公用車の交通事故 個人処罰のナンセンス2010/08/20 01:40

その運転が公用だったのであればこの処分はおかしいだろう。行政処分や人身としての刑事罰がこないはずはないので、それで十分のはず。私用でもなし、それでは私は運転しませんといって当然と思うが。
ほんとうは個人への行政処分や刑事罰自体おかしい。公用車ということは、運転手は「公」の代理人として業務をしているのであるから、処罰対象はその「公」のはずなのだし、「公」が刑事罰対象になっていないのは、「公なら仕方ない」ということにほかならない。民事で賠償する主体をその「公」として、それでおわりのはずだ。
「公の代理人」としてふさわしくないというなら、その「公」があらためて個人の組織内処遇を検討するべきだろうが、故意でもなければヒューマンエラーは仕方ないと思う。
これがまかり通るなら、だれも「公」に命じられて運転なんてしなくなるぞ、事故時の組織内免責の明文化を求めるだろう。萎縮医療の構図といっしょ。

http://sankei.jp.msn.com/region/kinki/kyoto/100811/kyt1008110324004-n1.htm
公用車で人身事故 京都・宮津市職員を処分 2010.8.11 03:24 MSN-Sankei

ホメオパシーをどこまでまじめに考えるか2010/08/20 01:50

8月9日のエントリー
医学を医学たらしめるもの 呪術となにがちがうのか
http://inakameishi.asablo.jp/blog/2010/08/09/5277345

の続きです。

西洋医学には統計での検定の概念があるから、まだしもあてになるだろうというという話なのでした。

現状ではそれをベースに考えるのがより有効であろうという作業仮説ですね。
統計処理も、集団のとり方とかいろいろあるので、堂々巡りになる事はあるんですが、「数学的に還元して考える」のはギリシャ時代からの「哲学」の特徴であって、サイエンスはその直系の後継者です。
要は「有効性を評価するシステムが内蔵されているか」という部分が重要なのだと思います。

ところでこの、統計云々は事象にたいする評価系であって、その評価系が有効であるという前提に立つ以上、その上のレベルで自己肯定の循環論法になりかねない。キャンベルとモイヤーズの対談じゃないですが。
したがって、私はこの評価系を西洋医学そのものに適応する気はありません。あくまでも各事象の有効性の評価にのみもちいるのがこの話の要諦。
そもそも原理が違うものを比較するものさしはありません、つか、比較できるものは原理ではない。
したがって現代医学をもって呪術やホメオパシーそのものの否定は出来ません。ですが、そのような事象評価系を内蔵する一点において現代医学がより有効であろうと私は楽観しています。

いっぽうで、呪術レベルのものをちゃんとした医学と信じて行う医者もいるので自戒はいりますな。
先日新人が、変視症をうったえる患者に、OCTで大丈夫だから大丈夫とかいってて、飛び上がってストップかけました。これにかぎらず、器械がよくなったはいいが、その限界を考えず頼る医者がいたりするのですよね。3日前に子供が頭をうった心配だからCTとってくれというアホ親とこれではかわりまへんな。

それでも、たとえば蒸しタオルがドライアイにききますよというのが呪文のようだといっても、まぶたの悪魔を追い出すという話と、マイボーム腺の所見や解剖学的知識などからそのような発言をするのは違うではないですかね。

世界を解釈し世界にはたらきかける方法論を持とうとする点では西洋医学も呪術も相違ないですし、私も、今やってることは呪術レベルやと職場でいうことはよくあります。ですが、そちらに流れ過ぎては、公費をもってインフラの維持をおこなう医者としては相対主義が過ぎるのではないかと思う次第。


とまあまじめにいろいろ書きましたが、ホメオパシーについてはどうみても、団体作って物を売ったりしてる連中は金儲けに見える。そこへ「自分は別」的なお客様たちが信者になって吸い込まれていくようにしか、見えんのですな。信者が善意で被害者を増やしていくどうしようもないパターンです。原理以前。

医者は保険システムでそこそこお金がもらえるので、患者をだましてなんとかしようというのは、そうそういません(実感)。そこそこ小心な常識人が多いと思う。勤務医はなおさら。それに知識量だってちがいます、6年の勉強と国試、さらに研修経験を馬鹿にしてはいけない。変な医者はたまにいるけど、だからって「事業として」ホメオパシーして儲ける連中やその信者(まともな医学知識の無いそのへんの一般人)のいうことはきいて、場数も踏んだ経験のある医者は信じないというのは、自分からカモになりにいってるとしか思えません。

いや、医者嫌いという人種はいるのですよ、大学院の頃知り合ったもうちょっと若い子が「私は医者は嫌い、でも家庭の医学はきっちり読んでるから大丈夫」と医者相手に能天気にもいったが、「あんた、家庭の医学しか読んでない医者がいたら信用するの?」といいたくなった(言わなかったけど言えばよかったと思う)。
西洋医学は、ガチな部分、患者本人の意に沿わない返事が多いと思う。それが嫌なもんで、自分でなんとかなる幻想を求めて呪術的医療にはまりこむんでしょうねえ。

「自分で得たとおもう知識」「たまに聞き込んだ知識」を信じてしまう癖も人間にはありますしね。
角膜炎のおばあちゃんがいた。どっかにいって点眼貰ったが、近所の人に「アロエがきく」といわれて、その点眼もせずアロエをしぼって目に塗り続け、えらいことになっていた。なんで近所の人のいうことが医者よりあてになると思うのか。たまたま乗ったバスでとなりのひとが「どこそこの病院はいい」というのをきいて信じ込んでしまうのも同様。
勤務医眼科部長やってて扱いに困ることがあるのは、診たことも無い受診者が、「先生の評判をきいて来ました」ということです。根拠のわからん評判を紹介状替わりにして、私のことを考えてくださいって、なんかおかしくないか?そういうひとは、私の悪口を聞いたら平気で信じていただろう。実際それで私になんかかからないという人もいるだろう。念のためですが、田舎ですからこういうことがよくもわるくも無名の眼科部長でも成立するだけで私は何者でもありません。
「自分をだますつもりでないのがあきらかだから真実のはず」という信仰なのでしょうかね。
辻占というものがむかしあった。願をかけ、そのあと街角に出かけていってはじめにあったひとが言った言葉を「お告げ」にるす、というやつ。まともな知識について判断する土台が自分に無いので、ひとにあずけてしまう姿勢は、根拠の無い自信と裏腹です。

自分だけ被害にあうならともかく、お医者さんごっこに人を巻き込まないでほしいと思わざるを得ない。でも、巻き込むのだね、儲けたい、もしくは、自分を正当化したいもんだから。