臨床研究法 雑談2019/01/28 20:14

臨床研究というと、検査法の有効性の検証とか、実際にでている薬の有効性の比較であるとか、手術法の改良の効果とかが思い浮かびますが、治療についての臨床研究は「その治療が有意に効果的である」ことを踏まえたうえでの研究になると思うのですね。
臨床治療がほぼ公的保険制度のもとで行われているならなおさらです。

ところが、こないだ成立した臨床研究法について、厚労省のサイトに何か書いてある。

「臨床研究法について」

「臨床研究は、医薬品・医療機器等の開発候補物質が実用化可能かといった開発の探索的研究手段として、重要なものです。」

いや動物実験や治験をその前にするんですよ。

「人に対して用いることにより、その医薬品等の有効性・安全性を明らかにする」

それが前提でやるんでしょ。

臨床研究の進め方について、やたら制約かける通達を出してたと思いますが、この発想がそのもとか。
臨床研究を治験扱いして縛りを厳しくして、結果的に臨床研究を滅ぼそうとしてるんじゃないですか。

厚労省役人は、ヘルシンキ宣言をちゃんと読んだ方がいいという人もいた。
以下、日医の、ヘルシンキ宣言の項。


第14条にこうある。
臨床研究を行う医師は、研究が予防、診断または治療する価値があるとして正当化できる範囲内にあり、かつその研究への参加が被験者としての患者の健康に悪影響を及ぼさないことを確信する十分な理由がある場合に限り、その患者を研究に参加させるべきである。

これをみると臨床研究はあきらかに治験ではない

冒頭の一文の内容を繰り返しますが。
ふつうの医者の感覚だと、それなりに安全性有効性の確認された治療法について、ほかの治療法との有効性の差だとか、実際の臨床データの長期経過だとか、その結果に影響を及ぼす因子だとかいうのが、臨床研究ですね。新しい検査法の確認とか、その検査法での従来の治療法の解析だとか、なんだかすごくしょぼい感じがしますが、実際に治療してるとそういうことがどうしても気になるし、ちょっとでもわかったことがあると方針を立てるのに役に立つ

安全性有効性は前提なのですよ。
そして、そこから始まる研究もあるのです。
そういうことをもっとやりやすくしてくれるのかと思ったら、全然違う。

お役人は頭がいい。そしてそれに自信を持っているのだが、専門家に指図できるとまでは思わないでほしい。浅い理解で自信持たれちゃ困るのである。
わかっていないままに部分最適化であれこれするのは全体の不利益である。
役人の流儀は無謬主義なので、わかっていないことも全体の不利益であることも認めることはない。どんどんゆがんでいく一方。

厚労省、医者をコントロールしようとあの手この手、という印象が強くなってきたように思う。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://inakameishi.asablo.jp/blog/2019/01/28/9029967/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。