京都でフレンチやイタリアンを食うこと2013/12/01 21:43

日本でのフレンチイタリアンについてつらつら。

もともと日本のもんじゃない外国料理なんだから、日本の金が集まる東京のレベルが高いのがあたりまえです。
京都あたりでは、ビストロレベルが分相応。金持ちも高額接待も限られるし、しかも和食に多く流れるのだから、高級フレンチイタリアンのレベルを上げる圧力も、数を増やす圧力も、圧倒的に低かろう。
贅沢品は金かけてなんぼであります。家庭料理じゃないんだし。

しかも、京都の旦那方は、同伴や舞妓連れてとなると、気の張る時間のかかるもんじゃなく「洋食」にいってしまうのである。もちろん高額だが、気楽に、ちやほやしてくれ、というのがよくわかる。社会活動として当然ありですよ、これは。
「ミクニ」は、祇園で、フレンチではなく洋食屋をはじめた。舞妓が呼べますw 京都でのビジネスについていろいろ考えてこうなったんでしょう、どういう経緯かうちにも案内状がきた。名簿業者に委託して医者にばらまいたんじゃないでしょうか、私はミクニ系列の店に住所を置いたことはない。





京都大阪がある程度の都会だから、関西にもトップクラスのフレンチイタリアンがあってほしいというのはわかるが、しょせんうごく金の規模が違うのだ。大洗や名寄(なぜそこ?w)にトップクラスのフレンチがないのと、理屈は変わらない。

だから、フレンチの伝統のない日本の田舎にオーベルジュつくって、というのも、目指す方面はわかるが競争や切磋琢磨の半端ない都市部でのレストランにくらべれば、日本の場合、格落ちしても仕方ない。べつのものを楽しむ場所でしょう。
よしんば傑出した個人が店を作ったところで、それでおわりです。分野がそこに存在しないのであって、その個人がずるずるレベルダウンしていくだけになってしまうんじゃないですか。
田舎には田舎の地元料理があって、それを売ればいいのです。

懐石系和食になるとさすがに以前は文化中心だった京都という田舎の地元料理だけある。「茶道」というのがそもそも接待そのものです。あまりに多い寺しかも本山の周辺に法事も仏事も多く、和食に大金を出す機会がかけはなれて多かったために洗練されまくった末ですか。

東京の和食は実は大正期以降上方化しているのだから、味の違いがどうのといっても意味はない。東京のトップレベルの懐石店名が「京昧」なのだしねえw
いまさら八百善にいきません罠。

なににしても「分野のレベルは、客の数とおちる金できまる」という、あたりまえのことでよいでしょうかね。
人が集まればこそレベルは上がる。都会のよさはそこである。日本のレベルを維持するのであれば、総人口が減ってもなおのこと、東京に人口を集めるしかない。