ドイツに行った知人が、あっちの食い物はみな味が濃い、日本の農産物は何でこうも味が薄くなったんだといっていて思ったこと。
日本人はとにかく「不快」「違和感」を除去することに執念を燃やす。
なので、日本人の好む「和」というのは反対意見のない状態であって、組織内では余計なことを言うなと言う状態に容易になる。
反論も許さないから不快なものをなくせと言う態度はカスハラに至り、客商売の口コミはあっというまに地獄化する。
農作物はきれいでひたすら甘く、あくは減り、肉はやわらかくくせもなく、漬物商品は塩素入りの水で洗われねばならず精米歩合25のコンピュータ管理されたきれいな酒が流行る。
ひたすら「違和感」を除去し不快な部分がない、ということを極めるわけです。
周辺国家に起こった、人類の文化の多様性のひとつかと思っています。
なんでこうなったとか、なおせとかいうもんじゃなく、特性なのでしょう。ドイツがいいと言ってるわけではない。あの国はあの国でこまったところはいくらでもある。
続けてみますと、、、
声のでかい少数意見におたつくくせに、なにか決めてしまったらいくら反対意見があっても無視して軌道修正しないのも、「反対意見はあってはならない」からでしょう。
「不快はあってはいけない」のですね。
だから、失敗があったら全員で懺悔するか個人の責任にしてそいつを葬り、組織は快適に温存。個人責任にしてしまうのは世界標準であることとして。全員で懺悔して終わり、というのは特に日本的と思う。
完全に、つねにそうだとは言わない。全体的にそういう傾向が目に余るということで。
考えると、「和」を乱す「不快」がいけないという文化は、「先に不快を与えたからこいつがいじめられるのは仕方ない」という発想でもあるから、いじめの対策が被害者側をいじくることに終始してしまうのだろう。
変な奴だからって、ルールを超えてそいつをいじくるなんて誰も誰にも許すことではない。
いじめの被害者が死ねば不快の原因がなくなるのだから集団としては問題が解決したことになるのがもうなんだかな。
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