いった店 京都 久 ほか2012/10/28 00:37

「串かんざし 久」 和食 京都先斗町




近所のバーのマスターに聞くと一時期一見客を絞る感じで、マスコミ取材拒否もそれでということだったらしいのですが、電話でふつうに予約できた。この街のお茶屋が3分の1なくなったせいかもという話も聞いた。本当かは知らない。
要所でちゃんといろいろいってくださるはきはきしたあるじ、丁寧なお仕事。料理だけならなにもいわないお任せで15K程度のようですが、これが、高級食材ばかりで、かつ味付けに手が込んでて重い、、、、それぞれ量は大きくはないにしても品数多いし、そりゃ予約制じゃなきゃできないでしょう。
「丸伊」のふぐほどじゃないが、先が見えなくて不安になった。天然鰻、あぐい豚を越えてやっとたどり着いた〆のご飯が、雲丹と鮑のオムライスとろみ餡かけという、駄目押しというのかとどめというのか。むかしこの町の舞妓芸妓をつれてここにきていたというおっさんたちはこれを全部食ってたのかね?だったら、そら、勝てんわ。
この調子でやるとしたら、値段域からしてがっついた学生や若手サラリーマンレベルは無理だろう(だったら「伏見酒場」に行くだろう)。よほどの健啖家でなければ、日常遣いではなく、間おいて体調を整えて気合入れていく店になる。あらかじめ体調と希望値段域を申告して通るならありがたいような気もするんですがどうなんでしょうかね。馴染みになったら訊けってかw カウンタ10席まで。座敷は4人という情報もあるがわからんかった。営業が16時から22時半と長い。1回転だけなんだろうか。

私はアラカルトができるならそれはそれでありがたいが、きっちり下ごしらえしたところへ雑誌見てやってきた客が「んーイカ刺し」とかいって1時間飲んで帰っていくんじゃたまったもんじゃないのもよくわかる。店のありようはあるじが決めるもので、気に入らないと触れて回る客を入店拒否するのだって当たり前。客は黙っていかなきゃいい。あれこれいいたいなら、言えるだけの人間関係が必要でしょう。
しかし、もとめて露出すると、そのへんで「サービスが足りない」「客本位じゃない」と大声出すアホが必ず出てくるのである。嫌な客こそ、腕でうならせろというのは、日本でしか通用しないバトルマンガの読みすぎだ。

一般論であるが、たまに病院で威張りまくるモンペの話を聞くと同じようなことを思う。関係者に嫌な思いをさせて、それでもちゃんと自分が扱われるという自信は不思議である。肝心なところで、合法的に医療上も整合性をつけてするーするなんて、まともな知識があれば簡単なんだろうと思うのですが。
立場の高いやーさんがそういう場面でたいがい腰が低いのも、反論できないやり方で手を抜かれる恐ろしさをよく知っているからである。
この話はきりがないので止め。

「ごん平」 お好み焼き 伏見大手筋
むかしながらのお好み焼き屋。商売していくのに建物のありようがもたらすものは大きいと、ふと思う。かといって移転してまでやる?というのもあるやろうなあ。大手筋商店街、川魚店もなくなり、どうなるのかねえ。「街」というのはできるものであって狙ってつくれるものではない。

ガイシュツ
「ユーフォリア」 喫茶 京北
猟がしたいのでそのへんで山売ってませんかと馬鹿なこと訊いたり。占い師細木某が山を買いあさってるそうだ。木屋町で寿司だけくってりゃいいのに。
「おいけラーメンさまた」 京都上京
久しぶりに角煮があった。
「M」 バー 東京骨董通り裏
あるじが女性にかわった。前のあるじS氏が居抜きで渡したそうな。前のあるじもよく来ているとのことです。内装もかわらないが、 Sansui の LE8T は譲ったとこのとで、なくなってしまった。 
「美登幸」 料理屋 祇園
知ってる眼科医団体の懇親会をここで企画した。舞妓は強いわ、パンダ並みの威力あり。お茶屋ではないので、舞妓のいる宴会を紹介一見関係無しに電話予約できるのはお便利でしょう。花代はあらかじめ振込みですが。舞妓2人を「置屋のお母さんが忘れてはって」と、時間が合わず芸妓舞妓に変更という京都的展開があったけど、まあええんちゃいますか。芸達者なあるじもでてこられた。

ほか、平常運転すると体重が増えるのが、いつもの店で確認できた。店のせいではないです。
「アサヒスーパードライ京都」「ハマムラ」「花涼ん」「珉珉桃山店」「重兵衛」「クロドブージョ」「Majorica」「トスカナの食卓」etc。

朝夕冷えて風邪気味。学会はほとんどパス状態。関係した発表のみ立ち会った。

乞食根性2012/10/28 01:27

はじめっから他人の善意をあてにしている。これを乞食根性という。

皆で育てて!「本のない図書館」大阪に来春オープン
2012.10.27 13:56
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/121027/wlf12102713570011-n1.htm
「図書館を使って講演会やワークショップなどの活動をした市民グループに本を寄贈してもらい、次第に蔵書を充実させるという公設では例のない図書館。」

どこまでこの報道が正しいのか知らん。関係者はいろんな口実はあるだろうが、自分たちでどこまでサポートしてるんだろうか。不特定多数の善意を本当にあてにするのであれば、お客様気分もきわまった。
いや、これがそのへんの人間が勝手に立ち上げたならともかく、「府立大学」ということは、役人の端くれがアイデア先行の学者を使って、公費の無駄遣いと仕事してるふりをしてるということにしか見えんのですよ。

しかも、高額寄付に十分な免税措置つけて相手するんじゃなく、この場合、捨てる代わりにいただきます、レベルでしょう。そんなことを公的機関が業務としてどうする。
それを右往左往しながら相手して府から給料いただく職員がいて、プロジェクトが立って報告書が生まれるわけだ。

そもそも、募金活動をみるたびに嫌な気分になる。声を張り上げて「いいことをしている」という確信は気持ちいいだろうが、あんたがそこで募金お願いしてる時間の間バイトしたらその金のほうが募金で集まる金よりずっと多いんじゃないかと思うのである。それを自分で募金しようとは思わんのか?
「いいことだからあんた協力しなさい、私はお金ないけど」という、他人に一方的に奉仕を要求する「正論」は、お客様気分でしかない。
それが社会を滅ぼすと私は思っている。

まともに可動性がなくて「布施気分」「乞食根性」しか成り立たない社会もあるが、日本はまだそうじゃないし、そうならないでほしいのですが。