成功体験 オリンピックと新幹線2013/10/09 09:24

うまくいった経験があると、そのときの方法論から逃れるのはなかなか難しい。

私はあまり、受験秀才はダメとかお勉強しかできないとか、レッテルはっていういいようは信用しない。
ある一定の成績をとるということは、すくなくともある程度の能力もしくは努力の実績であって、たとえばなにもせずにひっくりかえっていたもののほうが人間性が豊かだなんてことは、絶対ない。
誤解されては困るが、たいがいのお勉強には努力が伴うのであって、共通の価値のために努力したものはしないものに比べ結果にかかわらずなにがしかの内面的なものを得るという、これは勉強に限らない、スポーツでもなんでも同様のことです。

図式的ですが勉強できるもんが嫌な奴でそれでも勉強ゆえにゆるされていたとしても、そいつはもともとが嫌な奴です。勉強できればほかがゆるされるという状況をつくりだしたのは周囲であって、そういう感覚を持つ親教師がいるという話にしか過ぎない。こんな図式いまでも生きてるんだろうかと思うが、いろんな大人がいますので念のため。

「ノルウェイの森」で、主人公が因数分解を覚える意味をきかれて、いろんなものの考え方を身につける、的にこたえる場面がある。お勉強というのは、まずは、常識的知識取得プラス、思考のための「素振り」みたいなものであって、しておいたほうが、ものの考え方は確実に広がる。

だから、たとえば大学入試に、ペーパーテスト以外のパラメーターを入れようというのは信用しない。恣意性がどんどん大きくなる。
大学に問題があるなら、それは大学の内部構造や科研費の取得構造に問題があるのであって、入り口をいじくってどうなるのか。はいってくるものの品質までコントロールできなくなってはどうにもならないと思うのですが。
お勉強できるものをあつめたけどうまくいかないのを、お勉強のせいにしちゃいけない。
私立が一芸入試やって、なんかいいことあったようにも思えないのに、東大がまたそれに近いことをやるという。京大もやるらしい。それどころか2次試験は「人物重視」とか、笑ってしまうわ。これなんて、受験勉強できないけどどうしても入学させたいひとが10年後くらいにいるとしか思えん。ある種の皇族とか。

話がはずれました。

努力でがんばって評価されてきたものの落とし穴は、努力そのものにある。
お勉強はあくまでも自分のためにするものなのに、大人がほめてくれる。この成功体験から逃れられないと、「頑張りました」と結果も出さずにどや顔でいう人物が生まれる。努力もしないのに「私の人間性を見てください」という奴と同じくらいうざい。

一度でも成功するというのは大切で、それをあしがかりに伸びていければいいのである。芸人だって、一発屋といういい方はあるが、一発もなければどうしようもない。いや脇にはなれてもスターにはなれない。脇でもいいじゃんというのはまた別の話。

医学関係でも、成功した手法、それも他人の手法、を繰り返しデータをとる研究者なんざざらである。特に、数に意味のある遺伝子関係や疫学関係。方法自体が問題ではないからこれはいい。退屈ですけどね。

ソニーの成功は、トリニトロンと、コンパクトディスクである。トリニトロンから脱出するのがこだわりの分遅れ、CD同様にソフトを規定するハードの規格を自前でつくろうとしてその後ことごとくこけまくった。

成功体験の追憶から逃れるのは難しい。

戦前の日本は、ロシアの南下からの自衛として、日露戦争後に朝鮮半島を併合した。まずかったのは、「併合した」ことである。つまりそこまで日本になったので、自分の一部として朝鮮半島を守らざるを得ない。そこでつぎには緩衝区域として満州国を設立、ところがこれがまた実質軍部の運営だったもんだから、満州を守るとして内蒙古にまでいこうとしてしまった。内蒙古に手を出した将校は満州国を設立した軍幹部に「おなじことをしているだけです」と言い放った。
馬鹿である。
大陸方面で手を広げすぎ、そのうえに南方にまで前線をひろげてもつはずがない。
日露戦争の成功体験から逃れられなかったのですな。

戦後の最大の成功体験は高度成長で、このシンボルたるものが、東京オリンピックと、新幹線である。
で、バブル以降鬱屈がたまっているのだろう、みんなおまつりがしたいのでしょうし、そのシンボルをあらためて祀り上げて夢をみたい、のはわかるのだが。

東京オリンピックのあと、人口増加を背景にした高度成長に、金のかかるインフラ整備は吸い込まれた。国内だけで富は増えない、もちろん輸出しまくって金が日本に入ってきたからよかったのであって、直後のベトナム特需が効いた。
新オリンピックに金かけるなら、つくられたインフラから金の回収ができなければならないのだが、そこが心もとない。「富」が持続的に増える道筋がみえないのである。
関連インフラとしても、滞在施設は移設可能にして、都内と空港、鉄道拠点との移動を容易にするのがいいだろうとは、私にすらわかるが、利権や縄張りがからみそうである。というか、そんなものでまともに事が運ばないようならどうしようもないんですがどうなるだろう。
東京の中だけでインフラの水増しをやってくれて、そのあとの構造不況も東京だけがかぶってくれたらいいのだが、そうはなるまいし。

で、このたびは、リニアモーターカー。
これ、東京名古屋だのそっから大阪だのやめるべきだ。飛行機がここまで安くなってしまうと、ガチで高精度つまり超高額なチューブを大深度長距離に固定で埋め込んでほとんど2点間のみで大量輸送を図るというのはリスクも高ければコストパフォも悪い。出入り口がしんどすぎる。品川駅がなんのためにできたというのか。
技術的にやってみたいのはわかるが、できるから必要というわけではない。

ほんとうは、500キロまでの大都市間は高速鉄道、もっと遠いところや海外へは飛行機、大都市近郊地域から僻地については状況に応じバス鉄道小型飛行機、あとはレンタカーでも使えというところなんでしょうが、鉄道と飛行機が張り合っていて、補完しあおうとしていない。そこが最大の問題でしょうに。
つまりは、いまどきどこでもかなりの遠隔地につくられるようになった大空港と、大都市を、ごく短時間でむすぶのがリニアなんかの役割のはず。スピードがあげられず役不足というがいまにくらべてよほど早ければそれでいいわけで乗客も稼げる。
成田と羽田と東京の鉄道拠点をつなぐ、関空と伊丹を大阪の鉄道拠点とつなぐ、のがリニアならいいのである。関西に関してはそれに京都駅を足してもいい、すくなくとも今の計画に京都が割り込むよりよほどまし。
それをしないのは、リニアを持っているJRが、飛行機と張り合うからで、これをなんとかするのが政治じゃないのか。

リニアにこだわるのも、新幹線の輸出がいまいちなのでリニアでもう一発、そのためには実績を、というところなのだろうとおもう。
なににしても新幹線が日本でうまくいきすぎたのであるが、売るとしたら、運営システムなんじゃないだろうか。そりゃハードの管理ができないのに運営システムだけ売れないというのはわかるが、ハードを売っても規格の売れなかった日本の失敗をそろそろ直視して、システムを売るためにはハードは格安で、たとえば車両なんか持続的にリース提供する程度のことは考えたほうがいいし、各国の交通に対して汎用性のあるシステムをつくりあげれば、もっといい。システム維持を請け負うのであって、契約が更新されないならハードは残して、リース分とシステムごと引き上げるくらいでいいのである。
そんなものできないというのだろうが、簡単じゃないから売り物になるのである。当然まず日本の各種交通機関でこの方式は使うべきだし、こういうところでこそ、国が音頭を取ってくれんといかんのだが。
まあ無理でしょうな。国は個人資産を巻き上げることしか考えていない。

成功体験でできあがったパラダイムが生きているうちに次のパラダイムを用意するのは困難だ。オリンピックとリニアで日本終了、にならないと次にいけない、様な気がして、そしてその次もろくなもんじゃないような気がして、自分の老年が非常に心配である。