子供の政治利用2014/07/02 14:02

集団自衛権解釈の変更で、あちこち騒いでいる人たちがいる。
日本の自衛能力が上がって困るのはどう考えても中国なので、そちらのバック受けたグループは騒ぐだろうが、お花畑の護憲平和原理主義者も騒いでいる。

それはまあ勝手にしたらいいのだが、子供になにかいわせる大人というのがいて、いやらしくて困るのだ。


和田靜香 音楽ライター 「ぼくらは生きたい!」
投稿日: 2014年07月01日 10時39分 JST 更新: 2014年07月01日 10時39分 JST
「中学生たちは8時過ぎに先に帰り、その後、高校生たちは9時まで頑張った。途中から、抗議行動ではおなじみのドラム隊も加わり、子どもたちのコールとドラム隊の共演になった。周囲にたくさん人が集り、みんな、口々に「すばらしい」と言っている。子どもたちは大人たちを勇気づけた。」
「ぼくらは生きたい!」 子どもたちにそんな叫びをさせる政治は、私は間違っていると思う。

とある国家の機構崩壊(システムエラー) 何よりも嘘が嫌いです
『僕は戦場で 人を殺せません』



「どこかの国の政権の大人たちより,この中学生のほうが道徳的に数段立派ですね。」



冗談じゃない。お花畑の嫌いな戦時中、小国民たちは戦争が大好きで、軍に歓声を送った。
戦後戦争をののしるのは「負けたから」である。
子供はのせられやすいし、本気で信じる。状況や周囲の大人が違えば、おなじ子供らが、目をキラキラさせて軍艦について語るだろう。
むかしの子供の「ぼくも立派な兵隊になります」といまの子供の「戦争で殺すのはいや」はしょせん同じ次元のしろものでしかない

こういう、子供の未熟で感傷的な行動や作文で、いろんなものをコントロールしようという作為そのものに、一切引かずに自分の思考のみよしとしてなりふりかまわない原理主義者のいやらしさを感じる
子供を代弁者に仕立て、きれいごとをだしにして、状況を正式なルートでなしに自分の思いのままにうごかしたいという意欲があるとしか、私には理解できないのです。

「子供をだしにするのは卑怯である」と、護憲平和原理主義者の好きな「正論」を言っておきます。まあ「平和のためならいい、純粋な子供はわかっている」などと言い返されるだろうが。アホくさ。

集団自衛権の解釈変更については、そりゃアメリカのお許しがなきゃできないことです。アメリカのためと騒ぐのは筋は違わないのだが、逆に、アメリカのためという理由がなきゃ、解釈変更をアメリカが認めてくれなかったということでもある。
アメリカの本音は、日本に自主防衛なんてさせたくない、米軍の手伝いならよろしいということでしょう。
ただ、ある程度自立に成立したからには、ここから先はいちおう一般論的な解釈になるので、日本人としては、たとえアメリカが損になる状況でも行動の自由を得る足がかりを得たというべきです。

改憲手続きがあまりにハードルが高いうえ、9条遵守目的に手続きも絶対変えないといってる層があるんだから、国を守りたけりゃ実用的にはこうするしかないでしょう。

護憲派も、国民が支持するんだから大丈夫という自信があるなら、むしろ改憲手続きをもっと容易にするべきです。
自称リベラルが「相手に何も渡さない」という態度だから、相手も絡め手でやってくる。
改憲のハードルを低くした上で正々堂々と戦ってみたらどうなのか

正攻法でやりあわずに、こういうことをやってるから、軍事がアンタッチャブル領域になって、だれがコントロールしてるかわからなくなるのです。
戦争しないためにも、ちゃんとコントロールされた軍が必要なのであって、国民のためを考えればむしろ逆効果。
まあ国民のためなんて思ってないのでしょうけど。「市民」ていったいどこの何者なのか。

ただ、実際に改憲なんてしたら、アメリカはそーか勝手にやるんだなと手を引くどころか嫌がらせまではじめかねない。アメリカのバックがなければ中国は一気に来るぞ。
いまの日本の値段はアメリカ付きなのであって、ないとなったら、オーストラリアやインドの値踏みにも耐えられる状況じゃなし、日本のやりようとしては解釈変更程度ですませておくのが現状では正しいように思うんですけどねえ。シビアな国際情勢の中でアメリカサポなしでやっていける国であればいいとは思うが、現状ではリスクのほうが高そうだ。