ジャニーズ廃業2023/10/03 00:24

ジャニーズの話は最近おっさんができる若手の芸能界の話として確立しつつあるらしい。
たぶんあちこちのスナックラウンジキャバで若い女子が毎度同じような話きかされているだろう。
私もここで話題にするわけですが。

それにしてもジャニーズ事務所廃業か、ジュリーさんも加害者サイドにいる被害者のひとりという立ち位置に回りつつあるようで、ほんまかどうかはわからんけど、まあ強烈なご両親ではあったろう。
廃業のひとことは娘じゃないと言えない。

「今被害を申告されている方々の中で、私を含めて現在の役員が被害者の方々について直接知る情報は、在籍していたかどうか以外にほぼございません。
そこでジャニーやJr.と私以上に近い距離で接していらした元役員、元社員、外部スタッフの皆さまには被害者救済のご協力をぜひお願いできたらと思っております。
ジャニーズ事務所は廃業に向かっておりますが、一人たりとも被害者を漏らすことなくケアしていきたいと思っております。」

ジャニーズがこうなって、どんどんちがうところからアイドル男子出るかと思ったら、日プは今回、女子やるのだね。
サイト見て、韓国が関係してる割に、女子たちの顔にそこそこバリエーションがあって悪くないと思った、顔はね。
むしろ男子のほうが区別つかないよ、おっさんには

ジャニーズのままじゃ、そのうち誰もテレビに出られなくなるのは目に見えてたし、このタイミングなら年末年始にはなんとかなる、ということですかねえ、いろんなところで手打ちがあったのでしょう。

東山君がいまさら事務所立ち上げてマネージメントするといっても胡散臭いし、ジャニーズからスピンオフしたところにもそんなにキャパがあるとも思えん。
くだらないところで相性がいいのはジュリーさんの代わりに城島君が代表取締役になったTOKIOかもしれませんけどね、キンプリの岸君とか、ジャニーズやめたらDASH出演どうすんのと思っていた。これで出られるねw
とりあえず各マネージャが個人事務所立ち上げてつながっていくんだろうかね。大量の無名若手はそれではどうもならんような気もするし、ようわからんです。

バイトに来てる声優(の卵)女子は年末年始はアニメだらけになるんじゃないかといってた、
日テレはいいタイミングでジブリを買ったのかw

発売されなかったレコードについて2023/10/10 17:34

産経新聞に、各界著名人が半生記を連載する企画がある。
産経新聞はかなりの以前にも似たような企画があって、そのときは「わたしの人生」とかのお題で、なぜかまだ人生の仕事も終わってないような年代の人がよくとりあげられていた。
井上陽水の記事はずいぶん面白かった
花田兄弟の母親の川島憲子さんだっけを、まだ若花田貴花田とかいってふたりがもてはやされていたころに取材したものもあった。その後の一家のぐだぐだで、きれいごとはさっぱり押し流されてしまって恥ずかしい企画やったなあとしか思い出さないのです。

ずいぶん間をあけてまた半生記はじめたなあと思って見ている。
ただいまは、きたやまおさむ氏の半生記です。以前と違い、高齢者になってから取材しているのは学習したのか産経新聞。

知ってる人は知ってるがイムジン河という曲があり、発売中止になった
産経新聞ではまた、朝鮮の作曲者関係の記事を前からやっていて、それも素材にはしたのかもしれない。

話の肖像画「精神科医・エッセイスト きたやま おさむ<9> 「イムジン河」のインパクト」 2023/10/9 10:00 喜多由浩
「《南北朝鮮の分断の悲劇を歌う『イムジン河(がわ)』はアマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)がずっと歌い続けてきた歌だ。」「《朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)の抗議を受けたレコード会社が政治問題化を懸念し、突如発売中止を決定したことはこの連載の2回目(2日付)で書いた通り。総連側の要求は朝鮮民主主義人民共和国という正式国名と作詞(朴世永(パクセヨン))、作曲(高宗煥(コジョンファン))者名をレコードにクレジットすることの2点。」「レコード会社が「発売中止」を発表し、僕らはテレビ局の楽屋で、そのことを知らされました。驚いたし、非常に悔しい思いをしたことは覚えていますよ。」「繰り返しになるけれど、猛も僕らも詠(よ)み人知らずの「朝鮮民謡」だと思い込んでいた。民衆の間で自然に歌い継がれてきたようなね。フォークソングの多くは「口伝(くでん)」でしょう。」「この曲を知って「朝鮮民謡」という欠けていたピースが埋まったような感じでした。最初に聴いたときはすごいインパクトがあったのを覚えているし、曲が持つ説得力は今もダントツだったと思いますね。」

こういう話はけっこうどこでもされてるようなので、経緯の認識も、悔しさも、その通りだとは思うのですが、、

あのねえ、、という感じなんですよねえ。

民謡のつもりが、実はたかだか10年くらいまえにつくられたものを訳した上に勝手な2番3番つけたんですから、そんなもん発売中止になって当たり前としか思えないのです。当時の商慣習がどうであれ、中止はまともな判断と思う。

朝鮮総連がいいよといったって、それで本当にいいいのかそのかいわいの権利関係も日本じゃ不明だったでしょうまともな国交がないんだし。
そもそも原作曲者原作詞者に対する敬意があれば突っ走れるものではない筈ではないか。盗作といわれたのどうのって、事実が分かった時点で扱いをやめてしまわなければそういわれても仕方ない。

もともと朝鮮戦争後の分断を歌うのはわかってたんだからじゅうぶんあたらしい歌の筈で、民衆の間で自然に歌い「継がれる」とかちょっと認識がおかしくないですか?
そこで、民謡のつもりだったと言い募って、「悔しい」といまになっても言えてしまうところに、世代の精神がかいまみえて面白いとは思います。

勝ち組負け組2023/10/13 20:05

その場にずっといてでかい顔できるのは「勝ち組」なのね、
田舎でやんちゃボーイとクラスのマドンナが都会に出ないで大学にもいかずくっついて早くに子供作ってアルファードに乗ってBBQするのはそういうことです。
そんな構図が日本の田舎でいまも成立してるのか知らんけど。

沢において、イワナは勝ち組、負けたもんが川を降りて育ってマスになった。
もっというと、海の魚は勝ち組の子孫で、わたしたちは負けて海から川に、そこからさらに陸に逃げたもんの子孫です。
負け組の子孫が勝ち組の子孫を凌駕していくのもよくある。

ローマの昔、ユダヤ人が「約束の地」から追われたあともそこに居続けることができた人たちは「勝ち組」で、パレスチナ人はその末裔といえる。
でも、ユダヤ人(と自分を考える人たち)が、第二次世界大戦のあれこれで「勝ち組」に最終的に回り、パレスチナに居座ってしまった。出ていった「負け組」たちの子孫がもと「勝ち組」たちの子孫を踏み潰す構図になった。

都会に出たもんが金や地位を身につけて政治の力でむかし出た田舎のもとヤンキーやマドンナを蹴散らす感じがして、なんかどうしようもないなあという気がする。
この例えでいえば、ユダヤ人の場合都会でもいじめられまくった挙句だからさらにどうしようもない。

大陸の、文明の中心部にいつづけてきた連中はみな程度の差はあれ「勝ち組」ですからいまさら自分を変えようとはさらさら思わない。中東だとか中国だとかの大陸国家の交渉不可能なふてぶてしさはそういうことだと思っています。
パレスチナ人たちだってもともとは勝ち組、イスラエルという国家は西欧の力学でできた国で自分たちはイスラエル自体に負けたとは思ってない。そもそも、退く、ということをたぶん文化として知らない

偏見ですが、ユダヤ人はもともとが、自分らの民族を「負け組」でも維持できる文化構造になっている。
自分たちだけを選んだ唯一神が試練を与える設定の宗教とか、娘さえ生まれれば民族として存続できる母系社会とかです。
叩かれ続けながらそうやって存続してきて支配者としてのふるまい方を知らないものたちが、上に立っても被害者意識の塊のまま、反抗してくるもんを叩き過敏な防御姿勢をとりまくる。
イスラエルのパレスチナ自治区統治は非人道的な弾圧を繰り返してきた。核兵器だってもっていておかしくない。

どちらにとっても基本は失地回復なんですね。同じ場所なので妥協不可。
私ら、周辺に追いやられた負け組諸国民としては、ユダヤ人の「物語」のほうが、追いやられた負け組の壮大な復活譚と感じてしまって感情移入しやすいのもなんだかで。といいつつ、2000年前に先祖がそこにいたというだけの人間集団からいまの住民が追立てを食らうのはどう考えても理不尽ではある。
個々の悲劇との折り合いはどっちにしてもつかない

今回のハマスのテロは戦争であったとしても犯罪に属する虐殺だが、イスラエルの報復攻撃も非武装者を巻き込んで相当なことをやっていて、相互に正当化できるもんではないはず。
どちらも裁かれなければいかんだろうけど、さて誰がどう裁くのか。まあ、勝ち組側が裁かれることはまずないわけですが。

以上、オチはない。
どちらの側も諸外国とつながる気じゅうぶんなこの争いにも、いつまでもオチは来ないと思う

なぜ男女の賃金に格差があるのか2023/10/16 11:28

読書の覚え。雑な感想なので突っ込まないで。

なぜ男女の賃金に格差があるのか:女性の生き方の経済学
 単行本(ソフトカバー) – クラウディア・ゴールディン (著), 鹿田昌美 (翻訳)

アメリカの大学卒女子の経歴や収入に関して、育児と仕事とのかかわりを避妊薬なども絡めて統計資料から解析
内容:現在に至るまでシステム上の男女格差はずいぶんなくなってきたがどうしても賃金格差がなくなりきらないのは、子育てにかかわる時間自由度の違いが大きい。子供に関するオンコール体制をどっちがとるかということです。子供のために自分の時間自由度をあげれば仕事に関与する時間は減り、積み重ねの形で長期的には熟練度も下がり、職場に時間自由度を渡す形で成立する Greedy Work との賃金格差はなくならない。
男女双方ともに自分の自由度を確保すると、カップル当たりで得られない収入が大きくなりすぎる。一方が時間自由度を職場に渡しもう一方が子供の対応のために自分の時間自由度を確保するのが合理的だが、自分のための時間自由度の高い側の収入が上がらずキャリア上も不利なのは当たり前。男女どちらがどちらをとっても同じ。一つの対策は、 Greedy Work のチーム化による代替可能化促進。

なかなか解決できないと書いてもいるしチーム化は出来る範囲についての話でしょう。個人の熟練度を優先する、資本力のある顧客がいるのだから Greedy Work はなくならんでしょう。

日本における格差解消については、著者ご本人はメディアでの質問にこたえ上の世代からの影響をいっている。とくにこないだから西日本方面で親(それも母親が表に出る)が娘の将来を抑え込もうとするお話(「東京最低最悪最高」とかww)をちらほら目にするので、それも含めまあ関係のある局面もあろうとは思う。

でも、基本的にはアメリカでの制度上の変遷を前提に同程度の大卒学歴カップルが子供を持つ場合に起こる、かなり限られた話なんだから、すくなくともこの本(まともな成書邦訳はこの本ぐらいらしい)を踏まえて著者に、きっちり統計解析したわけでもなさそうな日本について訊くのは訊く方が悪い

これをもって日本の状況についてそのまま引き比べられるものではないと思うが、なんかフェミアンフェどっちの側にも一部これで日本の女子についていろいろ語りたい向きがある。
いろいろ敷衍して考えさせることのできる刺激的な論考ではあるでしょう。敷衍だけならだれにもできるし。

男女についてまた考えた2023/10/27 08:46

女性には社会性が足りないとか、自分の「お気持ち」に忠実すぎるとかいう雑なものいいがある。
一般論としてですが、それは「生物のありようとして、出産育児に全リソースぶっこんで身の安全第一だから」、という目的論的説明を思いついたがどうか。
生物としてオスメスともにテリトリー確保は重要ですが、メスは自分を含む狭い範囲の最大限の安全の確保を求め、オスはより広い範囲での自由度を求める。

ヒトメスは生物学的オスを求めるのではなく、危険な状況で身を守るために役に立つ保護者を生殖と関係なく求める。そのためには相手の性欲を利用するのがより簡単である。
ヒトオスは保護能力を性欲を満たすために利用し、結果的に生殖(精子のバラマキ)に役立つ。広くテリトリーをもてば広い範囲にばらまけるわけです。
オスというのは精子をばら撒き遺伝子を攪拌して変化可能性をもたらし結果的に種の存続を安定させる不完全なメスです、そう本に書いてあったww
  
春期の女子特有のあの過剰防衛的なイタさは、生殖機能の出現(生理)とともに、身の安全確保本能の全発揮するということで説明できそう。

で、以下は幼熟するモンゴロイドにとくにそうなんじゃないかと思うのですが、、
性欲の対象としてはオスメスともに「カワイイ」相手を求めるのが基本なのかもしれないと仮説をたてました。その根底には、哺乳類はそもそも「カワイイ」ものに弱い、という本能らしいものがあるのだと思う。
つまり、、性欲は生殖にうまく利用できるからそれを持つ個体が続いてきたけれど、性欲そのものは「かわいいもの」で「きもちよくなりたい」というだけのものじゃないんでしょうかねえ。性欲が男女共通する本能というのであれば、それくらい単純なものだと考える方がいいような気がする。

冒頭に書いたような、特に若いヒトメスが身辺に危機感があるときに守ってくれそうな人間(多くはオス)に発情して相手の性欲を引き起こすことで巻き込んで身を守るのは、「カワイイ」ものに対する性欲とは別枠にした方がいいような気がする。タクマシイ男に女が寄っていくという状況は、極端に言うとストックホルム症候群なのだろう。

オスは積極的に精子をばらまく必要(そのための存在だからね)から、肉体的な強化があったほうが有利なのでそれを利用して「カワイイ」相手を得ようとする。当然自身の「カワイイ」さを利用して性欲を満たそうとする個体は減る。天秤はどんどん傾いていく。制度も文化もそうなっていく。マチスモな社会はそうして成立していった。

ところが近代になって文化度があがり、乳幼児の生存率が上がる一方で、社会的な人間を仕上げるのにコストがかかるようになると当然出産数は減る。後継男子のいない夫婦があれば代わりに女子を使う必要がある。男子をつかいつぶす状況もあったりするわけで(大粛清後のソ連とかね)、女性に教育を施し、安全に社会生活を送れるよう、さまざまに社会のシステムがかわっていく。

社会そのものが女性を保護、というか他者から危険でない状態に維持できる、女性にとってより安全な社会では個人によって守られる必要がなくなるから、そういう意味でのパートナーシップは減って当然
その状態で相手として選ばれるのは、ほんらいの性欲の対象である「カワイイ」存在で、男女を問わない。いまどき売れるホストは基本童顔、百合も流行している。

異性愛はオスがメスを獲得しメスが保護を得る必要から結果的に定着したものなのではないかね。ジュディス-バトラーがそういう意味で言ってたか知らんが。

もひとつ書くと、社会の安全のおかげで肉体的危険から保護してくれる個別の存在が不要になったとき、ヒトメスにとって自分を扶養しないカワイくもないヒトオスを法的なパートナーにする意味はほとんどないんでないか。ヒトオスの多くが「カワイイ」を手放してきた状況で、主夫は決してメジャーにはならないということです。この部分での双方向性のなさはどうしようもないように思う。

ゲイではムキマッチョが主流なのはどういうことかについては、いま考えています。肉体的な強化がメスにとって自分の保護のための発情を状況によってはもたらすことがあるものであるなら、自分の保護が最優先とはいえないオスが発情するのはどういうことだろう。

なんにしても、少子化がおこるのはあたりまえ。そんな社会に永続性があるとも思えない。

金持ってマッチョな男が非力な女性を従えるスキームの社会の方が継代存続する蓋然性が高いのは仕方ないんだろう。

多様性が多様性を滅ぼすんじゃないですか。