京都-琵琶湖大橋-長浜 裏道ドライブ2011/05/03 17:17

裏道というのは、それが「旧道」だからです。

80年代なかばから滋賀の道はどんどんよくなって、武村知事すごいなあと思ったものです。
それまで、近江八幡北の大中湖干拓地で大学の駅伝があり何度か応援にいくことがあった。そのときに教えられた道が、景色がいいので気に入ってその後もなにかと使っている。道は細く(それでも非市街部はまえよりも格段に太くなった)、人も車も少ない。
琵琶湖大橋から干拓地までの間は、その後バイパスはでき湖岸道路は整備されあわせて橋が付け替えられて、いまどき観光ドライブで旧道をつかうことはないでしょう。

京都から、途中を越える。おおむかしは峠の辺りすれ違えないような道で、拡張されるも集落部分が非常につらいのはかわらず。で、バイパスとしてトンネルができた。
ところがこれが有料で、特に業務のトラックは嫌がって旧道、集落の細い道を使う。なんのためのトンネルだか。
最近やっと無料になったので、だれももう集落におりない。あっというまにむこうに出て、琵琶湖大橋へ。


道の駅いわゆる「米印」。駐車場いっぱい、待ってたら整理員さん「いつになったらあくかわからないねえ、近所の人がおきっぱなしとか、この近所で釣りしたりサイクリングしたりする人もみなおいていくからねえ、朝来たときには8割がたつまってる」 笑うしかない。たまたまあいたところに停めてお茶を買った。ここで、最安フォーシーター国産ハードトップカブリオレをオープン状態にした。

琵琶湖大橋をわたる。
むこうのたもと近くでサイン会をやっていた。そら逃げられんわな。私の前はあいてたが、たらたらしていて無傷。

橋を渡った左手湖岸には、むかし「ホテルレークビワ」があった。
小学校時父親の仕事関係(てか地域の医師会)の日帰り慰安旅行で使われ、子供用には「南海の大決戦」が畳の宴会場で上映された。プールがあり、湖面にはでかい噴水がふきあがり、遊覧船もついた。北湖は、70年代まではそこそこリゾートだったのである。
90年代後半に、私は、最後の「谷口シンポジウム」視覚生理部会によんでいただいた。そのときの宿泊所にもなった。朝大浴場に行ったら慶応のその前の教授がおられて、色覚異常の社会問題についてるる説かれた。
ホテルはその後ほどなく廃業。今はまったくちがうものが建っている。

料金所を抜けてレインボーロードとやらを直進。
小学校に入るかどうかのころの私は、琵琶湖大橋ができたすぐのこのあたりに、家族ドライブにつれてこられ、半分寝ながら雨の降る車外を見ていた。なにもない一面の田に、もっと狭かったこの道に沿ってえんえん蒲の穂が立ってたっけ。
やがて斜めに入って集落の中を抜け、洲本東を左折。この、浜街道をいくと、かっては橋にぶつかったのだが、今はちょっとまがっていって右折しなければならない。大水口神社の前をぬけ、野洲川を越えることになる。

琵琶湖の周囲はかって湿地帯だったろうからでしょうが、天井川が多い。つまり川ごとに堤が切り立っている。今は川を道がかなり遠くから立ち上がって、直進してぶちぬいている。武村知事以前は、細い道で土手につきあたると、そこで直角にまがって川に沿って土手を上がり、そこで2台通れないような細い橋に直角に入り、川を渡るとまた曲がって川に平行に土手をおりていったものなのだ。わからんだろーなー今の子供には。

野洲川を超えて道なりに行き、六条というちょっと入りにくいところからわざわざ中主にはいり、バイパスである新道入り口の手前、兵頭神社参道すぐわきの道に左折して入っていく。集落を抜けると、用水路のような川の手前でバイパスに曲がって出なければならない。むかしはこっちが本道だったはずなのに。

しばらくいくと日野川がある。このあたり、草が両側に生えてるようなちんけな道だったのですが、、、、橋は、これもつけかえられてる。今の橋を渡りきって、直進せずに堤の上で右折してそこからおりると旧道。野村の集落。
神社のところで左折して、野村の交差点を渡ってずっと走る。
ひろびろとした田んぼの水路にずっと並木道のあるいい景色があったのだが、いつのまにか片側の田んぼが資材置き場になってしまい、とても残念な景色になった。

牧、大房を過ぎ、近江八幡です。
このまま山沿いの道を行くと日牟禮八幡の中を抜けて町に出るのだが、祭礼の時期だからか途中からこっち向き一通になるとの表示。さきに曲がって町に入り、近江兄弟社高校の前を通り過ぎてすぐ多賀の交差点で左折。県道までいかない。
でもすぐその県道に合流するんですがね。

観光船乗り場のある円山町で右折、水郷のほうに入っていく。白王町の三叉路を右に、水路沿いに行けば、左は干拓地の田んぼが広がり、右は水郷でいい気持ち。曇ってます。



かっての目的地はここなので、ここまではわかる。こっからは当然わからない。走ったことはあっても頻度が違う。

大中の交差点を琵琶湖側にむかって曲がり、さらに右折して彦根に行くのだが。
学生のころ。てきとーに走ってるうちに同乗者が酔ってしまい、みかけた集落内の喫茶で休んでおばちゃんに道を聞いたら、まっすぐいけば彦根城の堀だといわれた。そしてそのとおりだった。今となってはそれらしいものがわからない。
新海浜あたりに橋をつける工事をべつのところから見ていた覚えがある。いつのまにかその橋しかなくなり、その橋を通るようになった。
なににしても先は、湖岸道路を使うことになる。

旧道が湖側に2区間ある。その先は新しい住宅もあり橋もかわっているようで、とくに犬上川から芹川をわたるまでのあいだはさっぱり謎です。
道や橋をつけかえるのは行政の犯罪だと思う。道に迷って死んだらどうするのか、って、まあ死にはせんけど、地理がかわれば歴史も死ぬ。

彦根のあたりは道が混む。彦根城で通り道が限られてボトルネックになっている。そのために、近江八幡あたりは高速からも琵琶湖大橋からもそうだが、彦根以北からも遠い。それがかえってあの町にはいいに違いない。交通の便がよすぎても町は栄えない。

3時間近くかかった。
長浜あたりで13時になり、何か食おうと北国街道に入った。これは甘かった。観光地で売っている上に近江三姉妹のドラマもあるのに駅前の駐車場が昼にあいてる訳がない。

湖岸道路に逃げてさらに北へ。姉川河口の「呑舟」。湖魚料理という。ラウンジのねーちゃんからきいた店。
なんだかな建物は、生簀の上に建ってるのか?一階部分のコンクリ水槽で、どぼどぼ水の音がしている。
みるからに宴会もしくは会食用で、卓ごとに仕切られた座敷しかない。大人数のときは襖を外すのだろう。個人の通りすがりでごめんなさい。メニュ見ると飲めそうなものがいろいろあって、車じゃ楽しめないのが残念。キリンフリーにしたけど、後味の鼻に抜ける香りが、、、ねえ、、、、
これは店のせいではない。



さっといただこうと、「うな丼と赤出汁」のセットにしたところで、出てきたものはどう見ても「うな重と肝吸い」のセット。「うな丼ですよね」「うな丼です」
はあそうですか。





身はやわらかいしよく離れる。皮は、あめだきをあぶったように歯ごたえがあってぱりぱり。おいしかった。
思ったより量が多かった。

その後、所用をすませ、腹いっぱいでなにをする気にもならず帰りました。

サローヤンを読んで、小学生くらいの息子をつれてオープンカーで気が向いたところに泊まってまわる旅行がしてみたいと思っていたのももう昔。すでに息子は二十歳前だし、腹がふくれて気が済んだら、おっさんは家に帰るらしい。