キラキラネームでの検診2015/12/08 19:31

大した話ではないです。

小学校の校医とかしてる知人眼医者からきいた。
昨年までどんどん就学時検診での名簿の漢字がよめなくなってきていたそうで、読み仮名がついていたそうですが。

今年はついに、漢字なし、平仮名のみの、健診用名簿がでてきたそうな。

不思議なことに平仮名だと、そんなにキラキラな感じがない。
とにかく、こって漢字つけると、キラキラ化するようです。

漢字は今も、りっぱにシンボルとして機能しているようです。

敗戦処理で悪いか?2015/12/16 13:03

さっさと切ればいいものを民間医療にひっかかって寿命を縮めた、としか思えない女優さんがおられたようで、そのご主人がなんか書いてられる。

とある大病院の医師による
どうみても負け戦です。後はどう敗戦処理を考えるかだけです。
という人情味の全くない冷たい見解の医師
ある民間医療の
「必ず治りますから希望をもって諦めずに治癒をしましょう」
と言って高額な治療を勧めてくる一見人間味溢れる医師。

その場の雰囲気や態度はわかりません、ただ、表現のみからいうと、「負け戦」「敗戦処理」のどこがいけないのか私にはわかりません。たぶん私にも人情味がないんだろう

疾患に関して事実をいわれて「言い方、表現が気に入らない」「配慮が足りない」と拒否反応を示す人が多い。
たぶん、言い方をとか接遇態度のほうに、こういう悶着の解決を求める向きも多いのでしょうが、それってじつは、きりない。

そもそも、そういう配慮の、各患者のパーソナリティに合わせた最適化は、いまの大病院の保険診療では非常に困難です。はじめて診てからいいとこ数度目のひとに、生死にかかわる話をせんといかんのだ。その中で、この患者にはこういっても通じる、とかんがえたのに通じない、ことだっていくらでもあるわけで、民間医療に逃避されて非力を感じるのは医師自身である。
限られた医療資源に注文つければつけるほどシステムとしては疲弊していくことは忘れてはいけません。

「実際に悲しんでる人がいるのにけしからん」とかいう向きもあるが、そこでするべきことは医者を責めることですか?

どうにもならん態度の医師がいるのも確かですけど、このケースに関しては非常にわかりやすい表現と思うのですがねえ。

何しろ人間の体は、なにかおこったらどう触ったってもとに完全には戻らない。医療そのものが敗戦処理みたいなもんであることは認識したほうがいい。

いや、「ブルーベリーのんでるから白内障にならないと信じていた」とかいう人が目の前に出てきた日にはそういいたくもなるのだ。
健康で当然病気はコントロールできるという感覚の方がたくさんいるにしても、あまりそういう感覚に医師が迎合的になるのはよろしくないと一般論としては思う。今回がどこまでどうなのかはわかりませんが。

医師のものいいに腹を立てることも、有名な「受容の過程」での、「怒り」の段階といっていいとは思うが、生死に関して日頃の覚悟のなさによるうろたえを医師の態度に責任転嫁するのはけっきょくは自分の損なんですけどねえ。

アメリカでは、癌の再発は保険が使えず病院で安楽死をすすめられることもあるのですが、日本でやったらどんな騒ぎになることやら。

でも、たしかこの女優さんは、治療の選択に悔いはないとかいってたんじゃなかったっけ。うろおぼえですみません。
効きもしない民間療法でじたばたすること自体が敗戦処理で、それはそれで本人は満足だったかもしれません

国会議員の育休2015/12/24 00:11

自民党国会議員が、父親として育休を取るとかいって、いろいろいわれているようです。ま、だれにも相談せずやってるとも思えないので、自民党としてこれは可という方向なんだと思う。
「金子恵美議員の夫・宮崎謙介議員、育休取得の希望を伝える 与党は賛否両論
The Huffington Post  |  執筆者: 中野渉 投稿日: 2015年12月23日 13時21分 JST 更新: 2015年12月23日 13時28分 JST
自民党の宮崎謙介衆院議員(34)=京都3区=が、妻で同党の金子恵美衆院議員=新潟4区=の出産に伴い、1カ月程度の育児休暇を取りたいという希望を党に伝えた。衆院規則には育児休暇の規定がなく、男性議員が育児を理由に国会を一定期間休む例は初めてとみられる。与党内では賛否両論が出ている。朝日新聞デジタルなどが12月23日までに報じた。

父親が育休をとるのはいいと思うし、それができる社会にどんどんなればいいとは思う。休んでる間は会社に貢献しないのだからその分の賞与等はなくてもいいとも思う。

ただ、育休をとるのが相当ではないと考えられる職種はあると思うのですね。
その本人であることが要件になってる仕事で、国会議員なんかまさしくそうでしょう。
アメリカの大統領が育休とって、代行者が戦争始めたときに国民が納得できるか考えればいい。

そこで、「育休とるんじゃねえ」というんじゃなく、その人が育休取らなくてもいいように育児サポートをその組織が率先してする体制が同時に考えられるべきと思う。

育休とるなんてけしからんと民主党の議員が噛み付いている。
「泉ケンタ認証済みアカウント @office50824963 この育休は美談じゃない!!宮崎議員、わかってますか?国会議員夫婦の「育休」など、一般夫婦が参考にしようがない、一般夫婦の「育休」の現実とは格段の差がある「高待遇育休」なのですよ!」

この議員は、むしろ、「職種によっては育休とらなくてもいいように育児サポートできる体制を、国会から日本社会全体に広げましょう」とこそいえばよかったのにと思う。なんでこんなに下手なんやろうな、悲劇的。

「ええ目にあうなんてずるい許さん」という感覚で受け止めてしまう日本人が悲しいですねえ。なんでみんなで横並びになって、せんでもいい苦労することが美徳になってしまうのか。

雁の祝い幕2015/12/25 15:01

今年の南座での顔見世には、祝い幕がかかっている。

四代目中村雁治郎の襲名の祝い幕なので、飛んでる鳥は、雁であろう。




よくわからないのは、この雁の、クビだけ緑っぽく描かれている。アオクビということからこういう描き方をしたのかもしれないが、アオクビというのはマガモの雄であって、首もとから上ぜんぶ(頭部)が緑です。

雁の場合は、のどのところが白っぽくてあとは、首から頭の先までぜんぶ色が濃いが、緑というわけではないようです。白いところは額にかかることもある。
この祝い幕の場合、首下半分が緑っぽいのはともかくとしても、白いのどの色は首巻のようになっていて、額につながってるわけではないようだ。となると、頭部の色がうすすぎないか?

まあ必ず写実であるとはかぎらないだろうし、こういう風に描く習わしなのかもしれない。 Camel のアルバム Snow Goose では全身白い。どういう雁なのかわからないが。

野鳥に詳しい人がみたらこともなげにすらすらいろいろ教えてくれそうな内容ですが、私はせいぜい鴨見て回るのが関の山ですもので、なんとなく気になった。ずれたこと書いてたらすみません。

写真はこっちにあります。

雁で検索したらでてきますが、こいつは真鴨。羽にも緑の帯がある。

近視は悪か2015/12/26 10:55

知人目医者の話。

その知人の校医やってる小学校の養護教諭から、学校保健委員会でミニ講演できないかという話が来た。
学校の先生とかりだされた保護者代表の総勢8人くらい相手になんかしゃべって、そういう会をやったと報告書に書くためのもんですが、ゲームについて話できないか、、、とかいわれたんだそうです。
目に悪いからゲームするなという文脈で講演させたい模様だったそうで。

そんなものに関するきっちりしたエビデンスはないとおもうぞ。3時間外で遊ぶグループは1時間、2時間にくらべ近視化が少ないという程度の話でしょう。しかしそのグループ間は、そのほかの日常生活も違いそうだ。

だいたい、ゲームの時間をなんとかしたいというのがたぶん先にあるので、近視を口実に医者に躾を手伝わせようというのはどういうものか。
ま、ここは信念によってちがう医者もいるでしょうが、彼はそう思っているそうで、教諭にメールしたそうです。

内容に、以下のような感じで書いたそうでした。


「近視進行に関しては、日常生活が関係することは状況から想定できますが、信頼できる疫学調査はありません。ましてや、ゲームについての態度のコントロールを近視を口実に行うのは、科学的にはどうだかです。これは、単純に生活習慣のなかで語られるべき事柄と思います。

そもそも、近視になるのを「わるいこと」という前提で語るのもどうかと思います。近視や色覚異常がかって忌避されてきたのは、「いい兵隊さんをつくる」上で障害になったからです。いまどきはもうそういう必要ないのですが、「みんなでそろえるのが大好き」「
なにか望まないことがおこったら悪い原因があるはずだからそれを探してつるしあげる」という文化上の性癖
から続いているのでしょう。

近視化ひとつとっても、ゲームの時間を減らしたら何とかなるような単純なもんであるはずがありません。それに子供は、自分の家でできなければ、できる友達の家に行くだけです。
必要以上に近視を忌避すると、見えないのにメガネを嫌がるという態度を生むのがかえって困りものです。

小学校低学年までは、きっちり網膜に焦点をあわせたほうが眼球形状が近視化しにくいと思わせるデータもあるようです。視覚遮断に近視化を伴う症例もありますので、必要以上にメガネを嫌がるべきではありません

生活習慣に関する心掛けは大切であるにしても、一番切なのは、近視でも問題なく学校生活が送れることです。そこで変に予防がどうのという方に意識が行きすぎると、近視化した児童の生活態度を非難する方に走りかねない文化があることは気にとめる必要があると思います。

自分がちゃんとしていたら悪いことが起こらないはず、という日本的心情は、悪いことのあった人は悪いことをしたからだという理屈に容易に転化
します。

これは他の事象にも共通することのように思われます。」


教諭からは、よくわかりましたと返事が来て、講演の話はなくなったそうです。面倒な医者だと思われたであろうことは容易に想像できるね(笑

むしろこういう話を皆のまえでしたらどうかと思うが、たぶんちゃんと理解してくれないだろうなとゆうておりました。