店 花涼ん きくもと 京都2012/05/03 00:38

京都も伏見の大手筋かいわいです。

「花涼ん」 大手筋新町下がる
以前大手筋界隈に「寿兵衛」という寿司屋があった。子供のころから出前は必ずここからだったのだから、私のデフォルトであった。
たちいったことを書くのもなんですが、5年以上まえに息子さんに代替わりして名前も変わった挙句、結局店はなくなり、ほど近くで奥さんと寿司の出るスナックをしていたおやじさんもなくなってしまった。
その、やめてしまった息子さんの店の名が「花涼ん」。この名前で、その近所であらためてやるのは、カムバックだろうと思ったがやはりそうでした。




こじんまりした今風の居酒屋。まともな和風のものがちゃんと出てくる。きっちり絞った内容になってるのが今までの苦労を思わせる。寿司はない。まだ体制をこれから作る途中のようですが、がんばってほしい。ただ、この場所でやるならランチは必須じゃないかしら。

「きくもと」 大手筋銀座下がる
屋号一部は変体仮名。高級そうな寿司屋だが値段は、ランチの上盛り合わせ1.8Kと、ほどほど。出口でお勘定する設定になってるからそのクラスの店。




寿司飯があまり甘くないのは、箱寿司や太巻きの好きな私個人の好みからは外れているが、握りメインならそんなもんか。そこそこちゃんとしたものをそこそこちゃんとつくってる印象は受けた。

ほかガイシュツでいったなかから。
京都
「アサヒスーパードライ」 メニュは変わらずでよい。ビフカツと白身魚フリッターは堅持してほしいもの(勝手。最近は「琥珀の刻」ばかり飲む。
「Majorica」 最近は先斗町も観光客でにぎわってるが、この店も客の入りがいい日(夜)が多くておどろく。
「キッチンゴン」 家内といってピネライス食ってみた。まあそれだけですが。
「柳月堂」 3時間ほど読書と転寝。その日はたまたまか客のリクエスト曲がすくなく、2曲リクエストしたいものだと思った。しませんけど。
「京料理かじ」 客が震災前並みに戻ったと思う。
「重兵衛」 おっさん2人でだらだらと飲みつつ、互いの専門分野に関して相談。ひとり分を嫌な顔もせず2皿に分けて出してくれるありがたいお店。おっさんはそんなに食えんしね。
長浜
「能登」 いまは春野菜がおいしい
「スナック祐子」 内科の先生に教えてもらった。新出ですが詳しく書くほどのものでもないふつうのスナック。片町周辺。最近歌いに行きます。ママはバーボンが嫌いだそうな。
大阪
「グリルシャルドン」 もっと近くにあればいいのに。

酒の会 十字屋 けいおんマネキン2012/05/06 21:14

連休中、住吉川河口で、以前は ML だったのだがある日本酒の会の、この時期恒例の BBQがあった。呼びかけ人の U 夫妻は大変なことでしたが、なんか SNS でやるようになったらしくえらく人が多かった。いろいろ酒も集まり、あれこれいただけてありがたかった。




こないだから大塚ひかり訳の「源氏物語」を読んでいて、非常にわかりやすくておもしろい。文章までへんに引きずられている。
読み手側の「共通の理解」を何事に限らずハナからないものと考えて、美文に流れず、くどい位社会制度やその中で男や女がどう考えるのがもっともらしいかと、適宜解説を入れて念を押しているのが特徴。結果、むしろ昔と今に共通の人間のどうにもならなさを納得させてくれる。大塚ひかりの解説を読みながら訳本文は読み飛ばしているのだが。
源氏が須磨に謹慎したときはこのあたりもうろうろしたという設定の住吉あたり、河口の向こうにどかんと六甲アイランド。ちょっとすごい風景のこっちで砂遊びする子供ら。見なれりゃなんてことないもんとは思うが、いろんな落差がある。今更ですが白砂青松ははるかな昔。




午後も過ぎていくと潮が満ちて、みなわらわらと護岸にあがる。
↓ の、橋の下あたりですぐさっきまで飲み食いしていたわけで。





ところで、三条の10GIA、けいおんのノリをすこしでも持続させて売りたいのはわかるのですが、こうやってJKの格好させた目鼻のないマネキンに楽器もたせて、売り上げ上なにかいい影響があると、いったい誰が考えたのだろうか。





そうじゃなくてもあちこちで「貞子」の売込みがかかる昨今、かなり不気味なんですが。

ついでに、、、、クソ笑った。
やるなあ、と思ったら古いネタらしい。

他人に指図する善意2012/05/14 13:35

産経新聞のコラムだが、10年前、雲南省に日本人ボランティアがたてた小学校が、今じゃ勝手にどっかの会社のものになって教育にも使われず記念碑も足蹴にされ、ということを、悔しげに書くのである。

上海余話 誠意への応え方
2012.5.14 03:04 [中国]
 ミャンマー国境に近い雲南省龍陵という村を訪ねていた日本の知人が帰路、上海に立ち寄って怒りをぶちまけた。日本からの1千万円近い寄付で、10年ほど前に龍陵に建てられた小学校を探しにいったところ、校舎ごと地元建設会社に売り払われていたのだという。建設の由来を記したプレートは見るも無残に破壊され、貧困な村にも教育を、と願った日本人の誠意は踏みにじられた。知人の証拠画像を見ながら、怒りと悲しみで飲み過ぎてしまった翌日、上海支局に電話がかかってきた。


馬鹿書いちゃいけない。くれてやった以上どうなったってあっちの勝手であり、思ったように生かされなかったなら、それは見通しが甘かったのである。くれてやったものが将来もそのままいいように生かされ、ボランティアたちは感謝の思い出につつまれて、なんて甘ったれた発想はどこから来るのだろう。

なにかしてやって、それが本当に目的通りに続けられることを望むなら、そばで見張り、つねに報告させろ。ほっといていいようになるわけないではないか。頼むから曽野綾子おばさまに似ているとかいわないでほしい、というか、産経新聞の不思議は、こういう言説のコラムと、曽野綾子おばさまが同居しているところだったりするのだが。

善意でものごとが行われるとして、その善意に受け手が応えて当然というセンスは世界標準ではない。金持ちが好きなように金を落としに来たんだから、それを利用してやろうというのがふつうである。これは前にも書いた。↓
自分の善意だか誠意だかに他人が縛られるという発想そのものが、自己中心的である。
ボランティアなんてしょせんその場限りのものだ。それも、非力な自分を救済するためのものであって、あとあと相手に指図する足掛かりにしようだなんて迷惑至極である。

ところで、相手のためと称して行うよけいなお世話(よけいなお世話はすべてそうであるが)というのが、眼科の徒弟制度的手術学習過程にもよくある。
手術ができると自負する上位者が、下位者に、「おまえは下手だから、この手術は学ぶな」と指導するのである。「センスがない」と偉そうに言い放つ人もいる。
上位者が、たとえば雇用主であって、下位者の手術にトラブルが多いから経営上困る、もう勘弁してくれ、というならわかるのであるが、研修課程でおこるのでうっとおしい。
「お前は硝子体手術に向かない」と宣言されて白内障手術ばかりさせられるのはまだしも、「お前は内眼手術が向かないから涙道手術をやれ」といわれたり。しかも放置されるのがたいがいである。それは指導とはいわない。
べつに白内障手術や涙道手術が、硝子体手術や内眼手術より上や下にあるとはいわないが、学べるはずの場所に学びに来たつもりの者に、教えようともせず相手の枠を勝手にはめて違うことをやれと指図するあつかましさはどこからくるのだろう。それは単に、自分に教える能力がないということであって、むしろそれを自覚してさっさと研修施設の指導的立場から去るべきだ。
ただ、だからって徒弟的なものを排したオープンな教育システムがこういうものについて可能とも思えない。徒弟制度的な過程からのみ技術の継承は可能と思うので、関係性そのものは否定しないのだが。

日本では、「指導」というのは、「お前はこれをするな」という形で行われることが多い。以前にも書いたが↓、むかしカルト的な人気のあった少女漫画家岡田史子がブランクの後また作品を持ち込んだら、出来が悪いです漫画の現状を知らないおやめになったほうがと竹宮恵子がご親切にご指導さしあげ、岡田史子はそれでもう描くのをやめてしまい(QuickJapan vol17 岡田史子へのインタビューから)、その後早世した。

ひとりよがりな指導的善意の延長線上に、日本の社会のすべての断面でおこっている、「理想が満たされないので禁止する」があると思うのである。
原子力もそうだし、風俗営業規制もそうだし、生レバもそうだろ。ゆとり教育だって善意に満ちていたぞ。理想の術者、理想の漫画家、理想の科学技術、理想の社会、理想の外食、理想の教育を目指すのはいいが、現実がそうでないからって拒否ってどうする。この世に生きる限り、不完全なものとも折り合いをつけなければどうにもならないのですが、理想論で相手をねじ伏せる快感には勝てないらしい。
声高な「正論」ほど世の中を腐らせるものはない。自分の快感や保身のために行われるにも拘わらず、世のためと称して反論を許さないからである。

店ほか 指導されるもんにも求めたい 満寿一のこと2012/05/16 00:29

ガイシュツ
「能登」 長浜 筍の刺身 歯応えが良くて結構
「花涼ん」 伏見大手筋 刺身盛プラス中トロ、軟骨から揚げに酒3杯で5Kほど。いいと思うが大手筋値段としてはどうかな。そこそこ客は見るが安めの揚げ物や焼飯が多いようだし、今後あえてここを選ぶにウリがほしいとこだねえ。ともあれ寄ってあげてください(おい
「うな富」 伏見大手筋 定食で、出し巻き茶碗蒸し鯉刺身が食えるのでそれだけで呑めてしまうのであった。

ところで、指導医についていろいろ注文付けたが、指導されるほうももうちょっとしっかりしてほしいと思う(ここで書いてもなあw)。
なにいってもやる気のない馬耳東風は、私は経験はないがたまにいるらしい。知人部長が最近そういうのにあたったようで疲れ果てていた。
それはともかく、出来てもいない自分の技術にしがみつくのはやめてくれ。不安なんだろうが、できないならまず素振りからやってくださいよ。

そして、論文を書くときは、毎回、仕上げのつもりで原稿を持ってきて欲しい。トップページはいわなきゃつくらないとか、いつまでたっても訂正箇所がそのまんまとか、あかんやろう。まあこれは、そうじゃないほうが珍しいんだが。
私は指導者にみてもらうときは毎回校正のいらない完成品のつもりで書いてた。ほとんど書き直されたこともありますけどw
論文作成で加えて言うと、偏見ですが、国公立出身だと、きっちりさせようとしすぎてだらだら遅れる、私立出身だと、ぼろぼろでもとりあえず早めに仕上げる、という印象はあります。旧帝大以上のひとについては直接指導する機会はなかった。
ああいうものは趣味の部分があるわけで、たまに勝手にどんどん書いてくる人もいるようだ。羨ましいw

職場で接した女医さんについてなら、いわゆる、いいところをでた女医さんほど、一見おっとりしていて人に頼むのがうまい印象がある。これってやっぱ頭いいんでしょうな。もしくは気持ちの余裕かもしれない。
「頭がいいのにばりばりしてない」というのが意外な向きもあるようなんだが、頭が良い女はエコになるのよ。へんなコンプで動いてるひとは別としてね。

なににしても最近の医学部の偏差値は半端じゃなく高いし、総じて、お勉強するのが好きな感じがするのは、頼もしいといっていいんでしょう。そこに、へんに研修をシステム化してお客様気分にさせる芽を持ち込むのはやめたほうがいいと、むしろ体制側に関して私は危険なものを感じています。


で、何度か書いている満寿一酒造さんのことですが。
こないだ呑みにいったら、満寿一さんは続きそうで仕込みもするという人がいた。
ほんまかいなと思ったが、本当ならいいことなので論争する気もなく、あらためてトミナガさんにいったら、やっぱ廃業前提に、蔵にある酒を出していくという。
なにがどうなるのかようわかりません。すでに斗瓶を買うとかいう状況でもないようです。どっかに買っておくなら私も金出したいと思ったが、ものより貯蔵のコストやなあこうなると。

孤独のグルメと深夜食堂2012/05/20 18:07

「孤独のグルメ」すでに放映は終わりDVDも出ていると思うが、関西では放映されなかった。やっと見たのですが、単行本分の原作が古いせいか、店の選択もふくめてほとんど脚本家の作品じゃないですか。東京B級グルメ案内みたいな感じで最後に原作者もお店と馴れ合ってるし(悪いとはいわないが、はじめて伺うとかいってるんじゃ、どこまで原作者の意味があるんだか)、そりゃ関西で放映しないのも仕方ないか。

主演は「深夜食堂」で主要脇役のアニキしてた役者さんである。そのときの印象より年配であった。
濃い人間ドラマ(笑)が繰り広げられるわけではないにしても、おっさんおばはんがうろうろ安い食堂の周りに出てくるのは同様で、「深夜食堂」が当たったので通った企画配役じゃないのかと思う。
おっさんおばはんがただうろうろすること自体にはぜんぜん異論はないのですが。料理をネタにした成長物語、対決物語は私はいらんし。
次に危ない(何が)のは、モーニングのうなぎのコミックですかね。

関係ないけど「深夜食堂」は、2にもなり、見るうちにどんどん思わせぶりで泣きの入る脚本になっていって、ちょっと見てられなくなった。この路線、はじめに私が意識したのは「魔法使いサリー」で、つまりは日本人の物語つくりは何も変わってないのだな(強引)。

もの飲み食いしながらやりとりする場面作りでいうと、小津の「秋刀魚の味」はすごいと思う。滑舌も間も比較にならないいまどきのテレビドラマなんだが、小津みたいに金と時間かけたら、小津みたいなことが、今できるんだろうかね。

金環食 フィルターなし 京都2012/05/22 00:20

PentaxK10D DA55-300の望遠側、F29 1/4000
食が小さい。かなりにじんでるんだと思う。

外にでたら、へんに薄暗いものの、直視するのは無理。舐めておった。
カメラ向けて、ファインダに太陽が入るとまぶしいので目をつぶり、ファインダ経由で瞼の向こうが明るくなる状態を撮影してみました。

ライブビューで受光素子焦がした奴けっこういたんじゃないですかね。
太陽を見てしまったという人は、眼科医会が市民に知られず大騒ぎしているわりに、私は一人しか診ず。