大学の上前をはねる2010/10/25 21:50

もともと基礎研究とかやってたので、感覚が甘い。医者も科学者の端くれとして真理に誠実でなければならないとどっかで思っているのだが、世の中の医者はべつにそんなもの望んでいない。
薬にしても器械にしても、医療施設が購入して使用するのは「もとがとれる」からで、それは保険制度のおかげである。
で、気の会う者たちが集まって手術や薬について発表し、たがいに褒め称えあう。その場を作るのは製薬会社や器械会社で、そういう場所をつくるのがMRの仕事だったりするわけである。
身内褒めと関連会社の接待が目的であるから、少々のことはお互いに目をつぶる。まあ医者は無礼だから、割と正直に薬や器械のどこが気に入らないかまで言い始めたりするのだが、逆にそれをすることで自分を正当化しているのである。
似たような勉強会が乱立し、専門医点数を持ったものが場を握る。それを割り振るのは大学医局である。いろんな学会の理事をにぎるためにいろんなことも起こる。保険制度の上前をはねようと元気に活動しておられる。

それにしても、大学がそれでも許されてきたのは、「研究することで技術や知識のトップレベルを引き上げ、世を啓蒙する」という教養主義と、「世間知らずで金にもならない役に立たないことをプライドもってやってる」地位非一貫性の幻想があるからなのだが、、、、

知人に、一時大学の助教やってた眼科医がいる。彼が言うに、同僚の助教たちが、大学に紹介されてきた患者を、大学では待ちが長いのでとさらに自分のバイト先につれていっては手術し、バイト代をせしめていた。患者は待たずに済む、医者はバイト代が入る、行った先の病院は患者をつれてきてもらえる。何が悪いかというと誰も困っていない、大学にしたって白内障の手術したってなんの研究にもならない。それでも、これは品がない、と思った。大学の名前を食い物にしているといっていい。ひとことでいうと「ありがたみがない」のである。ありがたみは使えば減る。
放置している教授も教授と思って彼はさっさと出て行ったのだが、果たして以来この大学は求心力もなくしまともな教授も出なくなったし中堅どころは大量に開業に走った。
開業医も大学医ももとは同窓で、そんなに出来は違わないと特に開業医は弁えもなく思っている。それでも片方が「大学のセンセイ」呼ばわりされる以上は尊敬されるような節度を持って当然と勝手に思う。具体的には清貧を求める。食わねど高楊枝は重要なのである。でないとたまにおごってやって偉そうにできないではないか。

さて、これは個人のレベルでちまちま食い物にしているわけですが。
サテライト病院としてこっそり市内に数軒の医療機関をコントロール下においている自治体立大学の眼科医局もあったりするのである。角膜、緑内障、硝子体と、それぞれ役割を割り振り、開業志向者を院長に据え、患者を大学からつれていっては手術してバイト代を稼ぎ、なにかおこったら大学に連れて行く。教授もやってきて外来したりするるものだからありがたいことこの上ない。大学がバックにつけば少々レベルが低くてもわからないし許される、というのはそこから先の行き場がないとふつうの患者は思っているからである。
専門外来を外注に出してそこで身内でぐるぐる儲けているわけだ。これは大学の権威の私物化だろう。実際はなんでもできる大学なんてない。ここも、本来の専門の角膜はちゃんとしてるんだからその外注だけにしとけばまだ可愛げもあろうというところなのだが、緑内障も網膜疾患も「おいしい」のだ。同じシステムでやらない理由はない。
開業医が大学をありがたがるのは、いざというときに権威として使えて、なにもなければさっさと返してくれるからだ。自分のところでぜんぶ丸抱えするような連中にどこまで用があるものか。
印象では、こういうシステマチックな儲け方は、いわゆる浪速大学(どこでしょうw)がきわめてうまい。前の教授が関連病院の眼内レンズや機器購入の決定権をもってたことは知られてるし、にらまれて飛んだ業者もいる。
上記外注専門外来やってるのもそこ出身の教授ですね、やってるのはとある自治体医大ですが。
法的に言えばなにが問題でもないのかもしれないが、品がない。そんなもんどうでもいいという輩も多いのは知っているが、あえて書く。