非常時の選択ミス 幼稚園児津波被害訴訟2013/09/18 00:59

あいかわらずの基地外判決ぶりである。
田舎の判決で目立つのですが、田舎の地裁ってそういう変なのがまわされることにきまってるんだろうか。目立ちたいのか?ついついそう思ってしまう。

http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20130917dde041040019000c.html
東日本大震災:日和幼稚園児津波被害訴訟 遺族勝訴 娘の悲劇、二度と  毎日新聞 2013年09月17日 東京夕刊

そこまでの非常時のマニュアルがないのは珍しくなかったろうし、あったってそのとおり出来たか、それで助かったかも疑問。

逆にそこまでの災害と分かっていたなら、園児放り出して大人だけ逃げる国だって世界にはいくらでもあるだろう。悪意があったわけもなし、バスに乗せて懸命に海方面の親元に帰そうとしたところに、そのあとで親がやってきて、結局子供がなくなったのは気の毒だしお悔やみは申し上げますが、あそこまでの人間の死んだ災害で、うちの子が死んだ、けしからんと騒ぐものなのか。怒りをなにかにぶつければいいというもんでもないと思うのですが。運転手が助かったのだってどう考えてもたまたまではないですか。
助かりそうにないのに助かったラッキーなひともいるし、助かってもいいのに助からなかったアンラッキーな人もいる。文句のいい先は神様しかいない。

結果論でいうならなんだっていえる。
原告の親の一人でも園長の立場だったらちゃんとマニュアル作って運用して岡の上に子供を連れて行けたのか?それ以前に、それに気づいて指摘したことあるのか?
お客様気分もいいところ。いや、お客様だからって非常時に助かる保証なんてどこにもないって。日常での間抜けなら訴えるのもわかるけど、あの非常時ではなにがおこってもどうしようもない。

こういうときに、切り札のように口にするのがお得意の「真実が知りたい」だが、そんなもん誰にも分からないし、把握も出来まい。よしんば真実らしいものが現れても気にらなかったら受け容れまい。

医療判決でも思うのですが司法というのは「非常事態」を理解してないんじゃないか?「非常事態」というのは、人間の管理のおよばない時空である。連中には考えたくない概念かもしれない。想像力の貧困という。非常事態でおこった悲劇については、悪意のみが裁かれるべきであろう。

韓国の仏像や靖国放火犯の件にくらべたらまだましかもしれんがそれは機会だけの問題で、日本にもこういう、世界の現実が自分の脳内で考える法秩序体系に一致しないのがいけないと考える、どうしようもない裁判官がごろごろいる。法匪以前である。

ところでこれを大きくとりあげているのはいつもながらの毎日新聞ですが、記者が遺族を煽ったんでしょうかね、いままでさんざやってるので、そうだったとしてもぜんぜん驚かない。

みのもんたいじめ?2013/09/18 17:28

部分的に敬称略で、申し訳ありません。

まだネット上にはみあたらない。でてきたらサイト貼りますが、とりあえずはデジカメ画像で引用をあげておく。

曽野綾子女史(刀自のほうがしっくりこないか、なんとなく)が、産経新聞のコラムで、みのもんたに対するメディアの扱いはいじめと同じだと書いてらした。
自分自身のことでない成人した息子のことで身を引いたら、メディアが押し寄せて、つるし上げインタビュー状態であったと。
前半のお題として、財務省官僚への恨み言をお並べになるあたりから、非常に感情的になってらっしゃる。感情的でしかもそれが判る文章がいけないとはいわないが。




曽野綾子おばさまのおっしゃることはけっこう好きなのであるが、今回の件についてはヤキが回ってるんじゃないかと思わなくもない。

みのもんたの、メディアでの立ち位置を利用した水道商売のぐちゃぐちゃが本当にどうなのかは知りません。私はマイナーな真相系雑誌「紙の爆弾」で読んだだけです。しかし、いかにもありそうで、それを今まで報道しなかった(いまでもそうですが)メジャーメディアは、つまりみのもんたにメディアとして利用価値があったからおいといたわけで、つまりはずぶずぶだったんじゃないのでしょうかね。
メディア一丸だなんて決して思わないがああいうところはあちこちでいろんな人がつながっているので、、それなりの身内ということになればするーされてしまう可能性が高いだろうとは想像する。連中も食うために仕事してるだけで、ガチでたたき合うつもりなんて前提としてありえないだろう。

で、息子さんのメディア業への就職に、みのがかかわってないとは思えない。まあこれも検証不能ですが、いままでもなにかやってきたのがほおかぶりされていたなら、できの悪い息子を押し込みやがってという気分がないわけがない。じゃあそのまわりがそんなに出来がいいのか、わたしにはさっぱりわからないが、コネをつかって押し込んでやった相手がなにかすれば、火の粉が飛んでこないほうがおかしい。

いままでブイブイいわしてた奴がこけたもので慇懃に公開つるしあげにかかる、という構図でみると、浅ましいとは思うが、この場合お互い様というか、予定調和的なものまで感じてしまうのである。いじめ根性が背景にあるという言い方は出来るが、曽野おばさまは、ひょっとしていまどきの「いじめ」の陰湿さを理解してらっしゃらないのではないか。逆らう力もない奴を、こっそり、徹底的につぶすのですよ。

家に押し寄せて騒いだといっても、そこから社会生命を抹殺したとか、リンチしてほんまに吊ったとか、いう展開に発展したわけでもない。メディアどもは状況を売るためにでかけていって、それがわかってるからみのもんたも相手して、お互いにそれなりのおとしどころで終わったはずだ。
そもそもひとまえで顔をさらしてやりとりをするのが仕事だったみのもんたにとって、そんなにつらい時間だったはずがない。ステージにいるのと同じです。あれは、表に出たことなかった人間をいきなりひっぱりだすから効くのである。

あの業界は不思議なところで、使いどころがあるとだれかが思う限り、よくわからない経緯で復活してくる。酒井法子をみろ。
いろんなことがなかったことになり、スキャンダルがいつのまにか美談に化ける。
そんなところを、いままで泳いできたみのもんたにしたって、まともなわけないではないかと、独断で申し訳ないが、思えてしまう。とすればしょせんこれは一面がテレビ画面になった金魚鉢の中のごたごたである。
今後みのもんたがどうなるか、まー本人の本業のことで問題になったわけじゃないから、ちょうどいい厄払いになっただけで、傷なんかぜんぜんついてないとおもう。広げ過ぎた仕事を整理するいい機会になったろう。

曽野綾子おばさまの文章は、みのもんたに、早めのみそぎを与えたに過ぎない。ひょっとしてそれが目的かもしれない、なんてことはないとは思うが。それもふくめて、みのもんたの去就にはぜんぜん関心がないのですが、曽野綾子おばさまの文章に煽られて、わかったようなことを書いてみた次第。