病院での火災警報さわぎ2011/06/27 14:02

昼休み、ラウンジのソファで食後寝ていたら、警報が鳴って、

「一階で火事です ただいま調べています」

という再生音声が何度か流された、
いままでも、たまに誤警報はなったことがあるので、みな反応は鈍い。
この2階は、すぐそばに一面の窓があって、外には非常出口のつながった低い張り出しもあるので、いきなりとじこめられて火に巻かれてどうにかなるとも思えない。
ここで様子見てていいやろうと起き上がりもせず。同様に昼寝している医者たちはごろごろいて、誰も動かず。

すぐにふっと寝入っててしまう。
でかい生き物に血を吸われ首をうばわれるという、昨日みた映画のせいでやってきたらしい夢を見ていたら、また警報。再生音声だが

「一階で火事です 避難してください」

これはあきらかな避難警告なので、おきあがって長い廊下を、階段のあるエレベーターホールにむかった。寝ていた連中、医局に居た連中、図書館からも医師事務そのほかがぞろぞろ。
エレベータもとまっている。上の階の病棟はどうしようと一瞬思ったが私は病棟の避難責任者でもないし、一階で状況確認してからにしようと、ホール横の階段でおりた。

1階のエレベーターホールで、かなりの人がほんまかいなという感じでうろつくなかに、作業服着たひとがやってきていうには「整形の便所でタバコすったらしい」。

それそのものが本当かデマなのかもわからないのですが、どこにも火事の気配は無く見た人もいないようなので、まあいいかとラウンジに戻った。他の人たちも三々五々もどって、間延びした雰囲気に戻った。

やがて、「さきほどの警報は誤報でした」という、院内放送。

ばたばた外科の先生通りがかり。「整形の患者が便所でタバコ吸ったんだ、もう受診禁止にせんといかんね」という。
「でもねえ、厳しすぎるからこういうことになるんで、やっぱ喫煙所はいるんじゃないですかねえ」と答えると、
「でも、末期病棟と精神科病棟は、やめさせても意味ないかやめさせるほうが影響が悪いかで、禁煙にはなってないんだよ」とおっしゃる。
知らなかった。
「それよりも3階以上の階では非常警報わからなかったんだって、そっちのほうが問題や」
といいながら去った。たしかにそりゃ問題です。

ところで、医師も職員も、煙草を吸いたいときは、裏の駐車場のむこう、敷地のはずれの小屋の陰ですっている。ほぼ敷地外の歩道である。雨降ったら傘差してでもいくひとはいる。しかし患者はみたことない。

私は院内で喫煙なんか一切しませんが、あまり気違いみたいに煙草をたたくのもどうだかと思う。そんなものを含んだ施設基準をとるのもばかげている。副流煙がいけないなら隔離すればいいことで、せめて風通しのいいところに休憩所を作って黙認するべきだろう。。
犯罪でもないものを禁止して個人に過剰な節制努力を強いるのは組織として、いや思想としておかしい。こういう清潔馬鹿は、安全教のよき信徒たちである。

喫まなきゃいいのはわかりきってるが、「べき」で人の世は動かない。いらないことをしたがるのだって人間で、そういうバリエーションを無用に制限するのは、制限すること自体が目的、きれいごとで人に指図をしたいだけだろう。正論はつねに胡散臭い。

煙草が健康に悪いからいけないなら、隔離して、喫煙者の保険を高くしろ。空気を浄化して、その金は煙草代から出させればいい。肺癌や肺気腫になったときの治療費だって高くていい。金持ちしか病気になれないのかといわれればいまの日本ではノーだが、金持ちしか病気のリスクを前提に煙草が吸えないのかといわれればこれはイエスでいいだろう。
迷惑かけずに喫煙するなら、黙認するのが大人の態度で、成熟した社会のありかたであろうが。どうせ危険のない世はない。その点で平成の御世は江戸時代よりガキである。

危険の存在を認めないから、管理できず、結局リスク(危険可能性)は増大する。火事騒ぎが起きる。ドラッグや売春の公認は、社会のリスク管理というべきものだ。その延長線上に原発がある。
リスクを隠すことによっておこる危険 (danger) は、始末に終えない。

だから大麻も同様だ。ダウナーのあれがいけないなら、大麻吸引所を酒場みたくつくって(アヘン窟かw)、そこだけでやらせろ、影響が残る間は社会活動はさせるな、運転もさせるな。ラリって迷惑かけたら厳罰にしろ。吸引していることを公開して社会的なペナルティにしたらいい。依存症のプログラムに放り込め。でも、そこまでだろう。
家庭が崩壊したと子供が泣くなら、その子供が吸わなければいい。自分の人生をふみつぶす権利は誰にでもある。巻き添えのない人生はない。すくなくともその保証を社会に求めるものではない。

しかしまあ、そこまで厳しく言うなら、けっきょくはかくれてやるやろうけどw それではちゃんとしたリスク管理にならないんですがね。

ところで、類似の、余計な集団的強制というと、思い浮かぶのは「笑顔は無料」である。
笑顔までバイトに強要してどうする。金で買えるのは「もののやりとりを不快感与えずおこなうこと」であって、その際の情動に関係する身体表現を強いるのはまともじゃない。
バイト代も安いその手の店員の笑顔は、店主や客との人間関係で得られるもののはずである。笑わせたかったらチップでもやったらどうだ。
そろそろそういうの、やめてほしい。いずれも人道に反するよ、人権教はどこにいったw

国歌斉唱時国旗掲揚の起立は別ね。あれは「礼儀」である。葬式で笑って座り込んでる奴が居たら放り出されて当たり前だ。国歌が嫌なら、起立して、口を閉じて斉唱しなければいいだけではないか。


ラウンジのすみに、直接屋外にでられる非常出口がある。
たぶん外には、張り出しのところに非常階段があるんだろう。
ドアノブはプラでプロテクトされているが、警報を機会に使って、どんなふうになってるか見てもよかったかとあとで残念になった。