日本語と漢字2013/05/04 09:20

日本語は母音が少ない。くわえて漢字をつかって短音節に意味を圧縮するものだから、同音異義語がやたら多い。
それを、仮名を混ぜ込んですらすら使いこなしているのは、熟語にもちいられた漢字がつねに意味を理解するベースにあるからです。漢語とはいわないよ。日本で現在の用法を得た漢字熟語、日本でしか使わない漢字熟語はいくらでもある。

表音文字圏の人間にはいまいちそのことが理解できないらしい。
ジャネド-ダイアモンドは著書で、日本で漢字がつかわれるのはそのほうが高級に見えるから、的なことを書いている。ほぼ漢字を廃してハングルのみにした韓国を当然視したりする。20世紀はじめの比較言語学者が「そのうちアルファベットになるだろう」といってた状況から、奴らはかわってない。
漢字のバックアップのなくなった韓国で、同音異義語がわけわからなくなってこまかい意思疎通がときに困難という記事を見ると、まあそれがどこまで本当で深刻なのかはともかく、定期的にあらわれる阿呆な漢字廃止論にのらなくて良かったねと思います。母音が日本より多い韓国ですらそうなのに。
念のためその手の記事で最近見たものを貼っておく。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130504/kor13050403060000-n1.htm
ソウルからヨボセヨ ヤスクニ紳士とは誰? 2013.5.4 03:06 MSN-Sankei

ちなみに漢字のない諸国では単語をひたすらつないで熟語を作るので、とくにドイツ語などなかなか楽しいことになってるようだ、とまあ、するための議論もちょっとしてみておきます。

タブレット型の入力装置は日本語には向かないと私は思う。多くの同音異義語から選ぶというステップのある一点で、キーボードがあったほうが格段に便利。まともな入力作業の必要な「お仕事」を、すすんでタブレットでやるという人はみたことがない。
読むだけだったらタブレット型はほんとに便利ですがね。そのせいかこの歳になってぐっと近視化した。核白内障かもしれない。

頭の中でも、同音異義語のある複数の熟語について、状況からいったん適切な「漢字」をひっぱりだして、あらためて理解するという手順をへているのだと思う。漢字は、もともとが象形文字つまり絵です。だから、西洋での絵画に相当するのは、漢字つかった掛け軸だという人もいる。さすがにいいすぎのような気もしますが。

で、ここからが連休妄想タイムだが、そういう理解手順がある日本語では、耳からはいる言語情報も、そのまま理解されるのではなくいったんシンボル画像情報に脳内変換されてるんじゃないですかね。

日本人の言語中枢の場所が西洋人と違うという。実際に研究するとしたら、言語をきいたときに血流量の増加とか脳電図のある種の波形の活発化とかする部位を調べることになるのでしょうが、右脳だの左脳だのむかしからいわれる俗説。本当なのかどうだか知らんけど、受容と認識の過程が違うならあってもおかしくないかなとも思う。

同様にシンボルである漢字を使う中国人はどうなんですかね、「仮名」がなくて助詞もない中文は、これれはこれで、日本語とも、表音文字オンリーの言語とも違うような気はしますが。

ブラックボックスのでかすぎる、実証しようもない話です。

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