いった店 京都 褒める気がないので店名はパス2013/05/30 18:17

ずっと以前に行って、ちょっとなんだかと思ってその後行かない店。御車会館の近所です。

東京のほうの辛口料理評論家とやらいう方が、これが本物の京のうす味だとやたら褒めて、あげくにこの店が評価されないなんて京都人は濃い味じゃなきゃ駄目なんじゃないかとかよくわからないことをブログやツイッタなんぞで書いているので、そんなええ店やったやろかと、もっぺん確認にいってみた。別に自分が京都人と思って行動しているわけではないです。

店に行くのはその店と「付き合う」ということである。ガイドブックやネットで見た店にいってあれがどうだったこれが気に入らないとばっさり切るのは、心の中でこっそりするべきことで、店名をだして不特定多数に公言するのはどうだかと思っている。いや大資本バックの店なら書きますけどね、よほどじゃなきゃ個人のお店にいうことではない。このブログで書くことは、情報自体はあくまでもそのときの、「実際にあったこと」やら「感じた特徴」のつもり。

たまたまいったある時点の状況でお店全体を判断するのはどうかとも思うのですね。なにかリピに値すると思うものがあれば、味、接客、設備といったものに穴があっても通うと思う。どんな店でも通う人にとってはいい店であって、ひとがとやかくいうものではない。

しかし今回、それなりに評価する人もいる個人店ですが、「引く」要素が非常に大きかった。店はきれいだし、べつに仏頂面だったわけでもないのですが。

和食です。
6Kのお昼でしたが、残念ながらいろいろちぐはぐであった。
しょっぱなの「紫蘇茶」、お湯に紫蘇の粉振りかけて出して来られても。いや、「紫蘇をふった白湯」というならそれでいいのですがはっきり「茶」といったよね。
しんじょだの胡麻あんあえ賀茂茄子だのやたらおつゆにひたったものばかり出てくる、それらがすべて、お匙がない。箸でいじくるうちに、どんどんおつゆにばらけてつまめないのですが、口つけてすすれということですかね。そういう感じの食器でもないのだが。なににつけてもこういうちょっとした、イラっとするものがある。
焼き物もない。揚げ物で代用か。その掻き揚げも、みていると、刺身切ったそのきれっぱし部分で作っている。悪いとはいわんが、ありがたみはないな。
カウンタの向こうに、でかいのとちいさい2枚の俎板があるのですが、こいつが作業台になってるようです。でかいほうの俎板で刺身を切るのですが、ふきんで軽くふき取るだけでどの刺身も切っていく。お椀を載せたりもしている。そこまできれいということなんだろうけど、見た感じはよくない。小さいほうの俎板にはアルミボウルなんてのせてる。
私の座ったカウンタの端のむこうが流しになって、あれこれ洗う。飛び散るようなことはしていないのですが、それでも何かの拍子に早い動きをすることがあり、非常に怖い。私は途中でジャケットを脱いだ。これも放置。
やわらかいものがちまちまぼそぼそ出てきてそれで終わり。食事の〆はだし茶漬けで味噌汁はない。シャーベットにもお茶がつかないし、きな粉ふったくみ上げ湯葉も箸には柔らかすぎてここで耐えかねてスプーンを頼んだ。
にこやかでちょっと慇懃。

前に来たときだが、長芋をかつらむきにしたうえで糸に切り、そうめんのようにしておつゆにして出されたのですが、難しい技法なんかもしれんがぜんぜん味に反映してなかったのを思い出した。
あのときは到着客がその場で人数変更の話して、うけたおかみが、客が座敷に上った後障子かなんかのむこうで大声で忌々しそうに「先にひとことゆうてくれたらええのに」といっていて、それはそのとおりなんだが、別客とはいえ聞こえるところで言うことなんやろかとも思った。
挙句に、家内が、飛んでるコバエを撃墜。それについてもなんの愛想もなく。いやハエもいない食環境のほうがおかしいとは思いますが、気分がよくなる要素でもないですわな。

味はたしかに淡め。ほとんどは気にならない程度でしたが。海老しんじょのおつゆだけは過度に水っぽいと思った。保温用であって飲むように作ってないということかもしれません。しかし、京都はうすあじ、っていうの自体が嘘と思うよ、酒塩であって、見た目は着色はうすいがきっちり鹹いやろ。それでいうと非常にわざとらしい。

ここからはより主観的ないちゃもんと思うが、ちょっとたよりなくて、なんだか「華」もないし「ありがたみ」もないうえに、それでもええわと思わせる「愛想」もないのである。

調理技術そのものについては相当高いだろうとは、わからないなりに思うしうファンもいるようですが、無視する人も多いのは、味だけの問題ではないと思う。
相手してるのが、目の前の客じゃなく、「ボクの認める客にはこうしたい」という感じなのです。すまんねそういう客じゃなくて。
この店がうけるうけないを、「京都人」という集合名詞の問題にするのは筋違い。煽っちゃいけない。誰も乗らんけどね。

冒頭の評論家は、通うプロ料理人もいると強調する。プロにはわかるよさがあるのだろう。最後にお茶点ててくださるのは伊達じゃなくて、つまりは「茶懐石」なんでしょう。はまればいいと思いますがかなり狭いターゲットであって、万人向けに出すグルメ本ですすめるべき店ではないと思うよ。

アレルギーのおこる調味のあった家内はそれらには手をつけず、帰りに、「これで納得いった?」ときいてきた。まあ、そやね。

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