料理人の独立 医者とひきくらべて思う2011/06/30 23:50

6月末に久しぶりに「あとむら四条」にいくと、カウンタのむこうにいつもおられる、若いまじめそうな、料理長(?)のH氏が6月いっぱいでやめられるということで驚いた。
しばらく休んでどうするか考えるというのですが、そら今の店ではたとえ具体的な話があっても口に出来んわな。
きれいな手つきでいろいろ作っておられた。京都で店を出されたら、いまのことだからそういうふれこみで情報は流れるだろう。いいようになればいいと思う。

のんびりした口調で客の相手する若い背の高いバイト女性も、いっしょにやめるそうな。時期が一緒というのがたまたまというのが本当かは知りませんが、焼酎の水割りの仕方をまた説明せんといかんのやな、、、
7月以降どうなるのかね。東京を引き上げたあとむらですから、それなりの人材はないとは思えないが。

病院医は、その地域で開業するときは、それなりに患者がついていく。病院にとってもそれは悪いことではない。やることは違うし、紹介のやり取りができるとなにかとやりやすい。

しかし、親方の下の料理人は、離れるときはなかなか大変なんでしょうなあ。暖簾分けまでいけばともかく、そうでなかったら、ついてくれた客にどこまで知らせるものなんだろう。

それをいうなら、本当は医者だって、勤務中に次の開業について患者に周知したりしてはいかんはずですがね。でもまあその名前で開業すりゃ地域の人には一目瞭然。

以前、べつのお店だが、そこそこの立場でやってられた料理人を、あるとき見なくなった。どうされたのかべつの料理人にきいても、ほかのところで修行に行った、としかいわない。さすがにあるじにはきけないw

いまはない「松岡」さんは、「たん熊北」で料理長して、独立後もおそらく末期の体調不良時には「たん熊北」からヘルプが来ていたのだが、そういう関係でいられるのはなかなかないんでしょうかね。

ところで、以前よく行った店で何度も一緒したことのある方に、この店でも2回目だが久しぶりにお会いした。お互いに名前も知らんのですが。
きいたところでは、閉店したそのお店のあるじ、料理プロデューサーと称して、料理人の相手をしているらしい。あやしいなあ。まあそのうち飽きてまた店出されるだろうと勝手に思うのだが。
店やめたあとやることもいろいろある。