研修医の論文2011/01/07 21:26

研修医がいたりすると、論文の面倒を見なければいけない。しんどいのでもちろん日本語、英語なんて書かせた日には歩留まりがたぶん悪すぎるだろう。英語論文は手前分でも数年前が最後です。あかんのですけどね。

大きい病院でほったらかしてる上司もいたりする。その上司が自分でなにかプロジェクトやっていて手伝わせたりするならともかく、そうですらなくて、結局論文の出ない研修医をよく見る。
なにがまずいかというと、1本も筆頭著者の論文がなければ学会専門医になれない。「ある」事が大切なので、日本語でよし、なのである。
研修病院の部長としては、臨床経験の蓄積のほか、論文の面倒をみるのが当然と思ってきて、うちにきた非専門医にはかならず論文を作ってもらうことにしている。小さいところなもので面倒見のよさを売りにしてるつもり。

で、以前にあったことなのですが、、、、
たまに、これのできない研修医さんがいるのです。
なんでこれで受験とおって卒試までいって国試も通ったんだろうと思う。
しつこく説明して何度もやり直してなんとかデータベースを作って、さあこれを解析してというと、できない。その仕事の意味や目的、具体的なやり方を説明しても首ひねってるし、ろくな文章もでない。どこに問題があるのか理解も遅く、何をしたらいいのかわからずPCの前でじーーーっとしてる。自分で考える癖がないんじゃないかね。医学部出た人って、みんなそこそこお勉強好きな印象があるんですけどねえ。
イントロだけでもとなんとかちょっと書かせたら、引用文献にははやばやと番号つけられてる。あとで並べかえることはいくらでもあるんだから先に番号つけるんじゃないよ。無意味な形ばかり整えても。
学会原著だから締め切りがある。無料期間はとっくに過ぎて、有料の締め切りもくるので、仕方なく、ほとんどの部分を仕上げて、数字のわからないところ、文献の必要なところのあけておいて、ここをちゃんと仕上げろといった。重責感でヘタれたようで、そういう顔してたのでどうかと思っていたら、休んでくれましたねー。
電話がかかってきて、体調が悪いというので、休むのはいいけど診断書を出すようにというと、わざわざ新幹線も使って片道1時間半のかかりつけ病院にいく。体力あるじゃん。
この研修医はもともと状況が読めないことで医局で有名で、欝で休むという話は聞いていたのだが、適応障害での抑鬱状態だろうこれ。
けっきょく、文献も私が揃えて、必要な数字だけ幾度とないやり取りの挙句出させて私が埋め、プレ完成形までもっていったものをくれてやって、形式をきっちりして雑誌に送るようにいったのだが、それもあてに出来ないのが情けなかった。
私立医大についてはいろんな評判をきくのだが、ふつうに受験したらどこもそこそこ難しい。うちにきた研修医達も、出身大の評判はともかくちゃんとした人ばかりだったのだが、この人だけは大丈夫かと本気で思った。
そして私は、ひさしぶりに締め切りに間に合うよう集中して充実した時間を過ごせたというのか(笑

自己満足というが、なにかを仕上げるというのはいいものです。私も写真展したり、映画つくって上映会したりした。文章を作って、あるところまで残ってメジャーな文庫本に収録されたこともある。体育会のクラブにいたときはさっぱりで、人により方向に適性はあるのだろうと思うがそれはともかく。
自分だけのデータを出し英語論文(医学論文はほんとは英語じゃなきゃ意味ない)仕上げて通ったときのしびれるような感じが癖になって研究してる人がいるのはよくわかる、昔研究室にいた頃は私もそうだったからね。というかあれはそういうものなのに、世すぎ生計のためのものになっていくのが悲しいと思うし、それが社会の一部になるという事だとも逆に思ったりもする。
ところで、手術によっては、やはり「ああよくできたなあ」と思えることもたまにあるのだ。外科系の医者は、こういう、なかばエクスタシーみたいなものに中毒になって仕事をし続けるんだろう、そういうのが好きな人は。手術なら毎週何件となく、一度いれればむこうからお膳立てしてやってくる。自分でネタつくるハードルが低いわりに達成感が高いのです。

こういう「やりとげた」気分は大切で、これが癖になれば、論文でも、手術でも、なんでも自分で動き始める。でも、前述研修医がそれを味わったとは思えなかった。論文で専門医資格確保ははともかく、そういう「集中して達成」することを味わって、そのための技術を学ぶというのでなければ、こういう研修には本当に意味がない。

だから、本人は「論文つくってもらったラッキー」と思うかもしれないしそういう解釈する周囲もいておかしくないが、経験値をあげられなかったことはこの先大変なペナルティとして跳ね返ってくるだろうと、いつも思うのだ。

私が職場のPCでデータ処理しながらちまちま論文作ってたら、大変ですねえとかまだやるんですかとか声がかかるのであった。そのたびに、修行でやってるんよというのは半ば本音。
上司は自分以上のことを部下にやらせられない。だから、部下に指示してさせようということは、自分でできなくてはおかしいものね。
部下が勝手にやるなら別として。市中病院で勝手に臨床研究する部下なんてそうそういるもんじゃないし、いたってうちに回ってこないし。

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