ほんとに心因性か? ― 2010/12/04 14:32
小学3年くらいの女の子の視力が出ないとやや上品そうな母親がつれてきた。変な感じのない子供だが、たしかにほとんど屈折異常ないのに裸眼0.2ほど、矯正もできない。
ざっとみて、器質的にはとくにどこも悪くなさそう。生活上そんなに困らないようでもある。
他院でしばらく様子見てたがどこもわるくないのによくならないので流れてきたという。兄弟はときくと、お兄ちゃんがいるという。妹か、、いたずらされてるならともかくパターンじゃないなあと思いつつ、トリック(プラスマイナスのレンズで、一見矯正してるようでじつはぜんぜん度をいれないで視力をみる)してみたらちゃんと視力が出た。
散瞳や視野するまでもないかなと思い、視力が悪いんじゃなく出にくくなってるようです、ストレスとかでなったりしますけどどうですか?ときいたら、ああやっぱりという感じで母親、兄弟の仲はいいが学校でいろいろあるし担任ともあわないみたいでと。
乗せられてしまい、まあその可能性あるからと、膝枕点眼について説明してるうちに母親が涙ぐみ始めた。視力が出ないので母親はずっと気になってたのが、ああやっぱりそうなのかなんてかわいそうな子というのがあふれてきたんだろう。
まずいと思った。本当に心因性の視力障害かなんてまだまだわかったもんじゃない。視力が出たとはいえきっちり黄斑もみてないし、屈折もせめてサイブレして調べておかないといけない。心療内科にもコンサルトが要る。心因性というのはいろんな検査した上でたどり着くところでないといけないとは思うので、印象のままにまず言ってしまったのはいかにもまずい。
もしそうだったとしても、そっから、子供がストレスに対抗できるようになるまで親が安心させてやらねばならないのであって、親の心がまず外罰へむかってしまってはどうしようもないのである。トリックで出る程度なんだから程度も軽いといえば軽いし、だいたいそのストレス元がこの親ではない理由もない。
今後注意しようと思った。この子供も、ほんとうにそうなのかわからないので今後また念のためいろいろ調べるつもりではあるのだが。
mg at DS
ざっとみて、器質的にはとくにどこも悪くなさそう。生活上そんなに困らないようでもある。
他院でしばらく様子見てたがどこもわるくないのによくならないので流れてきたという。兄弟はときくと、お兄ちゃんがいるという。妹か、、いたずらされてるならともかくパターンじゃないなあと思いつつ、トリック(プラスマイナスのレンズで、一見矯正してるようでじつはぜんぜん度をいれないで視力をみる)してみたらちゃんと視力が出た。
散瞳や視野するまでもないかなと思い、視力が悪いんじゃなく出にくくなってるようです、ストレスとかでなったりしますけどどうですか?ときいたら、ああやっぱりという感じで母親、兄弟の仲はいいが学校でいろいろあるし担任ともあわないみたいでと。
乗せられてしまい、まあその可能性あるからと、膝枕点眼について説明してるうちに母親が涙ぐみ始めた。視力が出ないので母親はずっと気になってたのが、ああやっぱりそうなのかなんてかわいそうな子というのがあふれてきたんだろう。
まずいと思った。本当に心因性の視力障害かなんてまだまだわかったもんじゃない。視力が出たとはいえきっちり黄斑もみてないし、屈折もせめてサイブレして調べておかないといけない。心療内科にもコンサルトが要る。心因性というのはいろんな検査した上でたどり着くところでないといけないとは思うので、印象のままにまず言ってしまったのはいかにもまずい。
もしそうだったとしても、そっから、子供がストレスに対抗できるようになるまで親が安心させてやらねばならないのであって、親の心がまず外罰へむかってしまってはどうしようもないのである。トリックで出る程度なんだから程度も軽いといえば軽いし、だいたいそのストレス元がこの親ではない理由もない。
今後注意しようと思った。この子供も、ほんとうにそうなのかわからないので今後また念のためいろいろ調べるつもりではあるのだが。
mg at DS
失せものに対する感覚 ― 2010/12/09 11:26
病棟の機器はナースが管理することになっている。
細隙灯のランプが切れて交換しようとするとランプが抜けないという状況で、外したままのランプボックスの蓋と新しいランプとが、その細隙灯の台においてあった。
確かに抜けないので、ペンチもってきて引っこ抜くか業者にきてもらってくださいといっておいてその翌日。
ランプは交換されてるがランプボックスの蓋がなくてあけっぱなし。若手医師に訊くと、前日自分が見たときはすでに蓋も換えランプも台の上からなくなっていて、仕方なく自分はさらにあたらしいランプをもってきて入れたといった。
師長がみあたらないので、主任に、蓋をちゃんと探せといって外来していたら、物品の事務員が、こんなもんが回ってきたんですがと、その細隙灯の修理伝票もってきた。
病棟にコール、伝票書いたナースを呼んで訊くと、探したけどありませんとしれっとしていうので、もっとちゃんと探せ修理伝票ですますなとしかりつけた。
本当にないなら仕方ないにしても、それは故障じゃなく紛失であって、せめて責任者の始末書くらい出さないと、なくしても買えばいいという感覚になってしまう。自分の金じゃないからといいかげんなことをされては困る。
探したというが、ドクターがもっていってないか見てないかとの確認すらせず、探したといえまい。少なくとも私は訊かれていないのである。
旧日本軍では、失せものについては個人責任が追及されて、裏で盗みあうなどけっこう陰惨だったそうだが、其れにしても当初は、無くしたといってへらへら新しいものをもらいにくるなということだったんだろう。日本人は結果に完璧を求めていつまでもフィードバックかけるから、最終形としては、どうしようもないシステムが仕上がるのだが(だから青少年保護条例についても危ないと思う)。
先日娘である高校生に楽器用のチューナを新しく買ってやって、貸していた私自身の簡易なものを返せといったら、ギターに取り付けるアーム部分のばらばらになったものをもってきた。バイオリンには邪魔なので外すのはいいのだが、組み立てると一部足りない。探せというと、数日たっても、ないという。
ないはずがあるか部屋でなくす以外ないんだし、家内に聞くとその部屋は散らかってるらしい。上からみわたしすこしものを動かして見つからないというのはどういうことかというと、弁償するといいやがる。
アホか、金の問題じゃなし、自分で探せないなら俺が探しに行くぞというと、それは困る部屋に入られるのは嫌だというので、だったらちゃんと探せ、部屋の管理もできんやつに個室を与える気はないそれすらできないならとっとと部屋から出て行けと言った。
10分たって、見つかったと持ってきやがった。
娘がこの有様だから他人のことも偉そうには言えないんだろうが。
細隙灯のライトボックスの蓋は、次の日には戻されていた。
細隙灯のランプが切れて交換しようとするとランプが抜けないという状況で、外したままのランプボックスの蓋と新しいランプとが、その細隙灯の台においてあった。
確かに抜けないので、ペンチもってきて引っこ抜くか業者にきてもらってくださいといっておいてその翌日。
ランプは交換されてるがランプボックスの蓋がなくてあけっぱなし。若手医師に訊くと、前日自分が見たときはすでに蓋も換えランプも台の上からなくなっていて、仕方なく自分はさらにあたらしいランプをもってきて入れたといった。
師長がみあたらないので、主任に、蓋をちゃんと探せといって外来していたら、物品の事務員が、こんなもんが回ってきたんですがと、その細隙灯の修理伝票もってきた。
病棟にコール、伝票書いたナースを呼んで訊くと、探したけどありませんとしれっとしていうので、もっとちゃんと探せ修理伝票ですますなとしかりつけた。
本当にないなら仕方ないにしても、それは故障じゃなく紛失であって、せめて責任者の始末書くらい出さないと、なくしても買えばいいという感覚になってしまう。自分の金じゃないからといいかげんなことをされては困る。
探したというが、ドクターがもっていってないか見てないかとの確認すらせず、探したといえまい。少なくとも私は訊かれていないのである。
旧日本軍では、失せものについては個人責任が追及されて、裏で盗みあうなどけっこう陰惨だったそうだが、其れにしても当初は、無くしたといってへらへら新しいものをもらいにくるなということだったんだろう。日本人は結果に完璧を求めていつまでもフィードバックかけるから、最終形としては、どうしようもないシステムが仕上がるのだが(だから青少年保護条例についても危ないと思う)。
先日娘である高校生に楽器用のチューナを新しく買ってやって、貸していた私自身の簡易なものを返せといったら、ギターに取り付けるアーム部分のばらばらになったものをもってきた。バイオリンには邪魔なので外すのはいいのだが、組み立てると一部足りない。探せというと、数日たっても、ないという。
ないはずがあるか部屋でなくす以外ないんだし、家内に聞くとその部屋は散らかってるらしい。上からみわたしすこしものを動かして見つからないというのはどういうことかというと、弁償するといいやがる。
アホか、金の問題じゃなし、自分で探せないなら俺が探しに行くぞというと、それは困る部屋に入られるのは嫌だというので、だったらちゃんと探せ、部屋の管理もできんやつに個室を与える気はないそれすらできないならとっとと部屋から出て行けと言った。
10分たって、見つかったと持ってきやがった。
娘がこの有様だから他人のことも偉そうには言えないんだろうが。
細隙灯のライトボックスの蓋は、次の日には戻されていた。
トップ会談(笑 ― 2010/12/10 14:31
知人の地方病院眼科部長の話です。
彼の病院はA大学の関連病院ですが、スタッフのうち一人は、その大学医局出身のひとが教授してるB大学からきていた。この話、A大教授が中継ぎしたもので、彼はその一人がA大学の人事のもとにあると思い込んでいたのに実はそうではなかったというのですが、、、
もともとスタッフが一人開業で翌3月一杯でやめることになっていた。そこへ、そのB大派遣医師も、人手不足なので翌1月から戻しますとB大教授が手紙をよこした。8月末にそれを言われて困らない人間はいない。
A大教授も、翌4月からなら2人送れるかもしれんがそれより早いのは無理という。彼は、B大教授に電話でかけあってとりあえずB大派遣医師も翌3月一杯まではいるようにもっていった。ただ、B大教授意地になってしまったのか、それで限界といって動かない。専門医試験を考えたら6月までいたいとB大派遣医師本人がいったのがいけなかったのかもしれない。ボーナスを口実にすればよかったのに。
ということで、翌3月おわりには一時的に2人足りない状況になります。
そこで、A大のほうには、2人もらえるならうち1人を翌3月からもらえんだろうかとも直接言った上でメールでもお願いしたわけです。
この12月になって、A大の人事がきまったが、2人補充はあげるけど翌4月からしか無理とすげないメールが来た。2人の異動もとは、かたほうはそこそこでかい病院だしなんともならない訳がないのだが、彼のためになんとかしようとはしなかったということですね。
そこで彼は院長室にでかけていって、いまから電話するので話をしてくださいこれこれしかじかと説明、その場で院長室からB大教授に電話。
院長わりと気さくに口を利いてくれる性質であり、派遣医君を良くやってくれる人でとほめたたえ、2人いっときにかわるのでは引継ぎも何もないなんとか1ヶ月延ばしてくれないかと頼み込み、結局2週間の延期を引き出しました。いい院長ですな(笑
これで、4月はじめ1週間はむしろ1人増の体制になりなんとか余裕で引継ぎもできそう、首の皮一枚でつながったと、彼はほっと一息。
B大教授のほうは、また余裕ができたら送りたいのでよろしくといい、院長は、それはまたぜひと、大人の会話が行われていたそうです。
さすがに院長まで持ち出すと、まったく譲歩なしというわけにはいかないという、トップ会談の成果でした。どっちもそれなりに社会性があってよかったという話でもある。どっちかが「へん」だったらこじれて話にならないが、この2人ならふつうに話が通るだろうという彼の判断でした。
それにしても、たとえ電話であっても直接の対話でなければ人間関係は成立しない。メールなんてどうにもなりませんな。
彼の病院はA大学の関連病院ですが、スタッフのうち一人は、その大学医局出身のひとが教授してるB大学からきていた。この話、A大教授が中継ぎしたもので、彼はその一人がA大学の人事のもとにあると思い込んでいたのに実はそうではなかったというのですが、、、
もともとスタッフが一人開業で翌3月一杯でやめることになっていた。そこへ、そのB大派遣医師も、人手不足なので翌1月から戻しますとB大教授が手紙をよこした。8月末にそれを言われて困らない人間はいない。
A大教授も、翌4月からなら2人送れるかもしれんがそれより早いのは無理という。彼は、B大教授に電話でかけあってとりあえずB大派遣医師も翌3月一杯まではいるようにもっていった。ただ、B大教授意地になってしまったのか、それで限界といって動かない。専門医試験を考えたら6月までいたいとB大派遣医師本人がいったのがいけなかったのかもしれない。ボーナスを口実にすればよかったのに。
ということで、翌3月おわりには一時的に2人足りない状況になります。
そこで、A大のほうには、2人もらえるならうち1人を翌3月からもらえんだろうかとも直接言った上でメールでもお願いしたわけです。
この12月になって、A大の人事がきまったが、2人補充はあげるけど翌4月からしか無理とすげないメールが来た。2人の異動もとは、かたほうはそこそこでかい病院だしなんともならない訳がないのだが、彼のためになんとかしようとはしなかったということですね。
そこで彼は院長室にでかけていって、いまから電話するので話をしてくださいこれこれしかじかと説明、その場で院長室からB大教授に電話。
院長わりと気さくに口を利いてくれる性質であり、派遣医君を良くやってくれる人でとほめたたえ、2人いっときにかわるのでは引継ぎも何もないなんとか1ヶ月延ばしてくれないかと頼み込み、結局2週間の延期を引き出しました。いい院長ですな(笑
これで、4月はじめ1週間はむしろ1人増の体制になりなんとか余裕で引継ぎもできそう、首の皮一枚でつながったと、彼はほっと一息。
B大教授のほうは、また余裕ができたら送りたいのでよろしくといい、院長は、それはまたぜひと、大人の会話が行われていたそうです。
さすがに院長まで持ち出すと、まったく譲歩なしというわけにはいかないという、トップ会談の成果でした。どっちもそれなりに社会性があってよかったという話でもある。どっちかが「へん」だったらこじれて話にならないが、この2人ならふつうに話が通るだろうという彼の判断でした。
それにしても、たとえ電話であっても直接の対話でなければ人間関係は成立しない。メールなんてどうにもなりませんな。
なくなった店 吉田屋 長浜 ― 2010/12/10 23:03
私の気になる店は、古くて、客があまりいない。
そういう店は、高率に、早いうちになくなる。やっていけないんだろう。
そういう店は、高率に、早いうちになくなる。やっていけないんだろう。
長浜駅前に、吉田屋という、ちょっと古びた定食屋があった。
かねて気になっていたが、8月、電車待ちの夕刻に寄る機会があった。
古びた店内は、雑誌新聞がおかれ雑然とした感じ。おっさんがテレビ見ながらものを食ってる。
カウンタのむこうの厨房ではおばちゃんがサバのフライをあげていて、それいただいてビールを飲んだ。
ああ、ええ感じやね、また来ようと思いつつ秋には寄る機会なし。
12月になって寄ったら、すでに取り壊し中。
張り紙を見ると、10月に、廃業したらしい。
壊された窓から覗くと、暗くて荒れた空間。
ああ、またまた法則発動か、とがっくり。
なくなった店 加茂川寿し 京都 ― 2010/12/12 15:52
過去のデジ写真をみてたら出てきたので。2007年撮影。
三条大橋を東に渡って川端通り越えてすぐ、北側にあった。
この数年でなくなったと思います。
割烹着着たおばちゃんが入り口で食券を売ってた。寿しといいつつ実質定食屋。各種洋食も麺類丼物もやってた。
私はいつもビフカツでした。単体は金属横長のお皿にのってでてきた。1000円以下、かっちり衣のへばりついた、揚げなきゃ食えない硬めの肉で、たいへんによろしかった。
寿しそのものも、押し寿司巻き寿司お稲荷さんがメインと見えた。
90年代なかばからちょこちょこいってたので、私が行ったからなくなったとは思いませんが。店内も撮っときゃよかったなあ。
三条大橋を東に渡って川端通り越えてすぐ、北側にあった。
この数年でなくなったと思います。
割烹着着たおばちゃんが入り口で食券を売ってた。寿しといいつつ実質定食屋。各種洋食も麺類丼物もやってた。
私はいつもビフカツでした。単体は金属横長のお皿にのってでてきた。1000円以下、かっちり衣のへばりついた、揚げなきゃ食えない硬めの肉で、たいへんによろしかった。
寿しそのものも、押し寿司巻き寿司お稲荷さんがメインと見えた。
90年代なかばからちょこちょこいってたので、私が行ったからなくなったとは思いませんが。店内も撮っときゃよかったなあ。
最近のコメント