感想 シェイプオブウォーター ― 2018/04/12 15:45
ネタバレします。
「シェイプオブウォーター」、いろいろちゃんと伏線張ってしっかり回収、画面もよくできています。
登場人物すべてにきっちり個人史があるようにつくっている。
伏線というと、首の傷はえらそっくりと初めから思わせ、最後にきっちり活用してみせてくれた。「やっぱり」と言ってしまったが、のせられたというべきか。ただ、人間にとって解剖学的にエラにあたるのはあんな首筋じゃなくてもっと顎から耳のほうなんじゃないか、そういう問題ではないか。
水圧考えたら部屋にあんだけ水はたまらないでしょうけど、そこがおとぎ話。
唯一気になったのは、水門ちゃんとあかなきゃ逃げられへんのちゃうん、ということでした。下の方あいてるんですかね、潮の干満があるから密閉はしてないんでしょうけど。
退屈なセックスはわかるんだがそもそもぼかし入れんとあかんような角度からとる画面は要ったんやろか。となると、ただの正常位じゃなかったんかな、ノーカットみたひとは特にコメントしてなかったけど。
そういうのはすっとばして感じたこと。
とても胸糞が悪くて、つまりは下っ端の潰し合いのお話なのだね。
なにかというと下っ端が世界を変える映画ばかりをよく見るのです。
そういうものに慣れ過ぎたが、こっちのほうが、あたりまえですが、リアルです。
世界なんかかわらないよ。
死ぬか化けるかで、やっとそこから逃れられるというオチが、本当に鬱だ。
井口博之氏の写真展 ― 2018/04/17 22:55
知っている方の写真展があります。

富士フィルムフォトサロン 大阪 4月20日-26日
井口博之写真展「ネパール讃歌/神々の大地に生きる」
先行して写真集も出されたのでその内容で展示されるのだと思う。
その写真は、医療ボランティア(AOCAアイキャンプ)に同行した氏による、ネパールのひとたちの、なんのことはない日常的スナップ、に、みえる。
で、私はご一緒したことがあるから知っているのであるが、、、
これ、ものすごく演出入っているのです。
決して貶しているのではない。
絵になりそうな状況を見たら、遠慮なくそのへんの家の人や通行人や子供まで、片言のネパール語で動員して、場面をつくってしまわれる。洗濯物を奪い並べ、山羊をおいたてるのも見たぞ。
そうして、色も構図も破綻のない、よくできたスナップが誕生。
これは、大したもんなのですよ。
そこにいろあそこに立てと片言身振りでいわれて、みんななんとなくその通りにしてしまう。
現場では、感心するしかなかった。
井口氏がさっくり「これはこうしたらエエ」と作り上げた中に井口氏が入り込んだ写真を、私が撮らしてもらったこともあるのだが、イメージしたであろうように撮るのはなかなか難しく、後で、ああ撮ればよかったんやなと思いだすことしきり。
言い訳すると、私は、スナップは基本的には絶対非演出という古典的な人間です。
ですので、あそこまでなんでもその場でつくりあげてしかもきれいに撮ってしまうやりようを見て、世間知らずであるが、衝撃的であった。
街角を即興のスタジオにした、といっていい。。
そしてまた、ネパール現地で、どこにでも入りこんでしまう方でもあった。
早朝のバス停のそばの集合住宅に、景色を上からみようとが階段をどんどん上がり、たまたま開いていたおうちに挨拶まくしたてながら入りこんで、ベッドの横の、火の神様の祀られた竈をみせてもらうなんて、井口氏と一緒じゃないと絶対やらない。
こういうのをコミュニケーション能力というのかは知らない。いまどきの日本ではなかなか無理やろうとも思いますが、ネパールでだって普通はやらないよ。写真撮ってるうちにそういうお方になったのか、そういうお方だからそういう写真になったのか。
街角スナップに演出なんて、という人もいようが、ドアノーの有名な、パリの街角でキスする男女の写真、あれも、甥だか姪だかをつかって撮ったもので、ほんの5秒で有名になったと、ご本人は嘯いたそうではないですか。ドアノーはいうまでもないがブレッソンの盟友というべき存在。古い名前ばかりですみませんが。
ここにさりげなく立ってる男は引っ張ってこられたんやろな、子供たちはかきあつめてきたんかいな、シーツとかきれいな色やけどいらんもんは当然ぜんぶ除けたんやろねえ、というふうに製造工程を想像しながら見ると、格段に楽しめる。
ようできてますやろ、という井口氏のにやにや笑いが、その写真のむこうに浮かぶのである。
つくるんだったらこれくらいやろうよ、ということで、私も学会が大阪であるので合間に行こうとおもいます。

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