とある大病院の医師による
「どうみても負け戦です。後はどう敗戦処理を考えるかだけです。」
という人情味の全くない冷たい見解の医師
ある民間医療の
「必ず治りますから希望をもって諦めずに治癒をしましょう」
と言って高額な治療を勧めてくる一見人間味溢れる医師。
その場の雰囲気や態度はわかりません、ただ、表現のみからいうと、「負け戦」「敗戦処理」のどこがいけないのか私にはわかりません。たぶん私にも人情味がないんだろう。
疾患に関して事実をいわれて「言い方、表現が気に入らない」「配慮が足りない」と拒否反応を示す人が多い。
たぶん、言い方をとか接遇態度のほうに、こういう悶着の解決を求める向きも多いのでしょうが、それってじつは、きりない。
そもそも、そういう配慮の、各患者のパーソナリティに合わせた最適化は、いまの大病院の保険診療では非常に困難です。はじめて診てからいいとこ数度目のひとに、生死にかかわる話をせんといかんのだ。その中で、この患者にはこういっても通じる、とかんがえたのに通じない、ことだっていくらでもあるわけで、民間医療に逃避されて非力を感じるのは医師自身である。
限られた医療資源に注文つければつけるほどシステムとしては疲弊していくことは忘れてはいけません。
「実際に悲しんでる人がいるのにけしからん」とかいう向きもあるが、そこでするべきことは医者を責めることですか?
どうにもならん態度の医師がいるのも確かですけど、このケースに関しては非常にわかりやすい表現と思うのですがねえ。
何しろ人間の体は、なにかおこったらどう触ったってもとに完全には戻らない。医療そのものが敗戦処理みたいなもんであることは認識したほうがいい。
いや、「ブルーベリーのんでるから白内障にならないと信じていた」とかいう人が目の前に出てきた日にはそういいたくもなるのだ。
健康で当然病気はコントロールできるという感覚の方がたくさんいるにしても、あまりそういう感覚に医師が迎合的になるのはよろしくないと一般論としては思う。今回がどこまでどうなのかはわかりませんが。
医師のものいいに腹を立てることも、有名な「受容の過程」での、「怒り」の段階といっていいとは思うが、生死に関して日頃の覚悟のなさによるうろたえを医師の態度に責任転嫁するのはけっきょくは自分の損なんですけどねえ。
アメリカでは、癌の再発は保険が使えず病院で安楽死をすすめられることもあるのですが、日本でやったらどんな騒ぎになることやら。
でも、たしかこの女優さんは、治療の選択に悔いはないとかいってたんじゃなかったっけ。うろおぼえですみません。
効きもしない民間療法でじたばたすること自体が敗戦処理で、それはそれで本人は満足だったかもしれません。
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