診断書のための検査など どこまで医者のせいか2012/01/29 21:30

竹の杖のご年配がやってきて、身体障害と障害年金の診断書が欲しいといわれる。
片目は剥離の術後で失明。たしかにちいさく固まった瞳孔がうしろのぼこぼこに白くなった水晶体にへばりついていて、終わっている。で、もう片目も視力は0.1以下、黄斑変性だったという。

ここまではべつにおかしくないのですが、診断書書くなら最低、視野検査と眼底検査はいる。
「前にその検査したら悪くなった。悪くならないだろうな」というのですね。

普通に考えたら、悪くなるような目を検査した、そのタイミングで悪化したのだろうが、検査したせいで悪くなったと本人は思っているのだろう。そう思いたいのだろう。

申し訳ないが、うちで検査してそのあと悪くなったといわれたんじゃたまらないので、「ふつうは検査で悪くならないと思うが、その保証はありません。保証しろといわれたらなにもできませんし、そうなると診断書も書けないのですがどうしますか」ときいたら、「考える」といって憮然と帰っていった。

たぶんうちがはじめてじゃなく、あちこちにいってはそういって帰されてるのだろう。

医者のせいにされても困る、というものはある。

10年ほど前の話。
知人が大学にいたころ、落屑症候群の白内障のひとがやってきた。この病気はチン小帯がゆるいことがあるのだがまったくそれで、ちょっと苦労して眼内レンズを入れた。10分ほどよぶんに時間もかかったがなんとか仕上げて、われながらようやったとおもったそうな。
ところが、角膜内皮がもたなかったのですねえ。これはふつうにありうる合併症で、ほかの医師がしたっておこり得るし、それどころか核落下で硝子体手術することになったっておかしくなかったのだが、患者はそうは思わない。
10年前であるから、まだ「かわいそうに」と医者が思って、「あなたの眼がそういう性質です」と言わない時代だったのだ。「ちゃんと面倒みます」といって、けっきょく角膜専門家による角膜移植を、研究費でつまり患者負担無しで受けられるように手配した。
その後彼は大学も出て、離れた病院にいた。この件は教訓にしていて、白内障手術の説明も相当きびしいものにしているそうな。

ところが10年たってその患者が大学に手紙を寄越したそうな。角膜移植のあといろいろあって結局失明した、面倒みるといったのに手紙も寄越さない、あの医者に手術されなきゃよかったと。

私はきいた。「、、、それ60-70台くらいの男の人じゃない?」
手術はすべてうまくいくと思い込んで異論を認めないのが、そのあたり、ある程度社会的地位を経てきたじいさんの典型症状だ。はたして、然り。

角膜内皮障害による胞状角膜症は、全層角膜移植しても予後がそれほどよくない。最近では DSAEK がでてきて事情はかわりましたが10年前じゃ移植後も半数近くが再発しても変ではない。
しかし失明は尋常ではない。緑内障専門家に受診したことも書かれていたようなので、ステロイド使用もあったろうし、落屑緑内障をこじらせたと考えるほうが妥当でしょうが、なににしてもこれは「目の性質」なのである。
最初の手術がトリガーになった、あれさえなければとずっと考えておられるのだろう。悪いがこうなると、近寄るのがもう危険である。

嫌な時代だが、なにをやるときもリスクはきつめに申し渡し、すこしでも理解が悪ければ手を出さないのが鉄則になった。
これ、いらないことをされずにすむ患者より、するべきことができない患者のほうが多いような気がするのです。医者のやりたい放題は論外だが、患者にとっても決していいことではないと思うのだが。

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