語り部と中学生の暴言2014/06/10 13:19

長崎の、被爆者語り部に、中学生が暴言を吐いたと。
メディア報道は皆ひじょうに似たトーンです。

http://www.asahi.com/articles/ASG673RG9G67TOLB001.html
修学旅行生5人、長崎の被爆者に暴言 横浜の中学校謝罪 アサヒ
http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/news/20140607-OYS1T50048.html
被爆者に「死に損ない」 長崎修学旅行の中3暴言 読売
http://mainichi.jp/select/news/20140609k0000m040025000c.html
暴言:被爆者に「死に損ない」 長崎修学旅行で横浜の中3 毎日
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/140607/crm14060713100007-n1.htm
長崎被爆者に「死に損ない」 横浜の中3生、修学旅行中に暴言 産経

これに対しネット上でディスる論調も出ている。非常に下品ではあるが、事実とすれば知るに値する。

http://www.news-us.jp/article/399054244.html 
長崎で修学旅行生が被爆者森口貢に暴言吐いた事件の 真 相 が 酷 す ぎ た !!! 朝日新聞がまた捏造をやらかしていたことも発覚!!! News U.S.
1.当時8歳だった森口貢は、佐賀の田舎に疎開しており、長崎原爆投下の被爆者ではない。(中略)3.森口貢は、1時間1万円の「講話謝礼金」のために、「長崎被爆者」と偽称し、語り部となり、伝聞や妄想や反日イデオロギーを語っている。(中略) 7.森口貢は、修学旅行の横浜の中3生から「死に損ないのくそじじい」と言われる前に、先にキレて生徒に対して「出ていけ」と暴言を吐いていた

以下、思ったことを。

問答無用の強制イベントとして有難がってききなさい、というありようしか想定してない上に、その語り部が「実物」じゃない、という、なにがなんだかよくわかんない状況もどうだかだし、ここで強制イベントに巻き込まれたアホ中学生の振る舞いをヘイトスピーチ並みに報道するのもどうだかです。

ただの知識の受け渡しならこんな場所設定は要らない。感情移入を入り口とした歴史教育(一歩違えば洗脳なんだけどな)をたぶん目的としている以上は、退屈したアホ中学生を、きっちり巻き込んで「学習」させる力量や迫力が先生にも語り部にもなければ、本来この場は成立しない。
単に、ありがたいもんなのだから黙ってきいてろと命令するというと、これはもう日本の教育そのものですが、「場を読む」訓練の一環でしかないということですね。

繰り返すが、こういうものを強制するなら、退屈したものを巻き込み、反対するものと対話できる力量がいるのですよ。それがないのであれば、本来関心のあるものだけ相手するシステムにするしかない筈。

そんなことだから、おとなしくする能力の低い子供と、自分の経験でもないことを語り流して(つまり応用がきかない)ありがたがられることに慣れきったお年寄りのあいだの、売り言葉に買い言葉になってしまう。担任の指導力なんてものは「人権教育」の果てに、なんちゃってルールとしてしか存在しないから、形式上での調整のしようがない。
おこりそうなことが、ふつうにおこっているだけですよね、これ。

こういう、有無を言わせない形での「語り部」継承はなかなか無理があるとは思う。
語る資格があるのはモノホンの一次的な被曝者被災者であって、そういう人たちがなくなったそのあとに、「聞き語り」を継代できるものなんだろうか。
風化させないというならほかの手を考えたほうがいい。「実際に身に覚えもないことを、上から目線で語り継ぐ年寄のいうことを、だまって伺う会」になってしまってはどうしようもない。

「語り部」については、大手メディア共通の距離感があるんだろうと思います。だから、情報のやり取りも(たぶん)ないのに論調はそっくりになる。
で、そこに「中学生」とか「担任」とかをあてはめて、「ひどい!」とか「すばらしい」とかいう感情を有無を言わさずひきおこすフォーマットになっているのである。
これはたとえば、韓国の自称慰安婦に引き合わされた高校生が、という形で容易に流用が可能で、こういう「物語」つくりが私はどうにも気持ち悪くてたまらない。

同様にして、日本のマスメディアは、いつまでたっても「物語」の生産をやめない。
津波後物語、放射線避難物語は大々的に進行中だし、真央物語、小保方物語のあとも、規模にかかわらずいろんな物語をメディアは垂れ流し続けている。
そこではみんなが、「期待したり」「わくわくしたり」「悲しみに我を忘れたり」「いっしょに力を合わせたり」「たまにはがっかりしたり」「決して忘れることができなかったり」して、懸命に生きてく、らしいのである。
感情は理解できるし、私もそう感じると思う。
しかし、反論しようのない感情的な反応を、有無を言わさず垂れ流すのが報道か?

読み物として売るならともかく、報道、が、「物語化」にあまりに無自覚で、もう、どうしようもないと思ってみております。
これを報道というなら、せめて、どの程度の学校がこのダークツーリズムをどのように行いどのような反応が得られているのか、きっちり取材して示したらどうなのかね、この機会に。「いいこと」だからって「ちゃんと行われているか」なんてわからないんだし。

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