状況でそうならないほうがおかしい。

眼科医療に関しては、有効性のあるほとんどのことは開業医でもできるようになっている。実際に、開業してからアホみたいに症例こなして英語論文出しまくる人も居る。とても珍しいですが、できるということです。
でも、開業医のよさは、目洗いだけでも生きていけるところで、あとは目を洗って余生を過ごすよと彼は言った。