「おばんざい」について2023/09/25 18:40

おばんざい」という言葉がある。
京都における「おかず」のこと、ということになっている。これ、むかしの料理本が、よそいきとかごちそうとかではないという意味でつくった一種の専門用語でしょう。

今は使わないも何も、過去においても一般的に使われたことがあるという考証はみたことがない。御所の南側の母親実家(江戸からの商家)でもきいたことない

nikkei.com 9月6日
「もっと関西 京都人、今は「おばんざい」と呼ばず!(とことんサーチ)」
「京都の家庭料理として知られる「おばんざい」。京都の街中を歩いてみると「おばんざい」と書かれた看板やちょうちんを目にすることも多い。だが、京都の人は普段「おばんざい」とは言わないらしい。」

ばんざい は「番菜」でしょう、「番」は「番茶」の「番」、漱石の「吾輩は猫である」でこれを「サヴェジチー」と訳す場面があり、「蕃」「蛮」に通じる、「貴」の対義語で、敬意をもってよそさまに出すようなものではない、という意味を持って、「普段のおかず」について、料理本を書くとき造語したんだろうと思いますがどうか。
いうまでもないが、日常生活で、いちいち自分の喰うものの総称をへりくだって名付けることなどふつうはしません。いろんな種類のあるお茶とは話が違う。

ところで上記記事で、こういうことをいってるお方がいる。固有名詞はなるべく略します。

「一方、〇〇町で24年前からおばんざい料理店「ほっこり〇〇」を営む店主の〇〇さん(〇〇)は「おかずという意味でこれまでも使い、消えた言葉ではない。料理関連の店や人が集まる洛中ではまだ使われているのでは」と話す」

「おばんざい専門店」の人はそりゃなんでもおっしゃるでしょう、どちらのご出身かは存じませんが。中京(なかぎょう、行政区の意味ではない)ならすみません。
で、「ほっこり」というこれもいかにもな京都弁単語、語感からなんかゆったり気持ちのいい状態を想像するようでそういう使い方が一般的になってしまったが、この「ほっこり」だって、もともとは「へとへとに疲れ果てた」という意味です。
大変失礼ながら、そういう程度の京都弁の使い方をしてられる方が、観光客のたくさんくる界隈で「おばんざい」の店をしてられるということです。記事の中で堂々と意見を言ってられるので、このような突っ込みをしてもいいと考えて書く次第。