京料理はうすあじか? いった店2013/04/30 19:27

そんなもん、店によりますわな。

そもそもなにが「うすあじ」か?
たとえば東京の和食と比べてというなら、前提がおかしい。
八百善のむかしならともかく、昭和以降は京料理など上方料理が東京に進出しており、東京の和食自体が上方風になっている。そんなものと各店の「京料理」を単発で比べてどっちがどうというのがどうなんだか。

醤油でも関西で使われる「淡口」つまり「うすくち」は、色が薄いだけで味は濃いよ。「京の酒塩」というが、それなりにしっかり味がついているのが普通です。

それでも「ああ、お江戸の料理は濃いなあ」と思ったことがある。たとえば

「はちまき岡田」 銀座
震災後の銀座をえがく「銀座復興」という小説に出てくるお店。2品と鮟鱇鍋、ビールで8Kという銀座値段ですが、いい感じの小料理屋です。私としては醤油鹹いんですが、これがこの店の大正以来の持ち味なんだろうし気にしない。




ところで、京都でも、味が濃いなあと思ったことはある。

美濃吉本店 竹茂楼」 岡崎
美濃吉というとむかしそうだったから和風高級ファミレスという印象の人も多いだろう。料亭風にしつらえた本店が岡崎にある。しっかり味が濃かった。ここはまあ、観光客向けにそういうことになってるんかなと思ったが。大人数で宴会したいなら店も客もおたがいに選べなかったりするし、それでこの味は仕方ない。




しかし、それ以外でも、たとえば西陣のかいわいの料理屋は、もともと仕出しの店だったりするのだが、けっこう醤油で茶色いよ。「魚新」もそうだったし、「萬重」も、売りは、しっかりあまからいアラ煮きですし。
むかしの商売人職人は日ごろ大したもんは食わんから、たまの機会にはがつんとしたものを食いたくなったのだと思う。

前述の木屋町「串かんざし久」にしたって、旦那衆が舞妓芸妓つれて食わしてたわけでしょ。うすあじのものをちまちま食うより濃い味のものをたっぷり元気に食うほうがしっくり来る。

べつに濃い味の店ばかりではない。いまはない、熊野神社前の「松岡」は、ええ塩梅のものでひじょうによかった。その、いまはなき松岡さんが開業前に料理長やってた四条木屋町上がるの「たん熊北」も、いい塩梅と思うが、カウンタは時間がはやくてなかなかいけない。府庁前「かじ」もいいのですが、アラカルトはないし、最近店を広げられてちょっと大変なようだ。祇園の「さか本」も決してしょっぱくはない。春の売り物の、筍の葉山椒鍋は、以前は山椒が舌をえらくぴりぴりさしたのですが、数年ぶりにこないだいただいたら、マイルドな感じのお味になっててよかったです。先代「川上」で終わり近くどうみてもコールスローが出てきておどろいたにしても、「河繁」「吉泉」「乃し」「魚三楼」にしても、ことさらにうすくはなかった。
招福楼とか吉兆とかの流れの店になるとまた別のはなし。

「これが京のうすあじです」と胸はって言われてそれがもう「あじなく」て返事に困ったこともある。水っぽいだけでしょうが。せめてカウンタに塩をおいといてください、こっそりいれるから。滅多にないですが、そういう店だって「京料理」を標榜する。

つまり、「いろんな和食の店が京都にある」ので、そのバリエーションをたのしめばいいのです。
店の背景にしたって居酒屋進化系(「梁山泊」や「琢磨」はそうですね)、仕出し屋拡張系から、有名店修行系、精進料理系、伝統名店系とばらばらなものを「京料理」と総称している。カウンタと座敷では味わいも違うだろう。いちいちあれが濃いだの、これが薄いだの、こうじゃなきゃおかしいだの、がちゃがちゃいうことはない。私はそんなにいろんな店は知らないが、この手のものをあまりドグマティックにとらえるのが馬鹿らしというくらいはわかる。真面目なんでしょうがそのベクトルがちょっと変。

だいたい、飲み屋とか料理屋さんというのは、とくにカウンタの店についてはコミュニケーションの錯覚を楽しむもんです。そのやりようが、観光客にうけがよくて地元民に駄目な店もあろうしその逆もあろう。
そこそこおいしいのに評判が低いなら、それはどっかに穴がある。「応対が気に入らない」とか「仕上がりがきれいじゃない」とか、なににしても「わざわざ行く気にならない」とか「お得な感じがない」とかなのだと思う。
料理だけよければいいという向きもあろうが、売り上げに貢献する常連の多い店というのは、たぶん料理以外のものもプラスアルファで楽しみたいのだ。「環境加算」「応対加算」「薀蓄加算」「有名加算」「経歴加算」といったところでしょうけど、そのアルファがけっこう「イタイ」感じの店もある。それも含めて好みはそれぞれであります。

「こんな店が許されるなんて京都のレベルは低い」という言説があったりするに至ってはどうだか。
いろんな店があって好きなところに行けばいいだろ、俺は行かないけどべつに文句言う気はないよ、というのがたいがいの地元民の感覚と思うよ
「これを放置すれば日本は世界で孤立する」的斜め上のかさにかかったもののいいようは好きな人はいるまい、その不快感を言語化できないことも多いでしょうけど。

滋賀の雄琴のソープを語って「ここのこの嬢はNN、あそこのあの嬢は地雷」と店名源氏名さらしてそれで歓迎される客はいませんわな。顔バレすれば普通に出禁です。そのうえ「こんなソープが許されるなんて滋賀の人はそれでもいいのか」といわれても滋賀県人あっけにとられるだけではないか?

「京都人の勧めるお店」とやらもいろいろありますけど、「京都人」という定義がもう。
実際にそういう料理屋をもりたててきたのは、まず商家の人たちと思うが、京都の商家決して長男相続じゃない。かの一澤帆布は長男を外に出して末男に継がせた、もめたけどね。あの騒動のかなり前ですが「伏見酒場」で飲んでたらたまたまいあわせた長男さんが見ず知らずの私に「就職して外に出たらいつのまにか弟が家を継いでた」とぼやかれたこともある。かにかくに、「家」の存続を本気で考えるなら後継者の選択はシビアです。
男子が出来が悪けりゃ平気で女子に婿養子を取るし、婿養子はけっこう丹波とかから奉公に出てきた人だったりするわけね。嫁をとるにしてもけっして中京からとも限らんわけで、知人の実家は寛永からの商家だったが岐阜から嫁をとってた。別知人は跡継ぎの父親自身が子無しの家に来た養子だったし。
家がつながりゃ血のつながりはきつくいわないレベルの商家が多かったわけで。繊維業隆盛期はその程度の商家もいくらでもあったというだけの話でもあります。上流は知らんよ。
金をつかうというと、べつの分野では坊主もそうなんでしょうが、これもまた地方出身者多いですよね。
「家風」といったものをなんとか継承するにしても、はたして外食産業の好みまで同化が及んでいるものだろうか。けっこう、「わしはこの味好きや」というのが、いろんな味に関してありそうに思うのですが。
そのうえ、京都にもいろんなエリアがあるし、いろんな階層があるし、「京都では」といわれても、そりゃ共通するなにがしかの感覚はあるにしても、あまり純粋単一種の生物扱いされちゃ困るのですよ。
単一種のようなふりをしたいのは、それを肩書きにしてものや名前を売りたい人たちだろう。それにしたって、「へえ、名前売んのって大変やなあ」程度に考えればいい。「京都在住」というだけで一つの肩書きになるのは大したものだとは思うけどね、夜郎自大な感じもするが日本じゃそれなりに通る。ただ、そいつらの意見はあくまでもそいつらだけの意見です。

はて、なにをくどくどいってんですかねとちょっと我に帰る。

和食じゃないですが、

「アピシウス」 有楽町
かいわいのグランメゾンで比べると、銀座の「レカン」よりフランクな感じ、対応も雰囲気もいい、いい店。家族連れ(子連れという意味ではない)が多かったようだ。おいしかったけど、たまたまか、仔牛だけがかなりしょっぱかった。狂牛病でフランスからはいらなくなってて、久しぶりの一品ということでしたが、たとえばこれをもって、東京の味はしょっぱいこんなものが許されるのかけしからんという気はないのですね。気に入って何度かいってやはり自分にはしょっぱいなら、それでも食いたいならそういえばいいんだと思う。フレンチですが、あちこちイタリアン、まあ全体像の問題ということか。