医療機関の使い分けと、行き先の判断2010/11/26 09:27

大学にいた頃も病院にいるときも、いつも違和感があるのだが、もうちょっと医療機関の性質を考えて使い分けしてくれんかなと思う。

世界に冠たるフリーアクセスで、保険上の扱いもあまり違わないので、勘違いする人が多いのですが、開業医、一般病院、特殊専門病院や大学病院は、ぜんぜん違う。
どうせならといって、はじめからでかいところに行こうとするのはやめてほしい。眼科の病気でないことすらある。

通常の開業医は、現実的にはプライマリーケアの場であり、ちょっと調子が悪いけど入院するようなもんではない人が定期検査にいったり、なんかあったときにとりあえずかかるところ、でいいと思う。ある程度の観血処置ができるならなお門戸が広い。つまり、「まずかかってどこに行ったらいいか判断を受ける」場所であり、「見てるだけでいい、又は、触れば治る患者」が治療対象です。ちゃんとした病院にルートがあるなら、ひごろから慢性疾患を定期検査するところとしてもいい。

一般病院は、「ちょっと手がかかるけど、方法論は確立されてるし世の中に症例も多い」患者が対象ね。入院の必要な急性期がありうる疾患をみるので、白内障を半年おきにみておくのも、まあ、ありではある。まわりに開業医のない昔ならともかく、いまの時代に開業医のやることをやっていては手が回らない。

特殊専門病院(小児病院など)や大学は「治らん患者、珍しくて症例が一般にはないので、あつめて管理することが望ましい患者」が対象というべきだろう。ここはもう紹介が絶対の前提でしょう。

ま、「眼科専門病院」という特殊なものが世の中にはあって、そういうところではなんでもみてくれてもおかしくはないが、非常に限られる。

大学に眼がかゆいだの、アミオダロンのんでるからおかしくならないか定期的にみてくれだのいうのは、あきらかに受診機関がずれてる。
いまどき白内障を集める大学病院なんてのも、なにがしたいのかわからない。緑内障、網膜剥離も、手術としてはそこそこ確立しているのだし設備も普及しているのだから、腕のいいひとがいるのかそのひとにあたれるのかわからない大学にわざわざいって、態度の悪いナースにむかつく必要があるなんてぜんぜん思えない。大学というところは緊急症例をいれようとするたびに嫌味な婦長とやりあわねばならないところであって、機動性が低いのだ。
専門でもない大学に斜視の手術されに行ったり翼状片を何とかしてくれというにいたっては、理解不能。大学にいるころ、そういうもんに不慣れな医者が手を出して残念なことになった症例を結構見た。
一般病院に、内反睫毛でかかるのはいいけど、手術がいやだ定期的に睫毛抜去してくれというのも困る。それなら開業医で抜いてもらってください。ドライアイで毎年その季節受診しては不定愁訴を垂れ流すのも勘弁。参天から、結膜の杯細胞の働きをよくしてドライアイに効くという点眼が出るそうだ。たしかによさげなんだが採用する気はない。居つかれても困る。あれは開業医のための点眼だろう。

うちでは、特に小児の、手術の要りそうな疾患については、うちでできるとはおもうが小児専門病院にいってもらう。そういうところに経験値をあげてもらうのが全体のためと思うからです。
黄斑変性も、それなりに検査はできるが、まずは治療前に、それを専門にする大学にいってもらう。遺伝子の検査する時代なのでこれも症例を集める必要がある。それに、まともに治らないのだ。視力3段階なんて社会的活動性に関しては差があるとは思えない。治らないものをずるずる引きずるより、まずはきっちり引導を渡してもらう。
そのうえで硝子体になんか注射するなら、うちでもやります。大学は手が回らないらしく、注射だけしておいてくれというのが最近多い。そういうのは大歓迎(笑

で、どこにいこうか右往左往する人もいる。
医療というものは個人に属するものなのです。腕のいい個人を所属だけで探したりネットで探すのは不可能。事情をよく知るかかりつけ医に、信頼する施設や医師を紹介してもらうしかない。そういうところにいざというときに紹介できるのが、医者の腕のひとつです。

ネットでわかるのは、よほど評判の悪い場合だけと思う。地元系の掲示板で「評判のいい病院おしえてください」なんてのをよくみるが、ほんと意味ないと思うし、実際そういう返事されてるのをよくみる。たいがいいわれて逆切れしている(笑
自分でその情報を判断する能力がないのだからどんな情報も意味ないと思うんですがね。参加者不明の多数決に自分の健康をゆだねられるのが理解不能。辻占じゃあるまいし。

ドライアイばあちゃん2010/11/26 19:26

知人の話です。

80超えたばあちゃんがいて元気なのだが、目がうっとおしいという。みると眼瞼皮膚は弛緩してタレまくり外眼角(目尻)では重なって皮膚もびらん。
これは切ったほうがいいやろうと思ったが、顔面に属することだしと、腕のいいと認める形成の先生にお願いした。
わりと上手くいったと思うという自賛の報告書が後日きた。
そのばあちゃんが、その数ヵ月後にまたやってきて目が乾いてたまらない、目尻に毎朝かさぶたみたいなのもできるとかいう。
手術はきれいにできてるし閉瞼も問題ない。目尻の皮膚はきれいなのでかさぶたじゃなく眼脂だろう、朝は出るものです。結膜弛緩はある。角膜の涙液層破綻時間は5秒以内に短縮、シルマーも両眼3mm以内、マイボーム腺は問題なさそう。角結膜も上皮障害が軽く来ている。
主に分泌性にドライアイがきてるんだろう、なかなかよくならないだろうしマイボーム腺はそんなにおかしくなさそうだから温罨法はどこまできくかわからない。
口は渇かないので採血はしないけど、結膜短縮してもいいし、角膜のおかしいほうの涙点にゲルプラグいれてみてもいいけどどうしますときいたら、いやまず自分でできる温罨法をやってみると、ここまではよかった。

そっから延々不満をいいはじめたそうな。形成の手術の後ずいぶん腫れた知人は眼科でやってもらったらそんなことなかった私も先生(知人のこと)にやってもらうのでもよかった(させてやる、的な感じだったそうな)というので、そんな次元で選ばれても困るあの形成の先生は腕のいい先生だしうちでは顔はいじくりませんと笑っていったら、さらにぶうぶう。そもそもこの症状は歳のせいだというんだろう笑ってるけど先生も80になってどんなふうに思うかなってみたらいい。
そういうことをいわれても困るとにかくいまあるドライアイ症状はプラグ入れるかどうかというところではあるので考えて希望ならまた来てくださいと答えたと。じゃあそのときはやってよと凄んで、様子をみますと帰っていった。

このばあちゃん、ORTによれば、眼底検査の様子見ながら、ここでは散瞳検査のあとで縮瞳薬いれるのかとかきいてたらしい。うちではしてませんというと、してるところも多いのにねフフンという感じだったそうな。
そんなもん効かんし、してるところだって言い訳で入れてるだけだろう。散瞳での眼底検査にミドリンは請求可能(つか、しない精密眼底がとれない)だがピロの請求なんてきいたことないわ。
知ったかぶって文句つけるだけのばあちゃんかひょっとして。

頭に来た知人、そうでなくても一般病院でドライアイの相手をするのはどうかと思ってたそうで、その場で近所の開業医の先生に、うちはもうキープティアやめるからそっちでやるなら流しますけどどうしますと電話したらしい。この話、医者も気が短いんじゃないかとは思うが。80こえたお年寄りなんだし許してあげろよ、、、、、

ばあちゃんが、プラグ入れてくれといってきたら、うちではもうやってないといってそちらに行って貰うんだそうです。ま、病診連携の昨今べつにおかしい話ではない。ドライアイをだらだら見続けるのは開業医でこそ適役だろう。
たんに、変にごてた患者が医者をげんなりさせて、いままで病院でやってたことを開業医にお願いするようになっただけです。

医者を選ぶ権利とかいうが、インフラレベルでなにをいうんだろうと思う。アメリカでは医者を選んだ時点で保険はきかなくなる。自分の保険会社と契約してない医者に保険で診て貰えないのはあたりまえだが、保険でカバーされてても指名したらもう自費ということも聞いたが本当かどうかは知りません、ありそうですが。
お客様気分で注文をつけてるうちに、どんどん選択肢は狭くなる。患者は客ではない、依頼者である。なくてもいいものを買う客なら金持った客のほうが強いが、依頼者とすれば依頼を受けてもらえないほうが困るだろう。つまり契約関係がうまくいかなくなれば困るのは患者のほうなのだ。料理人に無理難題いう料理マンガの見すぎではないかみんな。あんなもん「気に入らなきゃ食うな」でおわりであって、日本でしか成立しない分野やろう。そのメンタリティで医療もやるのか。
そこまで注文つけられてもうちでは無理、と胸を張って言い返す医者がもっと増えたほうが、結果的には全体のためと思うし、いわゆる救急車「たらい回し」の風潮もそういうことだと思う。

そこまでいかなきゃわからない、というのは不幸なことではある上に、「そこまでいってもわからず文句言うだけ」というさらに不幸な状況なんですがね。