自炊は止まらない JASRAC は消えてください ― 2011/12/25 09:33
むかしの教科書のほうが詳しい分野というものがある。ある時期まで流行ったがその後廃れたということです。その分野にいる人口は発展にもろに影響するので(逆ではないです、「人は意外と合理的」参照してください)、さびれてしまってはもう鼻血もでない。
ちなみに、あらたに興隆する分野というのは、いままでの分野を発展させるのではなく、ちょっと関わりがあってでもまだ余裕のあるところで人が足りなくて工夫が生まれてパラダイムシフトするのだと思う、イングランドの産業革命しかり。
論文指導するにあたり、いまの教科書にはちゃんとのってないことを関係文献も含めてむかしの教科書をコピーしてわたすのだが、コピーして郵送してたんじゃあまりに手間ががかかるので、電子化してメールに添付する。当然、「自炊」したのですが、70ページいちいちページごとに(スキヤナ面は見開きには小さかったので)スキャンしてPDFまで1時間ほど。
なかなかしんどかったのであった。金出して自炊してもらう人の気持ちがよくわかった。
日本の家は小さい。本をおいておいたらつぶれてしまう。電子化は当然の要望だし、自分ではとうていしんどいので金出してやってもらう、のどこがいかんのかと思う。
電子化して流出が困るとか、作者が求めていないとか、それは本来の反論にはならない。
業者じゃなけりゃもっと流出すると思うぞ、「自分がやったんだから人にあげて何が悪い」になる。金出して買った本をばらそうがどうしようが作者が何を言う筋合いのものでもない。
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20111221-OYT8T00386.htm
「自炊」代行2社を提訴…人気作家ら7人 (2011年12月21日 読売新聞)
「作家の東野圭吾氏、漫画家の弘兼憲史氏らが20日、紙の本を裁断してスキャナーで読み取り、自前の電子書籍を作る「自炊」の代行業者2社を相手取り、著作権侵害の恐れがあるとして、スキャン行為の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。」
ただし上記の件では業者もやりようがあったろう。「作者名のわからない形で持ち込まれた場合私たちにはお断りのしようがありません。」と反論した上で、「この作者たちは自炊を拒否していますので、持ち込みの方はご留意ください。」とサイトにでものせてあとはほっときゃいいのである。
ここからはちょっとトーンが意図的にかわるのですが、、、
作者、出版社、印刷者、取次ぎ、さらには解説に引っ張り出される身内もふくめてビジネスモデル(利権とまではいわないが)ができてるところで、その源泉たる「本」を、ただの受け手のはずの読者がいじくってビジネスモデル自体を阻害するのが嫌なのはわかるが、おなじものでいつまでも儲けようというのが甘いのである。
作者は執筆料、関係業者は初回出版料でつつましく儲けて、あとは、自炊するのがアホらしくなるような値段で電子書籍を売ればいいのである。出版は、電子じゃこう立派なものは出来ないという形でがんばんなさいよ。
音楽は近い形になりつつある。まあ文学に「コンサート」なんてないし、一回性の低いものだから同じには出来ないにしても、無理やり文句つけたって自炊は止まらない。
読者のほうは、自炊拒否の作家は読まない、でいいと思いますけど、それ以前に、作品の面白さは気になっても、作者がどう思ってるかまで気にしてられない読者が大半だろうしそんな読者を相手にして仕事してることぐらい理解してあきらめたらどうかとも思う。
上記ですと、東野圭吾、弘兼憲史、浅田次郎、大沢在昌、林真理子、永井豪、武論尊の各氏。ま、今後のビジネスモデルで電子書籍で自分にいいことが起こると思ってないからこういうことをするわけであって、状況は「おわってる」のでしょうが。
「電子本じゃなきゃ読まない」層はそろそろ現れるし、「電子本でもなんでも読んでくれてありがとう」という作者もいくらでも現れるだろう。あとは、「無料のものにはありがたみがない」という一線をどうクリアできるかである。そこは初音ミクが参考にはならないか、、、、ならんか、あれにはあれでテクがいるからなあw
今の形の「自炊業者」は電子出版が一般化するまでの仇花だろうとは思いますがね。仇花に感謝。
ところで、音楽のほうですが、いつまでも利権にしがみつく JASRAC だけはなんとかならないのか。
本来ありもしない権利のうえにできてしまったシステムに乗っかって、その「正論」でゆすりたかりを行う団体、にしかみえない。
音楽ははるかに世界性の高い行為なので、外国作品を JASRAC からひっぺがすことからはじめるしかないとは思うのだが。
だって、これって、流しがひとの曲歌ったら訴えられるってことだろ。法律がどうであってもまともな市民社会に通用する感覚じゃないし、それはつまり法律がおかしいのです。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111223-OYO1T00170.htm
著作権料払わず生演奏、ライブハウスの楽器使用差し止め (2011年12月23日 読売新聞)
「日本音楽著作権協会(jasrac)は22日、著作権使用料を支払わずに、同協会が管理するエルビス・プレスリーなどの曲をバンドで生演奏して営業しているとして、京都・祇園のライブハウスに対し、演奏禁止や同店が所有する楽器の使用差し止めの仮処分を京都地裁に申し立て、認められたと発表した。同地裁は同日、使用差し止めの仮処分を執行、ギターやドラムなどの楽器約20点を使用禁止にした。」
ちなみに、あらたに興隆する分野というのは、いままでの分野を発展させるのではなく、ちょっと関わりがあってでもまだ余裕のあるところで人が足りなくて工夫が生まれてパラダイムシフトするのだと思う、イングランドの産業革命しかり。
論文指導するにあたり、いまの教科書にはちゃんとのってないことを関係文献も含めてむかしの教科書をコピーしてわたすのだが、コピーして郵送してたんじゃあまりに手間ががかかるので、電子化してメールに添付する。当然、「自炊」したのですが、70ページいちいちページごとに(スキヤナ面は見開きには小さかったので)スキャンしてPDFまで1時間ほど。
なかなかしんどかったのであった。金出して自炊してもらう人の気持ちがよくわかった。
日本の家は小さい。本をおいておいたらつぶれてしまう。電子化は当然の要望だし、自分ではとうていしんどいので金出してやってもらう、のどこがいかんのかと思う。
電子化して流出が困るとか、作者が求めていないとか、それは本来の反論にはならない。
業者じゃなけりゃもっと流出すると思うぞ、「自分がやったんだから人にあげて何が悪い」になる。金出して買った本をばらそうがどうしようが作者が何を言う筋合いのものでもない。
http://www.yomiuri.co.jp/net/news/20111221-OYT8T00386.htm
「自炊」代行2社を提訴…人気作家ら7人 (2011年12月21日 読売新聞)
「作家の東野圭吾氏、漫画家の弘兼憲史氏らが20日、紙の本を裁断してスキャナーで読み取り、自前の電子書籍を作る「自炊」の代行業者2社を相手取り、著作権侵害の恐れがあるとして、スキャン行為の差し止めを求める訴訟を東京地裁に起こした。」
ただし上記の件では業者もやりようがあったろう。「作者名のわからない形で持ち込まれた場合私たちにはお断りのしようがありません。」と反論した上で、「この作者たちは自炊を拒否していますので、持ち込みの方はご留意ください。」とサイトにでものせてあとはほっときゃいいのである。
ここからはちょっとトーンが意図的にかわるのですが、、、
作者、出版社、印刷者、取次ぎ、さらには解説に引っ張り出される身内もふくめてビジネスモデル(利権とまではいわないが)ができてるところで、その源泉たる「本」を、ただの受け手のはずの読者がいじくってビジネスモデル自体を阻害するのが嫌なのはわかるが、おなじものでいつまでも儲けようというのが甘いのである。
作者は執筆料、関係業者は初回出版料でつつましく儲けて、あとは、自炊するのがアホらしくなるような値段で電子書籍を売ればいいのである。出版は、電子じゃこう立派なものは出来ないという形でがんばんなさいよ。
音楽は近い形になりつつある。まあ文学に「コンサート」なんてないし、一回性の低いものだから同じには出来ないにしても、無理やり文句つけたって自炊は止まらない。
読者のほうは、自炊拒否の作家は読まない、でいいと思いますけど、それ以前に、作品の面白さは気になっても、作者がどう思ってるかまで気にしてられない読者が大半だろうしそんな読者を相手にして仕事してることぐらい理解してあきらめたらどうかとも思う。
上記ですと、東野圭吾、弘兼憲史、浅田次郎、大沢在昌、林真理子、永井豪、武論尊の各氏。ま、今後のビジネスモデルで電子書籍で自分にいいことが起こると思ってないからこういうことをするわけであって、状況は「おわってる」のでしょうが。
「電子本じゃなきゃ読まない」層はそろそろ現れるし、「電子本でもなんでも読んでくれてありがとう」という作者もいくらでも現れるだろう。あとは、「無料のものにはありがたみがない」という一線をどうクリアできるかである。そこは初音ミクが参考にはならないか、、、、ならんか、あれにはあれでテクがいるからなあw
今の形の「自炊業者」は電子出版が一般化するまでの仇花だろうとは思いますがね。仇花に感謝。
ところで、音楽のほうですが、いつまでも利権にしがみつく JASRAC だけはなんとかならないのか。
本来ありもしない権利のうえにできてしまったシステムに乗っかって、その「正論」でゆすりたかりを行う団体、にしかみえない。
音楽ははるかに世界性の高い行為なので、外国作品を JASRAC からひっぺがすことからはじめるしかないとは思うのだが。
だって、これって、流しがひとの曲歌ったら訴えられるってことだろ。法律がどうであってもまともな市民社会に通用する感覚じゃないし、それはつまり法律がおかしいのです。
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20111223-OYO1T00170.htm
著作権料払わず生演奏、ライブハウスの楽器使用差し止め (2011年12月23日 読売新聞)
「日本音楽著作権協会(jasrac)は22日、著作権使用料を支払わずに、同協会が管理するエルビス・プレスリーなどの曲をバンドで生演奏して営業しているとして、京都・祇園のライブハウスに対し、演奏禁止や同店が所有する楽器の使用差し止めの仮処分を京都地裁に申し立て、認められたと発表した。同地裁は同日、使用差し止めの仮処分を執行、ギターやドラムなどの楽器約20点を使用禁止にした。」
by 稲亀石 [日常] [社会] [コメント(0)|トラックバック(0)]
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://inakameishi.asablo.jp/blog/2011/12/25/6260614/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。