実際にありえない設定を受け入れるか2010/10/17 23:22

前に触れた「少女ファイト」です。網膜色素変性症の兄とその弟なのですが。
http://inakameishi.asablo.jp/blog/2009/12/04/4741051
「網膜色素変性症の親」
こないだの勉強会で実際にやってる教授に聞いたのですが、遺伝子相談しても、兄弟で「こっちはかかる、こっちは大丈夫」なんていえるもんじゃないそうだから、シゲルとミチルの扱いの違いは、ミチルの種がはじめから違うかどうでもいいかどっちかだろうと、やはり思わざるを得ない、リアルな話ならね。
まあいろいろ強引で極端な話だから、他の部分も作者のこじつけだろうと思いつつそんなに嫌いではない。フィクションにはこういう、破綻をものともしない強引さがあってもいい。整合の取れた退屈なものよりはまし。

私のかってのボスは「パラサイトイブ」の作者が研究室に見学に来た折、科学的な矛盾を指摘して、「そこはまた書き直します」と言わしめたそうだが、「あそこを直したらストーリー成立せんやろう」とボスは笑っていっていた。ま、実際書き直されたとは聞かない。「アニメ時かけ」だって肝心なところ(1回分が戻ってくるあたり)で設定上の矛盾がある。でもまあ楽しめたし。

誰がみても矛盾もなく迫力のある作品なんてそうそうできないものなのだろう。それができたら一流か、超一流とまでいうべきか。

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