頭よすぎてお花畑にいる模様 京大学長の件2014/03/20 12:14

京大、ここまでお花畑化してるとは思わんかった。

http://www.asahi.com/articles/ASG3J4VDWG3JPLZB002.html
京都大学、総長を「国際公募」へ 競争力強化を狙う
佐藤剛志2014年3月16日19時00分
「選考会議は学内の研究科長や学外の有識者ら12人で構成。関係者によると、候補者は学内からの推薦のほか、米ハーバード大、英ケンブリッジ大、東京大などに推薦を依頼する案が出ている。「日本語を話せる人がいいのではないか」という指摘もあるという。候補者が複数だった場合に、どう選出するかの手続きは決まっていない。」


指揮権者を外部から求めるというのは、その組織が煮詰まっていて自分で改革できないという自覚があるからそれはそれでありです。

ですが、日本の金使って日本で研究教育するんだから、その責任は日本人が担うべきでしょう。そういう人材を育てるために明治以降のシステムがあったのではないですか。

この報道ですと、いわゆる外国人にもその可能性があると読めてしまう。
外国人が自分たちや日本のために働いてくれるというバカげた依存心はどこからくるのか、非常に不思議です。日本とそいつの母国の利害が相反したときになにかおこるリスクを考えるといい。
サンタクロースや、常世からくる神様とは違うんだから。大学は拠り代ではないよ。

民間企業ならともかく日本国の税金でまかなわれる厖大な研究費を消耗する研究施設の最高権者を外国人にさせていいという決定はその組織が勝手にくだしていいものではないと思います。まあ文部科学省がバックで了承は当然してるんでしょうが、「自治させてる」的な名目もたちそうでほんと変。

京大クラスともなると悪く運営されたときの破壊力は凄まじいので、わざわざ外国人に委ねてリスクをあげるのはまともな発想じゃないです。自衛隊の指揮権を外国人に与えるのと一緒です。

早い話、京大には原子炉だってあるんだから、もうすこし安全保障というものを考えたらどうなのか。
「外国人に雇用を奪われる」とか「日本人としての誇りはないのか」とか「英知をあつめるためにオープンな環境を」とか、いろいろ言う人はいるが、はるか以前の問題です。

まわりがしっかりしてたらトップがなんだかでも大丈夫とかいうのがナンセンスなのはルーピーやお遍路首相でよくわかったはずです。
市民楽団の指揮者と勘違いしてはいけない。

こういうのをみると、こっちの記事も思い出す。

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52156809.html
知能レベルが高い人ほど人を信じやすく、低い人はあまり人を信じない傾向にあることが判明(英オックスフォード研究)
2014年03月19日
「研究を行った同大学社会学部のノア・カール氏はこう分析する。「知能レベルが高い人は、他人の振る舞いを良く観察し、その性格を見極める術に長けているので、裏切らない人を見極めることができる。よってまわりにいる人間は信頼のおける人が必然的に集まっている。だが知能レベルの低い人は、人を見抜くことができないので、やみくもに心を閉ざしてしまうのではないか?」」


んー、ちがうんじゃないかな。
頭のいい人は、他人も自分同様きっちりものを考えて合理的に動くと思ってるだけなんじゃ。

頭のよしあしを学歴で近似することになるが、ある程度以上の生活レベルが学歴形成に肯定的に働くことは否定のしようがない。で、格差間交流の機会もどんどん減ってるように思う。
その後のキャリアにかかわらない形で、早いうちに実社会のどうしようもなさに露出される機会がないといかんよなあと思う。


STAP細胞騒動なんて、それがいろんな形で噴出した例だと思うが、なんかアホらしくて考えをまとめる気になりません。
しかしまあ、人間やサイエンスを舐めちゃいかんですよ。
あの騒動、再現実験で使われたであろう細胞が ES 細胞か、それがどこから出てきたか、が大きなポイントになるんじゃないですか。

でもまあ、ここからは「ほんとに一度は出来たんだよ」「でもなかなか再現できないんだよ」「いろんなもんの都合に合わせて論文出したかったもんでついつい画像流用しちったテヘリ」「演出もしちゃったお」「予算がなくなってしまってこれ以上の実験は無理になった残念」で無理やり幕閉じそうな気がする。変数は、ハーバードの先生か。

早稲田理工も、本人のD論取り下げで、それ以上の解析追及はせずにほうかむりになるだろうし。

ほんま舐めすぎ。