新京極 数学の先生2011/01/23 00:59

むかしは土曜朝親族の手伝いをして、昼はその近所で寿司食ってたらっと過ごしたのですが、その寿司屋(寿兵衛といった)がなくなってしまった。ご主人も亡くなったのです。
いまどきは、中華とか適当に食うのですが、久し振りに昼から寿司が食いたくなったので、京阪で四条まで出た。

新京極の「乙羽寿し」、蒸し寿司でいつも冬は湯気のでているところ。
上記なくなった寿兵衛のあるじが夫婦で町に出たときにいったりしていたときいていた。
「寿司のれん会」とやらの会員。祇園の重兵衛や木屋町の吉野鮓も会員なので、その系の味なら、私の好みのはず。寿兵衛のあるじも重兵衛出身だったし。

なんとなく馴染んだ感じのおっさんたちが食ってる。俺もそう見えるのかw
京都の場合、新京極といえどもこういうちょっと古いタイプの店は、フリの客だけではたしてやっていけるのかしらと思った。東京の銀座あたりならいいのかもしれんけど、田舎じゃどんどんなくなってるよね。
おおむかし米国の眼科教授一家を京都案内したとき、教授の奥さんが「Bento box」とかいいながらここで折り詰め買ったわ。私も持ち帰りは買ったことあるが入るのは初めて。

寿司飯はくっきり立って、ちょっと甘くて巻き寿司押し寿司向き。好きなほうかな。
でも、「食事する店」で、飲み屋では、ないですね。飲みながらつまみ食ってゆっくりして挙句に寿司食って締める店ではない。そもそも寿司のれん会というのは、夜の早い店が多いようだ。甘めの京都風寿司飯で、外れたところにあって遅くまでゆっくり飲める店、というのはないか。

「飲む」ことにならず物足りなくて、そのあとここを上がったレトロ飲み屋でビールでビフカツ食った。かたい衣がすぐ外れてあまりおいしくないけど、この店はこれでいいのだとも思った。肉量増えてるような気がしましたが気のせいかな。
前の席で定食食ってるにいちゃんがマイ箸で、食い終わった後コップの水でその先を洗う。これ見て、大昔になくなった祖父を思い出した。
京都の商家では、食事後茶碗に茶を入れて、自分の箸先をゆすいで箸箱に入れるものだったのです。あまり孫(私)をかまわない祖父だったが、祖父宅でいっしょに食事するときのこの行動だけはくっきり覚えている。

帰宅して、夜、うちの近所の数学の塾に、家内ともども娘をつれていく。面接していただいて、教えていただくことになった。
かなりガチな塾で、Aクラス進学校の生徒達がすれ違いに帰っていった。うちの娘はCクラス進学校で、成績上位とはいってもついていけるんだろうかと不安だが、本人は、いく、といってる。
がんばってください。こと受験に関しては、本人のやる気以上のものはこの世にないです。

鹿猟2011/01/23 18:20

北のほうで共猟会があり参加させてもらった。

1昨年は雌鹿2頭とれて、解体途中にかじった背ロースがうまかった。昨年は坊主。

田と川で山からへだてられた双子丘が猟場。
丘のわきの空き地で、鹿の道を見張っていたがまったく気配のないまま2時間強。
先の待ち場のひとが先に戻って行き、そのあと銃声があって、戻るよう指示が来た。

丘全体に3頭程度しかいなかったようで、銃をもたない見学者達の目の前でネットにかかってみたりと、あまりうまくいかない日であったが、どうなったことかと集合場所に戻ると、ころがってました。




大き目の3令オス。ライフルで仕留めたそうです。
ベテラン達は、触っては、やせてるなあ山に食いもんないんやなあとかいってる。犬は肛門にかじりついては追い払われている。

案内の方の家の庭先で解体。頚のうしろの、おいしい背ロースあたりを弾がぶちぬいてる。腰のほうの背ロースをかじってみたが一昨年ほどおいしくなく、そういったら、とれただけでもよかったんだからとたしなめられた。そりゃそーだ、自分で仕留めたわけでもなし、命をもらうのだ。

背ロースは特に均等割りになる。ほかの部分も含めて持ち帰り掃除したら 1.5kg になった。
500gを今日カツにして食い、のこりは冷凍します。


医療と競争におもうコメント2011/01/24 00:35

リピータの出ない急性疾患の医療に関しては、値段の競争は、質の競争には結びつかない。値段の競争がむしろ質を落としていく。

患者に対する接遇と医療のレベルは別である。

セカンドオピニオンは、患者のためではない。医療機関の正当化のためであり、クレーマをよそへ追いやる口実である。

病院のやめどき2011/01/26 14:09

知人の話。

眼科スタッフ4-5人の中規模な病院で部長をやっていて、症例数がどうしても少ないので(硝子体手術200とか緑内障手術100したいとかいうと、そりゃ病院が限られる)、データも思うように集まらず不満だったそうな。
それでもその地域に多い病気をしらべて日本語論文を書き、ものによってはとりきめをつくって採血して遺伝子検査につなげ、もと医局の大学の集める症例はどんどん送って、まあそれなりに楽しくやってきたつもりだったそうな、日本語論文というあたりが弱いけど。

もっと症例の集まる病院にいきたいといっても人事権者の教授はふんふん生返事するばかり、おまえなんかじゃ力不足ということなんでしょうか。10年近くでさすがにネタも尽きてきた。ま、煮詰まりますわね。
いっぽうで開業父親が倒れてそこそこはやってるクリニックをどうしようかということになった。でかい病院にいけるならもうクリニック捨ててもよかったんだろうがそうでもないので、継承する時期かと思い、挨拶は必要と思って教授のところにいった。

春には人事異動で、部下3人のうち2人が入れ替わり、しかも新しくくるものは前の病院での当たりが悪くて論文がないつまり専門医になれない。
すぐにやめるのもなんだし、まとめておきたい仕事も少しあるのでそれで論文を作ってやることにして、半年だけいて、やめますと言ったそうです。

教授は嫌そうに、後任の人事はなかなかないのでやめたら3人でやってもらわないといけないといいつつ、部下たちの最年長者も専門医取れない状況なのは把握してない。そのうえ、今どこもスタッフが足りなくて、1年待っても上の立場のものが送れるかどうか分からないとまで言う。
彼は、自分がやめたら研修指定病院を維持できないのではないか、だったら研修医にはまずいんじゃないかときいたが、そこのところは教授の一存でなんとかなるんだそうな。

だったら、無理にいたっていつやめたって同じなんだから、自分の決めたとおりにやめようと彼は思った。

人事異動は年度替りにすることにしているって教授。そんなこと知らないよ、部長人事なんて別もんだし、大学にもあちこちの大き目の病院にも、歳だけ食った役立たずがごろごろしてるじゃないかと彼の内心。研修プログラム病院の維持するという名目が前はあったが、そんなものがもう維持できなくなってる。研修プログラム病院じゃなけりゃ専門医を集める必要もない。
彼のいる病院を医局のためにどの規模で維持するかどうかは教授が考えることで、やめると決めた以上自分のしったこっちゃないし、べつに取引する必要もなくその材料も提示されてないよな、と考えた。父親の調子が悪いから自分が辞めても部長できそうなひとをよこせといっても無視してきたんだしね。

新人がどの程度できるかみてから決めてくれといわれて、考えますといって退去、そのまま病院に戻った彼は院長のところに行って、父親の具合が悪いので秋にはやめる、春の人事異動の後半年は面倒見ますし、そのあと必要なら週に一回きてもいいです、教授にも挨拶しましたと頭を下げた。

まあこれで決まりでしょう。
技術者というのは見切りをつけたら自分の都合で動くのに躊躇はない。

眼科バブルのときに大量に入局して、あふれかえったものだから結局みなそんなにいい目にはあっていない。それみてたら新人も来ないから悪循環。褒賞も新兵補助もない現場指揮官もどんどん脱走しつつある。
日本ではとくに大学教員は、人間性を問われない、なりふりかまわず職場にしがみつくほうが残るようにできており、学会関係で狭い範囲のお仲間に、製薬会社のおいしいお菓子をばら撒くのが大きな仕事になっている。当然、勤労奉仕に近い状態の関連病院現場のモチベーションをあげられる腕はない。組織運営能力の検証は一切行われない。「検証」というのは日本人のもっとも苦手な分野です。
大学から出て行ったものがいい人たちだという気はないよ、立場のなせる業であって、そこにいればみなおなじようになるのだろう。自分のための場所と金を奪い合うシビアな状況でそうならないほうがおかしい。

眼科医療に関しては、有効性のあるほとんどのことは開業医でもできるようになっている。実際に、開業してからアホみたいに症例こなして英語論文出しまくる人も居る。とても珍しいですが、できるということです。
でも、開業医のよさは、目洗いだけでも生きていけるところで、あとは目を洗って余生を過ごすよと彼は言った。

学会中なにをするか2011/01/29 22:47

昨日から明日まで手術学会。

昨日。
ポスターで夕方からセッション。オラルの発表は、なかなかさせてもらえないね。筋違いの質問に辛抱強く答える。

電子カルテ導入に際してファイリングシステムをみようと、 PSC 興和 Nidek のブースで説明を受ける。

なんかの会議に出た。

懇親会。手配係となり、京都のおばんざいを、それなりにまともな店であがってもらおうと「四条あとむら」、けっこうちゃんとばたばた接待した。
ここで、日本の組織はすぐにうちわでボーダーをつくることを実感。なんのことかわかりませんわねw

そのあと、こじんまりと地中海エスニック料理プラスワインの店「アシュクルク」にいった。お連れした先生がどんどん人を呼んでちょっと困った、時間がおそすぎてもう閉店でっせ。

閉店間際に来た先生に悪いのでもうちょっといこうと、木屋町の古いレコードジャズバー「Majorica」で4人ほどで飲み、2時過ぎに解散。

今日は、学会に出て点数を貰い、午後から、知人を聖地巡礼につれていく、具体的には岩田山だが。「なんで京都でお猿なんだよ」w
夜には会のあるその知人と地下鉄でわかれ、「アサヒスーパードライ」にてジャーマンポテトでビールを飲んで帰宅。

明日は、南禅寺あたりにいって庭を見て聖地の疎水を見て、昼はエスニック料理でのんだくれる予定。

なにやってんだかね。

聖地と飲んだくれ2011/01/31 01:13

学会会場で点数を貰った。

地下鉄御池で巡礼希望者と待ち合わせて、東西線で蹴上までいき、南禅寺。疎水のレンガ水道橋で記念写真。「けいおん」OPで使われた場所、以下、聖地というのはその手の意味です。
南禅寺で庭を見た。北上、哲学の道、さわちゃん沈没のシーンは同定されてないがこのへんなんだろうな。
銀閣寺の手前からタクシーにのって高野へ。もうひとり合流。

ネパリ料理「サムジャナ」。表示はないがロキシーあり。わるくないロキシーでした。ナンがハーフだけどでかくて腹いっぱい。ランチはセットだけで、モモが食えなくて残念。

詩仙堂へいく。むかしとは入り口が違っていてなんだか。

一乗寺から叡電にのる。むぎがこれに乗って通うはずだがあの世界は電車は右側通行なのな。出町柳。「柳月堂」の談話室のほうでいっぷく。

同行、近畿予備校出身のM先生、なかじま食堂を探し回るが土地勘が悪くて見つからず。寺町より東なんだね。
御所をぬけて近畿予備校。むかしの校舎はしまりっぱか、YMCAもなくなったのだね。

地下鉄に乗って南下し、「イノダコーヒ」。私はビール。
まだ腹ふくれてるが暗くなってきて、軽く行こうと、「瓢亭まる」。酒のバリエーションがありきたりなのは料理をみろということと解釈するとして、板さんに注文しようとすると間髪をいれずウェイトレスに流して寄越すのは、あの料亭つぶしてここでやってるのにせめてのプライドなのかも知れんけど、面倒だ。居酒屋としてはいいのですが気になる。

烏丸四条西のライブハウス、あずにゃんがたたずんだ聖地をみて解散した。朝からずっとだらだら飲みすぎ。