「おもてなし」を押し出す理由2013/10/11 00:33

2020年東京オリンピックの選考で、日本チームは「おもてなし」を前面に出していたようです。

おもてなしというと、イメージとして、客に対する対応は低姿勢迎合的というところか。それが本物のおもてなしかとかいう形而上学的な話はおいておきます。
おもてなし、悪いとは言わないが、なんでそんなことをする必要があるのか考えて欲しい。

日本の街をあるいて、なにがどこにあるかすぐにわかるか?ミナミの地下街南海の下あたりで地上に出る方法が分からず頭にきたり、新宿駅西口でどちらの地下鉄のホームがちかいかさっぱり分からなかった覚えがある。
電車でついうとうとして、駅に着き、ぱっと顔を上げても、その駅名がどこにもわからない。たまにそうじゃない路線もあるがたいがいはわからない。戸口が空いている間は駅名を一切言わない。
なにか届けたり認可を受けたりしようとしたときの手続きの煩雑さ。ネットで書類をダウンロードできるから正当化できるものではない。すべてにおいて、日本は役所フレンドリーにできていて、その役人は窓口で、口先だけは丁寧に、何でそんな手続きがいるかも分からないような手続きをさせて、時間を食って、給料をもらう。
街角の FreeWIFI がぜんぜんない。パブリックドメインという発想も出来ない。全体がどうであっても、既得権をひたすらに守ろうとする。

以前アメリカ人教授一家を京都文化博物館につれていった。どうでもいい常設展でも興味深かったのか、彼は小物の写真をとろうとしたが、愛想よく係員に制止されて憮然としていた。わざわざみせているものを写真にとって何が悪いのかと思ったのだろうし、私もそう思う。その写真がどう悪用されるというのか。「撮ってはいけないから、いけない」のであろうが。

日本には、インターフェースをよくするという発想がもともとあまりない。使いにくいものでも個人の努力と我慢でなんとかしろという文化です。

そんなところで軋轢を起こさないようにするためには、態度がキーになる。「接遇」というやつである。
インターフェースが悪いのを、オペレーションでごまかそうというわけだ。

「おもてなし」を前におしだすというのは、「愛想よくご機嫌をとるから本質的な不便は我慢してね」ということにほかならない、と私には思えますがどうか。

このままオリンピックに突入し、「日本にいって、みんな愛想はいいけど禁則事項が多くて、なにか問題がおこっても言い訳とたらいまわしばかりでどうにもならなかった」ということになるか、相手が「ガイジン」なものでその場での特例ばかりできてしまってわけがわからなくなるか、どっちになるか楽しみなことである。いや、どっちもかな。


、、、売り込み戦略たてたもんが日本の制度や現場のことを考えながらやってたわけもなく、単に滝クリに「o mo te na shi ♡」といわせたかっただけのような気もしますが、日ごろむっときてるポイントなもんで思わず。