「ザ・ライト」の感想と、信仰について思うこと2011/04/17 16:49

花粉症が非道いのですが抗ヒ剤を余分にのんで、高校生の娘と映画「ザ・ライト -エクソシストの真実-」をみてきた。彼女もすごく見たかったわけではなく、私に回転寿司をおごらせる口実です。「エンジェルウォーズ」と迷って、時間の合うほうにしました。
MOVIXの会員券をどっかにやってしまいその場で席を取ることに。あれ、ポイント利用したことないし、再発行に500円かかるうえポイント復活なしではうっとおしいのでもうええです。金とるならもっと使いやすくしてほしい。JR みたく携帯でぜんぶできんかな。

1時間前に席チケットを買い、三条河原町「むさし」で食った後、時間が余ってアニメイトへ。ドラマCDを買わされる父親であった。

映画ですが、心霊特集ものの再現フィルムを、おとなしめに作ったというところか。ちょっと思わせぶりで、地味。
ユダヤ系(父親はそういう名前だが、母親がそうかわからないのでユダヤ人というべきかは知りません)のアメリカ人が、バチカンで悪魔祓い(エクソシスト)神父の修行するという。どういっていいやらこの設定、どーゆー故意なんだろう。
まあプロテスタントをモデルにすると、余計にわけわからんようになるかもしれんし。

思うのですが、今回友情出演(笑)のバール、ベルゼブブになるのでしょうが、それもかっては神様だったのだし、中世の魔女狩りでターゲットにされたのはそれまでの民間信仰のシャーマン女性だったのだし。
そもそも民族同化の限界に来たローマ帝国で、原罪を持つ人間に対する絶対者の視点をもちこんで、罪悪感をはびこらせたのはキリスト教だしねえ。
であれば、憑依現象としての「悪魔」はキリスト教こそがもたらしたんじゃないのかと、異教徒としては思う。キリスト教がなければ悪魔憑きもない。日本なら、罪悪感関係なしの「狐」程度で済むのにね(笑

さらにそのベースにあるのは、記憶容量が増えたうえに一時記憶領域も大きくなったもので、でかくなった無意識の領域でマルチタスクバックグラウンド処理できるようになったがゆえの、統合失調という人間特有の不具合(言い方が悪くて申し訳ない)と思っておりますが。

しかしまあ、、、神をどう考えるかはともかく、神は「いる」方に賭けたほうがカタいというのはよくいわれること。「いれば」勝ちだし、「いなければ」どうでもいいことになるし。
こういう超自然的な観念と和解はしておいたほうがいいとは思いつつ、神社にお参りする程度である。幼稚園や中学高校はカソリックで、面白がって聖書も読んだので馴染みはあるが、バーバラ-スィーリング読んだりすると異教徒としてはアホらしさが先にたつ。
「選択」して「帰依」するのがポイントなのだね。

死ぬ直前に回心して告解したビザンチンの皇帝がいましたっけ、わからなくもないです。「覚悟」するための装置として何を使うかそのときにならないとわからないし、使えるものがあればいいがと、今から思ってはいる。罰当たりか。