ハリウッドゴジラ オリジナルゴジラをおもう2014/07/29 00:22

いえ、また見てないのですが。

売れていて、続編決定とか。まあぴょんぴょん跳ね回る「ジラ」でおわりにならなくてよかったねえ。

『GODZILLA ゴジラ』続編決定!ラドン、モスラ、キングギドラ登場にファン熱狂 [2014/07/27]
「7月25日に日本公開を迎えた特撮怪獣映画ハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』の続編制作が正式に決定し、ギャレス・エドワーズ監督の続投も発表された。」「世界初披露となったこのフッテージ映像では、『ゴジラ』シリーズではおなじみのモスラ、ラドン、キングギドラと思われる怪獣の姿が登場し、場内はさらに熱狂し、興奮の坩堝と化していた。」

オリジナルゴジラは、核兵器であるゴジラ(これは作中で宝田明にも「水爆そのものではないですか」といわせている)に対する日本人の、悲劇的な個人がなしえた民族的勝利(なんやそれは)という図式で、とくに襲のあとを髣髴とさせる焼け跡の中に流れる伊福部昭による合唱曲を、涙なしできくことはできない

で、モスラですが、オリジナルは、こんどはこっちから攻め込んでやるんだという執念で成立した映画で、その後のお子様路線の走りの部分はあるにしても、怪獣としてはじめて海を越えたモスラがニューヨーク(設定ではニューカーク)の摩天楼を好き放題に飛び回るシーンは感涙もの。余談であるがこのシーンで私は、小津「秋刀魚の味」で、加藤大介演じるもと水兵が「(戦争に勝ってたら)いまごろ、あんたも私もニューヨークだよ、ニューヨーク」と、笠置衆演じるもと駆逐艦長にくだを巻くシークエンスを思い出すのですが。

こういう、戦後日本人型カタルシスと離れたところでハリウッド映画になってしまうのは、それはそれで感無量。

オリジナルのゴジラの、上記伊福部昭氏による劇中合唱曲ですが、日本語による曲で「追悼」の任にたえるものとして、あれ以上のものは知りません。

「追悼」というと、ヒトラーの死に際してベルリン放送の流した、フルトヴェングラー指揮ブルックナー交響曲7番アダージオが思い浮かびます。これ、いま手に入るCDにも入ってるけど、ジャケット見てもその曲があるのはわからなくなってて、帯でわかる。びみょーな問題なのでしょうな。

余談ですが、ゴジラが夜の街を吼えながら火を吐いて回るあたりは、チャイコフスキー4番のアダージオでもいいと思う。

更に余談。
伊福部さんは曲の使い回しを結構したようで、ゴジラに使われた他の曲(オキシジェンデストロイヤー使用時の背景音楽)も声楽曲になっており、藍川由美さんが20年以上前にCDにしていた。北方民族主題の歌曲だったと思う。
ジャケット写真の藍川氏は若く、私の主観ではその印象でいたので、こないだ藍川氏がなんかで新聞にのられたとき、外見の変化にびっくりした。
しかし、人間側からの攻撃時につかわれた音楽が、長谷川一夫主演の「源氏物語」で、主人公光源氏が馬に乗って野をゆくシーンの背景に、ピアノ演奏で使われていたのはさすがに唖然となったが。このあと光源氏は紫の上を攫うのです。


それにしても、うまくいくリメイクというのは、もとの作品にたいする敬意をちゃんともっているものだ。
日本でアニメなどが劇場映画になるたびにがっくりくるのは、ここが根本的に抜けていることが大きい。

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