公的医療の終焉 モスクワは涙を信じない2009/12/07 21:47

帰りに開業医の先生と一緒になって、あああそこは困るねという別の開業眼科の話になった。
視力がいいのに白内障手術をすすめたり、眼瞼下垂もないのにナイロン糸埋め込みの重瞼手術を勧めたり。ナイロンは入れたりとったりできるので、調子が悪いと言われていれて、調子が悪いといわれてとって、その調子で何度もやるそうな。後医は名医というのであまりえらそうなことはいいたくないのだが、保険診療を食い物にするというのはこういうことやなと思ってしまう。こうもやらなくてもいいことをすれば金がかかるのは当たり前だ。しかもローリスク症例ばかり狙うのだからたいがいは実害なく、したがって苦情すら出ない。「よくもならなかったが、はじめからそもそもわるくなかった」ということです。周囲に開業の先生は何軒もあるが、ここから流れてくる患者だけは、いらんことをいろいろしようとされたという印象がきわだって強い。
ところで、べつのところにこないだ開業した先生は、それなりの病院の部長してたひとだが、開業前から患者に案内をくばり(これ本当はルール違反)、すべて予約制と称して軽症患者は症状も聞かずに断る。そこそこの病名をつけて検査しまくってどっちゃり請求するという挙に出ている。そのうち監査が入るとしか思えないのだが、保険診療のシステムを使いながら、自分はえらいと吹聴して金の取れる患者ばかり診て安い患者はよそにいけというのは、これはこれで、みなで薄く広くプライマリーケアをという開業医のありようを無視した話。これが通じるなら、やはり、安い患者の山にふつうの開業医が疲弊してつぶれていくだろう。
羽毛布団もありがたい壷も医師自身がもちこんでいる現状では、それらをまかなう公的医療は破綻しないわけがない。ほとんどの先生はまじめに地道にやってるのに。

ソ連後期の映画に「モスクワは涙を信じない」というものがある。社会主義社会で、いろんな個人的軋轢はあるにしてもみんな分をわきまえてひかえめに幸福を追求していく体の話です。実際のソ連の社会は、とくに地方は危なくなっていた筈で、都市部での小市民生活が成立したというおとぎ話にしかいまではならないが、不況の嵐の中で、公的医療にぶらさがることでそこそこの生活を享受できているいまの医者とだぶってしまう。最近では結果責任追及がひどくなってきているが、使命感を捨ててしまえば身はそれなりに守れるしね。逆にみんながそうするようになって、最終的に公的医療は防衛医療の中に滅び、羽毛布団とありがたい壷だけが残るのだろう。

DVDで映画を見ながら、この映画のなかでバターロフ演じた腕のいい職人や、アレントワ演じた努力して出世した工場長、その娘、なんかにあたる人たちはソ連崩壊後どうなったんだろうといつも思う。まあ実体経済のつよいロシアだから黒パン食って元気にしてるのかもしれん。日本の医者のほうはそうはいかんでしょうが。