新世代のラーメンと並ぶ客 ― 2022/05/08 23:06
ひさしぶりに京都の市内にでてみた(こういう場合、古いもんは、河原町三条ー四条あたりをさす)。
コロナのせいか知らんが、蕎麦屋の大黒屋もなくなったし、木屋町と先斗町のあいだのほうの河繁もなんかみなかった気がする。幾松もなくなったっけ。
カオロウ館がなかったのもなんだかだったが、これは調べるともう7年前になくなっていた。もう食えんのやな。
いろいろ感慨にふけりつつ、木屋町を三条から上がり、ちょうど開店時間で待たずに食えそうだったので「名前のないラーメン屋」に入った。
外からの写真と、出入り口の写真は、食事後そとに出てからとったものです。
つけ麺食って帰ってきた。
どろっと濁ったスープにきついかつおぶし風味というちょっと前からのトレンドの味。麺はしっかりして、短くそろえてある。
カウンタはコンクリ、店内変なつくりやけど客はどんどん来る。
券売機に並ぶと、私のまえの小綺麗な若いカップル、男子が自分のぶん買ってそのまま女子に場所を譲り、女子も自分の分を、「自分で」買っていた。
今時はそうなんかと私は一人で大笑いしていた(なぜ笑う 。
私の後ろも若い女子一人。
一例から一般化するのもどうだかですが、若い男子にはもう金がなく、ふつうの女子はすでに金のない同世代男子に適応してしまっているというのか。
男が金出してなんぼな時代よ、さようなら、なんかね、金しかないおっさんは困るわなあw
「麺や 高倉二条」「slurp」「麺屋優光」「麺家あくた川」 東京では「麺屋 彩音」など新世代なラーメンにちょくちょく行くようにしていたが、ラーメン屋は完全にフェーズがかわったのだねと、今更ながらに感じた。店の雰囲気の作りがもう違う。
いや今まで通りの店だってふつうにあるにしても、「女性がひとりでいけるラーメン屋」の需要が満たされつつある。「ラーメン屋にいく男女はデキてる」という下世話な表現が昔あったが、都会の新世代系は、いまどきは初デートでもふつうにつかえると思うよ。
感想 シンウルトラマン ― 2022/05/23 00:53
それなりにネタバレします。
あまりぴんとこなかった。
ちゃんとはできていて、これはないやろというのもSFとしてはなかったけど、実写部分になりますが、映画として印象的な場面とかシークエンスもいまいち感じなかった。
私ちょっと今不感症気味です。
変な人間関係がいきなり立ち上がるのは日本映画やなと思った。岡本喜八好きはわかりますけど独立愚連隊とかいうなよ、、、
フランクな人間関係を無礼な形で表現するのはイタくて好きじゃないなあ。過去の映画などでけっこう使われた手法のイタさを表現したかったんかもしれんが、この映画だけ見たらアサミがただの変な人です。
ゼットンがCG臭すぎる。20年前の「ガメラ3」のイリス並み、いや、わざとでしょう、さすがに。
全体に小理屈が多くて、庵野さん頑張って考えたんやろうな。不完全な群体としての人間とか、庵野節。
そう、庵野さんがやる(今回は脚本ですが)んじゃなきゃ、悲惨なもん(デビルマンとかいわんけど)ができるだろうこれでよかったんだという、その界隈に漂う庵野さんへの信頼感とか安堵感とか、これはたぶん同時代じゃないとわからんもんだろうと思う。
ゼットンの形状がヒューマノイドである理由もないのはとにかく、超上空に見えるって「トップをねらえ!」のヱルトリウムを思い出させて、ああほんまに同じことを繰り返してるんやなと。
ゼットンのあれは、「巨神兵東京に現る」の、上空を巨神兵がぼーと浮いてるとこも持ってきてると思う。
んで、こういう楽しみ方もあるのだけれど、ちょっとどうかなとここのところ思っているわけで。
「ゾフィーがゼットンをセットしたのか」とか「庵野さんがウルトラマンの動きをやったのかさすが「帰ってきたウルトラマン」」とか「カラータイマーがないのは成田亨のオリジナルイメージがそうだからで」とか、おなかいっぱいなんですよ。
実写部分のカメラワークとかシークエンスの作り方でずっと良くなったような気がするので惜しい、とは思います。間にあわせっぽいのです。
同じ場所のはまとめ撮りしたのがまるわかりで、不満はおもに人間部分。邪魔にならなければそれでよかったのかもしれない。
昔飲み屋で山本耕史に似てると言われたことがありメフィラスだけは変に感情移入しました。
どうでもいいけど外星人がしゃべるときはエコーをきかせてほしい。
山本耕史だけエコー効かせて飲み屋の会話つくってくれたら喜んだと思う。って、これがいかんのだこれが。
古典というものは引用され再生産されることで古典になる、とはいうものの、庵野さんに引用されることで特撮やらアニメがやっと「古典」として成立したという世界線は、ありうるだけにちょっと考えさせていただきたい。何を言っているのか私は。
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