診断書、疾患の疫学、活断層2012/12/16 20:11

ときどき職場に出す診断書を求められる。疾患の現状を書くようにということだが、何を勘違いしたか、上司とやらは、仕事ができるのかどうなのか書いてもらえといってると、よくきく。

こっちのかけるのは、「これこれの病名で、これこれの危険がある、もしくは、具体的にこのような行為に支障がある」程度である。たとえば、労災で穿孔性眼外傷を受傷した場合、術後は損傷治癒に2週間程度の安静が必要とか、受傷眼の視力はこれこれで両眼視機能は非常に低下していると考えられるとか。
これに従って業務内容を職場のほうで考えてやるべきなのであって、その職場にどんな仕事があるか医者にわかるわけないんだから、仕事を休めとか、仕事しても大丈夫とかいえるわけがないのだ。
似たようなものに、「治癒証明書」というのがある。保育園なんかが、流行性角結膜炎の園児の再登園に必要と言ってもってこさせるのだが、「完治した」「感染することはない」なんて保証なんてできるわけない。私は、そんなものは無視して、「現在強い炎症所見を認めない」と書いて赤鉛筆で下線して渡す。

ところが、たまに、患者のご要望どおりの診断書を書く医者がいて、これは困りものだ。
知人のところにいた研修医が、いきなり休んだ。体調が悪いというので、じゃあどういう体調なのか診断書もってこいといった。
そしたらその研修医は、かかりつけの精神科の医師から、「当直が出来ない」という診断書をもってきたのである。
彼はその精神科に、研修医本人に取り次がせて、連絡した。
研修医本人は躁うつ病として加療中であり、現状で当直が負担となっているようなのでそう書いたという。
仕事の内容はいくらでもあるし、そのなかで当直がつらいならどのように対応すればいいかまず考えるべきなので、ことさらに当直という具体的な職務についていきなり診断書に書くのはどうか、その背景をきっちり書いてくれないと対応の仕様がないと、彼は精神科医にいったという。
この研修医は、前の職場でもそれをやっており、前の職場の上司は、錦の御旗みたいにいきなり文書出されたら従わないわけに行かないあれはテロだ困る、といっていたそうだ。
つまり、精神科の医師は、書くとしても、「疾患治療目的の処方薬のため夜間の覚醒持続が困難」とでも書けばよかったのである。だったらわかる。

労災で、勝手に休んだ挙句に、こんだけ休んだからそれが必要だったと書けと、あとで診察室にもってくることもある。
もちろん、この疾患ならせいぜいこんだけ、といって、その線で医者のほうは書こうとするのだが、それで、ガテン系の社長とやらが怒鳴り込んできたこともある。
なにいわれたって、こっちはある時点でそろそろ仕事もできるところから始めなさいといって、そのようにカルテにも書いているのだ。公的補助制度にいくらでも乗っかれるつもりで休ませたって、医者があわせたんじゃ不正受給の手助けになってしまう。カルテをあげられたら問題にされるようなことは、書けませんと、突っ張るしかない。

まるっきりぴんぴんした人と、身動きできない重病人のあいだには限りないグレーゾーンがあって、あきらかな一線は、死人との間にしかない。
グレーゾーンに引く線は、ルールとして決めるしかないし、そのルールには医学的な根拠ではなく、社会的な根拠が必要である。
医学者や科学者に、線を引かせようという向きはあるのだが、これは無理だ。科学やってりゃ、たとえばある疾患の発症のオッズ比が人によってちょっとづつ違ったとして、どこで保因者として、たとえば保険に反映させるか決定するなんて不可能なのが分かるだろう。せいぜい、なにがしかの係数に使うくらいだ。

最近の疾患論の流行は、遺伝子も含めた多因子を調べた上での疫学調査だろう。
ダウン症のようなピンポイントで原因の分かるものならまだ話はしやすい。だだ、ダウン症にしても発育程度は人それぞれなのだが、それはおく。
普通の病気になればなるほど、切れ味のいい原因因子がなくなっていく。遺伝子調査が進んでも、もっと曖昧になっていくだけで、たとえば緑内障というと、発症リスクの低いものから高いものまでずらっと連続で並ぶだろう。しかも、その「発症」の定義が、検査精度がよくなればどんどんかわるだろう。
検査がたくさんでてきて診断が容易になったというのだが、実際は逆で、迷う例も増えたし、死ぬまで自覚することもないだろうけどその病名がついてしまう人も増える。
医学が進歩すれば、病人は増えるのです。

判断が科学の問題じゃないということで、三題目の噺は、いまの原発騒ぎになる。
敷地に活断層だと騒ぐのだが、活断層という言葉に踊らされすぎと思う。いや、「疑わしきは罰せず」というアホなことをいっているのではない。
金がないから調べられないが、たぶんどこにもあるぞ活断層。その定義も数万年変えるだけで、活断層の数はがらがら変わるぞ。そしてその危険度は、過去の活断層の活動から推定するしかないだろうが、調査方法によってもかわるだろう。そもそも地震の予知なんかできたためしがないのであって、できもしない予知に基づいて想像される危険度について大騒ぎしたり心配要らないと語ったりするのは、これはもう科学の範疇ではない。

活断層と原発をめぐる今の対立は、リスクについての態度や優先順位の違いであるから、和解することは絶対にない。「とことん議論を尽くす」なんてまったくの無意味です。
物分りよくってわるいが、どっちのいうこともそれなりにわかる。
原発賛成者の論点は基本的に「お金」である。いや、お金は大切だけどね、だからっていろんなもの誤魔化しちゃいかんだろう。
対する、原発反対者にも、社会がどうであっても自分の目の前がきれいだったらいいという安全教信者清潔馬鹿が大量に合流しているのが、私は嫌だ。もちろん、みんながみんなとまでいわないが。
共通するのは、声のでかい人は「お客さま」体質だということです。
ま、この選挙でも、クレクレに対応した路線だしねどの政党も。選びようがなくて困る。
だから今回の選挙では、私は、てきとーな数字を選び、一番入れたくない人や党以外から、ランダム選択で投票しました。そろそろ結果を見に行きます。

クレクレ文化人をよく体現したのが、NY在住のあの作曲家と思う。「戦メリ」好きでしたけどね、映画の出来はあまりよくはなかったが印象深かった。
「原発はいらないと国民は言えばいい、行政が代案を考えるべきだ」と、なんで国家と国民を対立する2項にもっていきたがるのかわからん。
電源政策はホテルのルームサービスではないし、国民はお客ではない。税金は代金ではなく参加料もしくは登録料です。

蛇足。
そもそも地震と原発がここまでダイレクトにリンクしてるのが腑に落ちません。震災で福島の原発がやられたのは、地震じゃなく津波のせいではないですかね。