飲み屋の同窓会 リラ亭-かりん亭2011/10/30 21:18

三条河原町を二筋下がって(南下して)木屋町のほうにはいった通りは、かって、呑みに行くのにちょっといい通りだった。80-90年代です。
木屋町の手前北側にはタクシー乗り場があった。その南には「凱旋門」というコンパ会場があって当時の学生はいっぺんぐらいは行ったろう。そこから東へ、かっぱ寿司(先斗町にある店の関連店です、世間的なかっぱ寿司ではない)の支店、喫茶「文月」、スナック「貴林」と、時期は違えどけっこういったものです。バー「アルペジオ」てのもあったよね。
これらはすべて今はない。現存する店としては「スナックそんぶれるろ」は大学のクラブのいきつけでよく歌ったもんだが90年ころマスターがなくなられた後はよくわからないし、「秋田家」は一度いったきり。ワインバーの「クロ-ド-ブージョ」だけはちょこちょこ寄る。

この通り、なかほどの北側に、カウンタのみ、5席ほどのちいさいバーがあった。
戦後から40年以上にわたって「リラ亭」の名前で、さらにマスターがなくなり客の一人であったハセ氏があとをついで10年ほど「かりん亭」の名前で、2001年ころまで、やっていた。
私は、リラ亭の時代は知らない。1980年代はじめ、数軒となりの喫茶「文月」にいりびたったころも、存在はぜんぜん知らなかった。
2000年前後の、かりん亭の最後の数年、ちょこちょこ寄っていました。たいがい客は数人でした。明治屋のライムシロップでつくるギムレットがよかったのですが、どうやらもともとには異様に濃い常連がたくさんいたようで、後述閉店が決まると昔の客がどんどん戻り、盛り上がると狭いカウンタの中に客が入って皆で飲むという基地外のような状況もあった。自己主張のつよいおっさん(その時点で50代以上でしょう)がいっぱいいたので、当時40前の私としては、話をするのがすごく楽であった。

ハセ氏が丹後で料理民宿するので店をしめた。閉店時はこれもやはり基地外のような騒ぎで前の道まで溢れかえって人々が飲み、関連して新井英一氏のライブが行われたりした。

その後若手の常連が同窓会をするにいたった。NKNさんTNKさんご苦労様としか。
5年前には、松井旅館でやったのですが、今回はロイヤルホテル。常連たちは戦後からずっと飲んでるような人たちだからご年配が多い。人数もぐっと減りました。
私は最後の数年呑みにいってただけで、この同窓会にもどっちかいうと面白がってきているだけであって、こんなとこに俺居ていいんだろうかと思いつつ、年配のひとたちの「ボボの歌」とかでたらめなドイツ語風の歌とかをきく。




ちょっとした宴会場が、へんに広々としていたのが、あっというまに飲み屋の空間になっていった。
さらに、ハセ氏のファンでもあるU氏がやってる、裏寺のバー「剣」になだれ込んだ。早い時間で、素面の人たちがどんどん通る前で、わいわい呑み騒ぐ。5年前は隣の店の人が警察呼んだらしいが、今回はそこは空きテナントw





眼科関係の会合があって暗くなる前に去ったのですが、それにしてもあの人たち普段はどこで呑んでいるのだろう。

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