トリュフ風味の卵黄2023/09/01 09:24

京都伏見大手筋の「麺極いっちゃん」は、まぜそばにトリュフ風味卵黄と柑橘で味変させているのですが、京都の三条下がる河原町木屋町間「麺匠一粒万倍」にも麺具汁ともにぜんぜん違いながら同じ卵黄と柑橘で味変させるまぜそばがあった。
HUBにもトリュフ風味カルボナーラがありもちろんトリュフを削って入れてるわけではない。

これはつまりトリュフ風味卵黄そのものが商品として出回ってるのかと思ってちょっと検索したら、 #トリュフ香る漬け卵黄 で、こんだけそれ使ったラーメンがインスタでひっかかってくるらしい。

日本国中にあるなあ。一粒万倍もいっちゃんもタゲられてる。

まぜそばというと、担々麺にシフトしてそこにあれこれぶちこんで盛りだくさんなラーメン屋が多いものですが、トリュフ卵黄のついたものは、どこも汁が少ないだけで具は通常のラーメン並みのシンプルなものが多いようです。
以下は「いっちゃん」です、卵黄が隠れてますw




ちょっと前から、いろいろ風味づけた醤油だの出回るようになってる。トリュフ醤油で下がすぐに出てきたがたぶんほかにもあるだろう(と思うが違ったらすみません
ここの醤油と組み合わせて卵を売る業者もいるけどともに中部地方。
うえに出たラーメン屋には中部地方みないので、関連は不明

ラーメン屋についてはトリュフ漬け卵黄が出回ってるのか、このへんのトリュフ醤油に各店卵黄を冷蔵庫で漬け込んでるのかはわからないけど。
卵黄が出回ってるんじゃないならHUBはトリュフオイル振りかけてるんかな。

この話をよく行く居酒屋でしてたら、いまどきほんまになんでも流通してますよと言われた。特にオチはありません。


観た映画 Barbie など2023/09/18 21:13

シン仮面ライダー」
Movix京都
それなりの客の入り。伝説的な作品のリメイクとしては、この、ふつうさは、ちょっと、たいしたものかもしれない。もとの設定自体が無理無理なので、もうええやんというか、いまどきお話として違和感ありまくり。しかし仮面ライダーだから仕方ない。これ、どこでどこまで売れるんでしょうか、というのが最大の疑問。

聖地には蜘蛛が巣を張る
Uplink京都。イランのネタだが撮影はヨルダン。こういう場所ならこんなもんやろという感じ。

きさらぎ駅
尼プラ、けっこうよくできた胸糞な話。

テイクシェルター
尼プラ。「基地外の妄想かと思ったらやっぱり予知夢でしたテヘリ」かい。

 「クローバーフィールド
尼プラ。怪獣そのものじゃなく右往左往する人間たちをメインにというのは日本でもあったと思うが、まあ面白いと言えば面白いけど怪獣そのものの魅力なければただの大災害パニック映画なんやな当たり前ですが。

青いカフタンの仕立て屋
Uplink京都。お話としてははやいうちから先が読めた。子孫につながらない生殖行動は集団とか社会のしめつけがきつすぎることで増えるバグという偏見をもつに至りつつある。だから個人ではどうにもならない。

俺たちに明日はない
DVD。クラシックとなるだけのことはあるちゃんとした映画。エバーグリーンという感じじゃないが、つまり作家性自体は高くないんやろな

ジュリア(s)
出町座。このsは複数形。軽い事前情報で想像したそのまんまの映画。「塞翁が馬」を映画にしたかったのはよくわかる。最後に全員どっかに集まるかと思ったらさすがにそれはなかった。こういうひねり方はヘプバーン主演「いつもふたりで」を思い出させるねえ。みんな考えるけどあえてやらない、感じか。

インディジョーンズと運命のダイヤル
movix京都。新作のドルビー版は観客十人もいなかった。ちゃんとみられる出来だしご立派、ですが、もうええやんなあとも思った。デジタル若返りは、表情も体のキレもイマイチだけど知ってるからそう思うのであって。4作目見てないのはほぼ問題にならず。歳食ったハリソンフォードって、「もう若くない男」しかできなくないか(暴言 その年齢にふさわしい重さ(気のせいであっても)がないような気がする そういう演技か、というのも含む。

インディジョーンズ クリスタル・スカルの王国
DVD。マリオン?息子?で、こっちもちゃんとみとこうと思ったが、テレビでかなりの部分見たかな。どこまで広げる風呂敷ぞ、といったところか。このつぎはたしかに時間を超えるしかないわな。

君たちはどう生きるか
movix京都。庵野さんは同一分野再生産やりまくったが宮崎さんはもっとストレートに大々的に自己再生産しまくってけりつけたんやなあと思うなど。総集編か。いままで、つじつまがあわないのは締め切りのせい(千と千尋なんてあきらかにそうだった)と思ってたけど、今回は締め切りは問題にはならなかったと思うので、たんにつじつまのあわん人なんやろなあ。宮崎アニメにしてはあたらしいモチーフというのは、母親が死ぬことを知っても主人公と若い(神隠し時の)母親がリアルにもどっていくとこかなあ、よくあるといえばよくある でもそれを使いたかった、というのはなんか意味あるんだろう。

アフターサン
uplink京都。過去の映像が、その過去の状況(回想)にはさまれ、あいまに現在が混じる。その現在が殺伐としている事しかわからない。それにしても「少女である」というのは一度限り回収不可能なたいへんなリソースなのだねえ。

世界でひとつの彼女
DVD。ちゃんとオチてはいないけど、きれいにまとめた、ありがちなSF。

つばさ
尼プラ。無声映画末期のもんですが、トップガン最新作に至るこの手の映画の要素は揃ってる。空中戦はがんばってる、実機なんかねあれは。クララ-ボウはかなりのぽちゃやったのね、「 it」 はもう覚えてない。

ロブスター
尼プラ。基本設定はわかる。こまかい設定に穴がいっぱいあるのはともかく、なんで最後に春琴抄になるのか理解できない

ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃
DVD。演出も特撮もちゃんとしてる。脚本もそれなりにそれっぽくできてるのに、なんでなのかこの今更感というのか袋小路感というのか。役者は仕方ないにしても。

さらば愛しきアウトロー
DVD。レッドフォード、悪くはない、ぬるいけど。イケメンは老けるとギャップがすごいな。設定の73歳にすら見えない。

サスペリア
旧版 DVD。あちこちたぶんテレビで見た。いかにもでお手頃、ラストが胸糞でもないし、照明が赤っぽいのもいい。辻褄は気にしない

マリグナント
DVD。それなりによくできた、スプラッタ。ホラーというには筋がそこそこ通っているから見てるうちにどんどん怖くなくなる。オチも穏当ですけど実際の場合この主人公終生隔離するしかないんでないか。

ミッドナイト・スペシャル
DVD。救世主ものかと思ったらかぐや姫であった。「上の世界」の都市らしいものが、新都心再開発の竣工予想図に見えた。

オオカミの家 同時上映:短編『』」
uplink京都。むかしなら京大西部講堂自主上映でやってた感じのもの。こういうひたすらイメージで押していく感じのコマ撮り多用映画はすごく久しぶり、途中眠くなるのも懐かしいが、かなり政治的な読み方ができるのがなんとも。共同体を無視した個人主義の持続不可能性というのか。

Barbie
movix京都。出町座のカサベテス特集と迷ったが、島田虎之助がカサベテス観たいだのアイドルはあかんだの書いてて、シマトラは漫画はいいけど書くことはたいがいおかしいので、これもアイドルかと思って観に行った。アイドル映画とは言えんけど。
冒頭「2001年」のパロディで笑う観客皆無。知らんのだろうなあ今時はもう。
そこそこちゃんとした映画だった。いろんなものをすっとばすのは仕方ない。オトすのに苦労していた。
主演がアン-ハサウェイにしか見えんかった
バービーのいないケンがいつまで自分を保てるのか疑わしい。セックスは男にはファンタジーだが女には岩盤リアリティなんだと思うなどした。。
世代を超えて持続する社会集団は女性を円滑に分配するシステムを持つものだとも思った。いいとかわるいとかは言ってません。


「おばんざい」について2023/09/25 18:40

おばんざい」という言葉がある。
京都における「おかず」のこと、ということになっている。これ、むかしの料理本が、よそいきとかごちそうとかではないという意味でつくった一種の専門用語でしょう。

今は使わないも何も、過去においても一般的に使われたことがあるという考証はみたことがない。御所の南側の母親実家(江戸からの商家)でもきいたことない

nikkei.com 9月6日
「もっと関西 京都人、今は「おばんざい」と呼ばず!(とことんサーチ)」
「京都の家庭料理として知られる「おばんざい」。京都の街中を歩いてみると「おばんざい」と書かれた看板やちょうちんを目にすることも多い。だが、京都の人は普段「おばんざい」とは言わないらしい。」

ばんざい は「番菜」でしょう、「番」は「番茶」の「番」、漱石の「吾輩は猫である」でこれを「サヴェジチー」と訳す場面があり、「蕃」「蛮」に通じる、「貴」の対義語で、敬意をもってよそさまに出すようなものではない、という意味を持って、「普段のおかず」について、料理本を書くとき造語したんだろうと思いますがどうか。
いうまでもないが、日常生活で、いちいち自分の喰うものの総称をへりくだって名付けることなどふつうはしません。いろんな種類のあるお茶とは話が違う。

ところで上記記事で、こういうことをいってるお方がいる。固有名詞はなるべく略します。

「一方、〇〇町で24年前からおばんざい料理店「ほっこり〇〇」を営む店主の〇〇さん(〇〇)は「おかずという意味でこれまでも使い、消えた言葉ではない。料理関連の店や人が集まる洛中ではまだ使われているのでは」と話す」

「おばんざい専門店」の人はそりゃなんでもおっしゃるでしょう、どちらのご出身かは存じませんが。中京(なかぎょう、行政区の意味ではない)ならすみません。
で、「ほっこり」というこれもいかにもな京都弁単語、語感からなんかゆったり気持ちのいい状態を想像するようでそういう使い方が一般的になってしまったが、この「ほっこり」だって、もともとは「へとへとに疲れ果てた」という意味です。
大変失礼ながら、そういう程度の京都弁の使い方をしてられる方が、観光客のたくさんくる界隈で「おばんざい」の店をしてられるということです。記事の中で堂々と意見を言ってられるので、このような突っ込みをしてもいいと考えて書く次第。