いった店 ひさしぶりのビフカツ 神戸と京都2014/09/18 14:46

神戸の「洋食のアイハラ」がなくなってた、昨年1月に閉店されたようだ。残念。

ビストロ ジロー」 三宮 洋食
アイハラがないので、ちょっと歩いて向かい側の2階のここ、17年ぶり。建物の前の行列は、1階のラーメン屋のものであった。




おちついたカウンタ空間で、CDが真空管アンプで鳴ってる。むかしがどうだったかもう覚えてないが、このご夫婦だったんだろうなあ、かなりもうご年配。




ビフカツはオーブンで焼く式、やわらかい赤身でおいしいのですが、衣はもうはじめからソースでへにゃへにゃなのはこういうものというべき。セロリの佃煮などびみょーにいろいろ独自味があるようです。牡蠣フライの時期を待つ客がけっこうおられるようだ。


楽友会館レストラン」 京都 洋食
京大内にはむかしは生協の食堂とちんまりした喫茶部しかなくて、たとえば研究会の流れで京大関連施設で食うというと、この大正以来の学友会館か、東一条を南西に入った京大会館だった。
京大会館は2010年に各種事情でなくなった( http://www.kyoto-up.org/archives/1099 )。この楽友会館は、1990年代にメニュー縮小へて食堂は消えていたのですが、食堂喫茶部は復活した模様。どういう資本だろうと思いつついつからですかときくと、4年前からといわれた。
本部の時計台下や正門横のあたらしいレストランやカフェは、まともにフレンチすぎたりラフすぎたり。ここでは、教員(もう教官じゃないのだな)が訪問研究者と連れ立って、もしくは学生引き連れて、古い建物で、むかしっぽい洋食を食ってる。




この建物で20年以上ぶりのビフカツは、トマト系赤いソースがかかっていた。これはたしかに昔もこうだった。




ただ今の時代ではもう、本体もつけあわせも、総じて出来合い感が強いですねえ、実際にどうかは知りませんが。
場所の力で、いってみてもいい店と思う。関係者じゃなくても入場料いりません。

イスラム移民とイスラム国と信教の自由2014/09/18 15:37

イスラム国にでていく、ヨーロッパからの志願兵が問題になってます.
ほとんどが中東からヨーロッパへの移民が出自と思うのですが、そこが日本のどの新聞よんでもぼかされていて、あたかもわれわれの思い浮かべるイギリス人やフランス人が引き寄せられてるように読めてしまってどうだかです。そこまで反母国的なリベラル白系って、いれば目立つしイスラム国側の宣伝には使いやすいだろうが、割合としては少なかろう。
NewsWeek はさすがにそれなりのことは書いてますが。

アメリカやヨーロッパから「ISIS」への志願者、その背景は? 2014年09月09日(火)12時49分
「まず、第一の要因はイスラム系の移民として生まれた、あるいは育った人々が、欧米の社会の中で有形無形の差別を受けて、反欧米のカルチャーに吸い寄せられてしまうという例です。

まあわかってるひとはわかってるし、わからない人に各記事でいちいち説明するわけにもということではあるんでしょうが。
こういう画像もありますな。「アニメにおけるイギリス人少女と現実のイギリスの学校の対比」





日本人のヨーロッパ理解はかなりずれてる。

ああいう原理主義的なエリアがあって、そこに在住の移民層出身者が引き寄せられていくというのは、移民統治の困難もしくは失敗を意味することではあっても、潜在的敵性移民(!)を排除することにつながるのでじつは当局はひそかに歓迎してるんじゃないかとは思うのですがどうなんでしょうね、問題は、戻ってきたら困るというステップでしょうが。

だもので、テロリストになる可能性のあるものは出て行くな、帰ってくるなら懲役と罰金、という動きがフランスで出てる、実効性があるのかはわかりませんが。


読める人に教えてもらうと、禁止を破って出国した場合は、帰国時に逮捕されて懲役3年と罰金4万5000ユーロになりうるとのことです。


ともあれ、イスラム教は、ヨーロッパのキリスト教や日本での仏教(戦国期の一向宗や真宗)のようには、血みどろの政教分離の歴史がない。
イスラム国については、家族部族以外基本的に敵と扱う遊牧民の内婚制度とリンクした、イスラム教のもっとも悪い面が出てきてしまっていると私は思う。
これを押さえ込むのは同じイスラム教徒でなければならず、その過程においていまより明確な政教分離がなされなければ未来における各宗派の妥協や他教徒とイスラム教徒の共存はないと思うのだが、どうなるだろう。

そこからまた思う。イスラムは日常における戒律の非常に多い宗教ですが、「信教の自由」を標榜する空間においては、それを認めることが「信教の自由」じゃなく、むしろそういったある宗教の戒律に公的空間が侵されないのが万人に対する信教の自由の維持である、という考え方がむしろ守られるべきで、たとえばヘジャブ禁止なんかでフランスはやろうとしてると思うのですね。まあただの保安上の理由かもしれませんが。
そこから考えると、無邪気に大学の食堂でハラル認定がどうのというのはどんなもんなんやろうと私は思っています。
イスラム教自身に「外国での食い物はハラルじゃなくてもまーしゃーないわな」というところがあると聞く。であれば、異教徒が公的施設で積極的にやることかよと、、
まちなかでイスラム教徒が自前でそれをやるとか、それでイスラム教徒が寄ってくるから「ビジネスチャンス」になるとか、っていうのなら、まだわかるのですが。
じっさい、禁忌食対応してる航空会社の機内食の種類は、すさまじい数になりつつある。これは代価の伴うサービスであって、ペイすりゃそれでいいんです。しかしインフラはそうはいかない。
公的機関としてはすべてにあわせるのは無理だから、はじめっから、素材をあらかじめ公表した上で、宗教上の理由があるなら自前で何とかしろと言うしかないと思うのだ。


イスラム教は、キリスト教よりはるかに日本との接点の少ない宗教で、ほとんどの人は接触せずに一生を終える。接触してもどういう態度をとるべきかわかりかねるだろう。
こういう異文化との接触で、日本の文化の特性があぶりだされるのが、私にとっては興味深い。
ヨーロッパの「公共」概念と日本の公共?というか「世間」概念の相違を、もっときっちり理解するのに役立ちそうに思う。いまさら網野善彦氏の著作などを読んで、そこが関心事なもので。